Here is the sometime flower garden. It's just waiting for you.
ここはいつかのおはなばたけ。ただ君をまつ。



03.
(最初に在ったのは言葉、最初から在ったのは混沌。)



 或る日がその扉を開けると、もう獣は人型をしていましたのです。

『これで満足か。』

 はぽかんと口を開けて黙っていました。間抜けな顔をしても美しい神の造形ではあるが、もはや見慣れたけだものには、それはやはりただ間抜けに見えました。
「…、」
『おい。』
「………、」

「おい、」

 ますますが、目を見開きます。けだものは喋りました。言葉を発したのです。
 それは最初に在ったもの、その名をミュウツーと言いました。それは人の姿をしており、最早けだものとは言えません。生身の肉体のあちこちに、機械が混じり、喉にはチューブが刺さっている。痛ましいはずが、まったくそうと感じさせない、自然な姿でありました。瞳は不思議に冴えた銀色で、元来鋭い目つきでを眺めています。少年と青年の、中間の形をしていました。どちらかといえば、後者に近いかもしれません。凍えた刃のような、厳しく直立したフォルムを、それはしていました。触れれば切れるような鋭さが、その哲学者めいた美しさより勝りました。色素の無い短い髪を少しなびかせて、彼はじっと立っています。
 研究所の中であるにも関わらず、雪原の果てか荒野の真ん中に、立っているような風情でした。
 分厚い扉の向こうで、ばたばたと騒々しい音が聞こえています。獣が人型を取ったことに驚いた所員たちが、研究の準備にあわただしくしているのです。本来ならば、それらの黒メガネたちの先頭に立ってこのけだものの転化について研究を始めねばならないはずのは、やはり茫然としたままその獣の前に立ち尽くしていました。
 がだれよりもなによりも強く望んだ獣の転化でしたが、それがどういった動機による願いなのかは、以外誰も知らないことでした。

 しばらく沈黙が降りて、しかしがそれを破りました。
 花のような、それこそ華やかな微笑が、その美しいかんばせいっぱいに広がります。春が一度に、その顔の上に訪れたに違いありません。はそれから、透き通るような笑い声をあげて、「やあ!」と歓声を上げました。ミュウツーはただ首を機械的に傾げただけでした。

「やあ、君、」
 しみじみとした、うれしそうな声音でした。
「やっと、会われた。」
 その微笑に、不思議と胸の中心がざわめくような感覚を覚え、しかしそれも一瞬で過ぎ去り、やはりミュウ・ツーは無表情のまま、ますます首を傾げます。
「私はだよ。」

「…知っている。」

「君はミュウ・ツー?変な名前だ。」
「知っているだろう、」
 不思議な感じに、はなお微笑しました。
「知っている。しかし知っているとは限られない。」

 の白く細い指先が、ふいにミュウ・ツーの額に伸ばされました。白い花の先が近付いてきたような錯覚を獣は覚え、一瞬振り払おうと手が反射的に動きましたが、それを知性が押しとどめました。人型をとってなお、自らの力が強すぎてなおあまりあることを、獣は知っていました。
 花の先は、ただそっと獣の眉間に触れただけでした。
 突き刺す針の痛みも、刻まれる刃の痛みもそこにはありません。
「眉間にすごいシワだ、」
 が笑いました。
「さては君、難しいことばかり、考えられている。」

 人の形を模してみても、やはりこの人間の思考が不可解なものであることは彼にとって変わりはありませんでした。むしろなんだか、その難解さ――というより、支離滅裂さが、水増しされたようにすら感じます。
 しかしなぜでしょうか。彼は人型をとってよかったと、どこかで小さく思いましたのです。
 はじめまして、というのしみじみとした響きの言葉だけが、いつまでも獣の耳の奥に残っていました。



(110217)