Here is the sometime flower garden. It's just waiting for you. ここはいつかのおはなばたけ。ただ君をまつ。 |
06. |
(汝内なる問いかけに耳を澄ませよ。) |
外界を廻る空気はやわらかく、涼しくてもあたたかでした。 獣はそんな景色を見たことがなく、ただただ茫然としていました。繋いだ手をするりと解いて、が踊るような足取りで前へ出ます。 花畑。 そこは絵に描いたような、ただの花畑でした。赤、白、黄色、橙、紫、ピンク。色とりどりの花が咲き乱れて、先揃って、咲き誇って。しかし人の手の入らない、自然の花畑のようでした。花の香りが、当たり一面に充満していました。小高い丘の上、そのはなばたけは空に近いところにありました。 そこが研究所からずいぶん離れたところにあるのだと、一拍置いて獣は気がつきました。テレポーテーションは、時間と空間を折りたたみ、圧縮して進むので、その実感が後から湧いてくるものなのです。 明るい光の下で、の髪は日光の塊のように見えました。その白い肌に日の光が当たると、白く反射して、まるで違う者のようでした。 「おいで、」 振り返ってが笑います。 どうしてそんなに、心細げで、どうしてそんなに、包み込むような。 「きみに見せたかった。」 一瞬が、泣くかと獣は思いました。 それでもやはり、分かりきっていたとおり、は泣きません。決して泣きません。 こがれるように、彼の足が、自然に前へと出ました。自分でも気がつかないままに、彼は花を踏み、歩いていました。おいで、おいで、とが歌います。それはどこか夢の中のように遠く、幻のように虚構めいて、うそ寒いような、それなのにどこか安堵するほどあたたかで、できすぎた芝居のようでした。 「おいで。」 細い手。 ああ なんて 白い。 どうしてその目は、そんなに青く、不思議に神秘な色、しているのでしょう。 操られるような、そんな風に、熱に浮かされるように、獣は進みました。宙に伸ばされた腕を引いて、がミュウ・ツーをそっと抱き寄せました。母が子にするような動作でした。 ただミュウ・ツーもも、母を知らなかったので、それがそういった動作だとは、どちらも気づきませんでした。 あっけに取られて、その動作の意味も、対処の仕方も分からない彼は、のするがままに任せて、その細い体に寄りかかっていました。風が二人の髪を撫ぜてゆきます。銀の髪ご銀の髪が、揃って揺れて、なにか囁きあっています。 「いいこ、」 のその声がすぐ耳の傍で囁きました。 「いいこ…。」 何度も繰り返して、背を撫でる声は、やはりかすれていました。 なにが言いたいのか、何がしたいのか。ひとつも獣にはわかりませんでした。それでもなぜか、動けずに、ただの声を聞いていました。 この人間は、無駄なことばかりしています。それも最近、彼自身のためだけに。その頭脳は、自らの非効率的な行いの愚かさも、その不毛なエネルギー消費の損失も、すべて知っているに違いないのです。と同じように、あるいはそれ以上に有能な頭脳をもはや持っている獣にも、それは明白なことでした。 そして本当は、こうやってこの人間につきあってやることも、大人しく切り刻まれ閉じ込められ管理されることも、なにもかも無駄なことでした。彼にはもはや、なにものにも勝る力と知恵が具わっていました。 なのになぜ、すべての黒眼鏡たちを、すべての機械を、研究所を破壊して、自分は逃げ出してしまわないのでしょう。逃げるという、その言葉のニュアンスが、気に入らないのかもしれません。もはや自らが絶対的な強者であることを、獣は理解し始めていたのです。 それでもなお、彼はまだここにいました。にされるがまま、抱きしめられて立ちつくしています。 この人間が、自分を繋ぎとめているのだろうか。 これは人の形をした鎖だ。 光だと思ったことも忘れて、獣はそう感じました。 それならばこの脆く弱いしがらみを、圧倒的な力の下に消してしまえばよいのです。それはあんんまり簡単な作業です。すこし念じるだけ、それだけで事足ります。その首をねじり落とすのも、その気管を潰すのも、心臓を握りつぶすのも、炎よりも熱い光で消し飛ばすことも、すべて簡単なことなのです。 なのにそうしないのは、なぜでしょうか。 「いいこ。」 目をつむって、安心しきったようにがそう歌い続けています。 なぜ。明滅する問いが彼の思考のずっと下の方で、浮いたり沈んだりを繰り返し、しかしそれだけでした。 そうしないのではなく、できないのだ。 ミュウ・ツーはじっとしていました。ただじっと、の肩のあたりに落ちた髪を見下ろして、日の光のようだと、そう考えていました。 |
(110218) |