Here is the sometime flower garden. It's just waiting for you.
ここはいつかのおはなばたけ。ただ君をまつ。



11.
  キメラ                キメラ               
(合成獣の悲しみは、合成獣しかしらない。)



 研究所の地下に、こんな空間があるとは知らなかった。
 完全に焼け落ちた研究所は、ただの鉄くずと化していましたが、彼の目にはそのさらに奥が見えました。中性子爆発が数回起きても大丈夫と言わんばかりの頑丈さで、しかし精神攻撃にはてんで対応していないようでした。
 獣にその超合金の隙間から入り込むのは簡単なことでした。
 屈強な地下空間の中、彼は不思議と、不安も、怒りも、感じませんでした。おそろしいほど自らの中が、静まりかえっていると感じました。
 長くはない廊下を進み、ほどなくして中心部へ辿りつきます。
 手のひらを重たい扉に押し当てて、獣は一度、深く息を吸いました。
「……っく!!」
 ドロリ、と手のひらの周りから、金属が溶けだしました。
 赤く、ジュウジュウと音を立てて熔けだす金属は、金色に煌めく火花を飛ばし、足元に玉に鳴って落ちた端から固まって、転がってゆきます。ワロン、ウワロンと、重たい音をたてて、銀の球体が転がってゆきます。
 どこへ、と思う間もなく、獣は額に汗して手のひらに力を込め続けました。
 強い圧力が、手のひらを圧し返してくるのを感じます。
 とても分厚く、また、最高度まで練り上げられた金属自体が、意志を持っているかのように、彼には感じられました。
「…無機物のくせに生意気だ、」
 ボソリと呟かれたあとで、なにかが爆発したような、大きな音が響き渡りました。
 バラバラと無数の球になって、扉が崩れ落ちます。人の頭くらいもある、まぁるい銀の霰でした。それらすべてが、獣を避けて落下します。彼に負けを、認めたからです。

 扉の奥にいた白衣たちが、はっと振り返るのをミュウ・ツーはもはや見もしませんでした。
 その白衣たちの取り囲んだ、見なれた緑色の液体が満たされた水槽を見ました。
 酸素を供給する泡が浮き沈みを繰り返すその水槽の中に、見なれた顔を見ました。探した顔です。
 しかしミュウ・ツーは、その顔に喜びらしきものを浮かべませんでした。
 青白い顔が真っ青に透き通るのを白衣たちは見ました。それは氷がさらに温度を下げるように、冷たく透き通っていくのを見るのと同じことでした。
 獣の銀の髪が、風もないのにゆらりとめくれあがります。

「…、」

 いつか自身が無邪気に遊んだ、積み木のお遊戯でした。
 ミュウ・ツーの頬を撫でた腕は存在しません。
 これは侮辱だと彼は思いました。ずっとずっと、獣自身が受け続けてきた行為でした。それが他者に施されている様を、初めて獣は目の当たりにして、怒りも憤りも通り越して、なにか焼き切れるような気がいたしました。
 緑の水の中、の首だけが眠るように目蓋を閉じています。
 背後のスクリーンいっぱいに流れていた文字の羅列が、急に止まりました。
 ピシリ、ピシリと頑丈なはずの壁に亀裂が入ります。
 その文字列が何を表すのか、意識の表層を常日頃から読む獣には一目でわかっていました。
 あれはの意識だ。
!」
 思わず声をあげていました。
 スクリーンに文字が浮かびます。
『Who?』
「……私だ、」
『ダレ?』
「…ミュウ・ツーだ!!」
 その名を叫ぶのは、間違いなような気がしましたが、獣にはそれ以外、名乗名がありません。文字は沈黙しました。
 息をのむような緊張感が、白衣たちに走ります。

『シラレナイ。』

 簡単な返事でした。
「…お前はか?」
『ja.』
「ならあの続きを、聞かせてくれ。」
『ソノ質問ハ理解デキラレナイ。』
「お前が言いかけた、あの続きが知りたいんだ。」
『続キ―――計算ヲ再開スル。』
「…違う!私のことがわからないのか?」
『私ノコトガワカラナイノカ???』
!」
!』

「…お前は、」

 疲れた、とそう思いました。
 それからミュウ・ツーは水槽の中に浮かぶ哀れな塊を見ました。一目見て悟るべきだったのです。これはもはや、の脳と同じだけの計算能力と処理能力を持つだけのただのプログラム。そこになんお意味も意義もありません。そこに人間はいないのです。

「おまえはではない。」

 それはなんの宣告だったでしょうか。
 確かにそれは、世界を崩壊させる宣言でもありました。そのことを理解できぬほど、この場にいた人間たちは、感情の機敏に疎くはなかったようでした。怖れ慄く声をあげたのは誰でしょう。
 なぜ目の前に、そんなおぞましい己の罪を目の前にして慄かず、ただの暴力の塊にこんなにも怯えるのだろうと、獣は滑稽にすら思いました。
 どうして見えないのだろう。あんなにうつくしかったものを、こんな姿にして。なお何を得ようというのだろう。
「…わからん。」
 その呟きは、おそらくだれにも聴こえなかったでしょう。
 赤と緑、それから白銀が、順々に彼の視界をせわしなく染めていました。
 もうなにも考えるのを止めよう。
 自らの中でとぐろを巻いてのたうちまわり、暴れている、この巨大な力にすべてゆだねてしまおう。
 疲れたようなここちで獣はそう思いました。
 そうしてその瞬間、彼はスクリーンに青白い文字が浮かび上がるのを見ました。

『ねむたい、』

 獣は笑って、手を勢いよく横に薙ぎました。水槽が割れて、緑の水が溢れ出します。それで、それで最後でした。
 もはや獣は、なにも考えません。
 ガラガラと、崩壊を告げる音だけがします。



(110224)