永遠の少年を知っている。
彼は決して大人にならない。だがしかし彼は子供ですらない。
変わることのない形。
少年の形をした、一体君は何者なのか――君の名を知っている。不動にして不変の、君は固定され移ろうことを知らない。永久に孤立し乱立する、たくさんのなかひときわ孤高な彼らのひとり、君の名を知っているよ、美しい子供。君の名前。



「アトムくん。」

緑の中少年が振り返った。
賢そうな丸い目。東洋人らしい、角のとれたまろやかな頬の輪郭。

「アトムくん。」
木漏れ日がいくつもやわらかい柱をつくって揺らいでた。少年は黒い目を妙に穏やかに細めてかすかにわらった。アトムと彼を呼ぶ声の主は、バルコニーに座りにこにこと少年に向かってほほえんでいる。
少年は緑の中その人にほほえむ。重なって響くほほえみは若葉の影にしみいるように溶けていった。
少年はゆったりとその人へ歩き出す。
彼女は立ち上がることはなく、肘掛けに体重を預けて変わらずほほえんだ。

「なんですか、さん。」
少年が子供らしいはきはきとした調子で話す。
それにその人が、「お茶にしませんか。」とおっとり笑みを深めてテーブルを指さした。
真っ白まん丸のテーブルに、クッキーと紅茶がいつの間にか乗っている。緑と花にあふれ帰る魔法のような庭と真っ白なバルコニー。
「いいですね。あ、雨月堂のクッキーだ!」
少年が両手をあげてにっこりわらう。
「食べましょう!」

そう言うと、その人の後ろへ回って車椅子のハンドルをぐっと押した。少し力を込めすぎたのか、椅子がふわり と走る。まあと少女みたいにその人は声をたててわらって、逆に少年は慌ててしまう。
すぐに車椅子のスピード はゆっくりに戻って早くもテーブルについてしまった。
少年が白い椅子によいしょと背伸びをして座るのを眺めながら、目尻のしわをもっと深くしてその人がわらった。まあつまらないもっと走って海まで行ってみたかったのに。
「あなたとなら簡単でしょう?」

それに少年が、紅茶を飲みかけて器を両手で抱えたまま、真剣な瞳をして婦人を見る。
石化した白い皮膚。やせた手の甲。年月の刻んだやわらかい年輪。
その人は若い白樺の木に似ていた。老木とい うには彼女は朗らかで陽気でかわいらしいままだったのだ。緑の光を瞳に写して、彼は少し寂しげにまっすぐな目で彼女を見る。
老いた人。時と共に歩む人。日々変化を重ねやさしく重くなり深く根を張りそして地上を離れて軽くなってゆくその人を。
今は動かない足。カップを持つのに少し震える腕。そのゆるやかな変化を、彼はあ いしていてそしてにくんでいるのかもしれない。
しかし所詮すべては憶測だ。彼以外本当を知らない。

少年が言う。

「また今度海に行きましょう。…絶対ですよ!」
ええ、と肩をすくめてほほえむその人の銀をまぶした髪を眺めながら、少年は紅茶をすする。

緑の中緑の中、ふたりは静かにほほえみあう。懐かしい時を囁きあう。
老人の固い手のひらと少年のなめらかな手のひらが無意識にいつだってさらさらと手を振るようにわらう。さようなら、遠くないいつか、来る別れ道に。
そうしていつかその時は、彼は子供の形の子供のまま、静かに死んでゆくのだろう。



別れ道

それはいつか訪れる遥か。








20070813