彼はじっと見ている。
頭のてっぺんからつまさきまで。その原子の一番端末からその最先端までを。
その女を構成しているものだ。表面ぜんぶだ。
彼の目には、その気になれば女の臓物だってその波打つあたたかい心臓だって見えたけれどそうしようとは思わなかった。そんな必要はないからだ。
そして彼女をじっと見ている自分に気づき、彼は見るのをやめる。
そんな必要はない。必要はないのだ。
(なのにどうして。)
彼はポツリと思う。思うというのも、おかしな話だ。機械に"思う"などという動作ができるのだろうか。why、という電気信号は、的確な回答を探せずに電子の波間に呑まれて消えた。
なぜ、なぜ、と繰り返す微弱な電気信号はうっすらと青く光り、明滅している。
夜の海。そんなヴィジョンがふいに過ぎり、彼は頭を振る。どうにも人間くさくて、いけない。
誤解しそうになるのだ、まるで自分が人間のような。
ばかげた誤作動、馬鹿げたバグだ。ふさげている。ふざけるという表現自体ふざけている。ふざけた機械人形などと、ふざけた存在でしかない。まさに道化だ。馬鹿馬鹿しい。
彼は笑わない。機械だから。
機械人形は笑わない。
ただじっと、人間を見ている。
なぜ?答えはない。ただその問いだけが、真っ暗な青い海のなかゆらゆらと明滅を繰り返す。なぜ、なぜだ、なぜ、なぜ、おまえは、おまえは、なぜだ、どうしてだ、そしてなぜだ、なぜなんだ?
彼はじっと見つめている。何も考えてはいない。ただ、なぜ、という信号だけ繰り返す。なぜ、なぜ。答えはない。
彼は両手を祈るように擦り合わせて顎へ持っていった。そうして座っている様子は、そうだね、本当に人間によく似ている。
「エプシロン。」
ふいに彼女が、彼のほうを向いて名前を読んだ。
彼は思考を打ち切り、(暗い海から上がる。)顔を上げる。今までじっと見ていたということを感じさせず、彼は今まさに彼女の存在に初めて気づいたかのように微笑み、名を呼ぶ。
「、」
その言葉をどれだけ美しい響きで呼んでいることか、彼は気づいているのだろうか。
忘れられ押し込められた無意識の下でまだ問いは繰り返している。なぜ、なぜ、なぜ…。再びここへ潜ってくるのを、じつと待っている。
20080628