五月の、いーい天気。光に透けて、緑がそこら一面に溢れかえっている。真っ青な空に雲がぷかぷか。
どこからともなく風に乗って、シャボン玉が流れてきた。太陽の光を反射して、虹のきらめきを閉じ込めて。シャボン玉がふわりふわりと、幾つも幾つも流れてく。
「ジェームズ、あんたいい加減にしなさいよ。」
呆れ切った様子で、が息を吐き出たしたら、プカリとシャボン玉が浮かんだ。七色のビードロみたいなシャボン玉は、緑の光の中をプカプカ浮かんでぱちんと弾ける。それにジェームズは、耳の穴から細かなシャボン玉を噴出し続けながら、面目ない、と言ってニカッと笑った。
「ぜんっぜん!反省してないじゃない!」
「お前なぁ、反省くらい猿でもできるぞ!」
とシリウスの言葉は見事に重なって、大きな声の二人の間に挟まれたジェームズは思わず耳を塞いだ。そうしたらシャボン玉が鼻から幾つも幾つも飛び出して、ものすごく間抜けになった。シリウスもも、うげえ、と言いながら、そのシャボン玉を避けてシッシと手で風を起こしてはらう。好んで触れたいものじゃない。しかしかく言うシリウスも、さっきからずうっと右耳と口からシャボン玉を吐き出し続けている。
さて、この三人は、今日のこの穏やかな昼下がり、こんな調子じゃ授業にも出られないっていうので中庭でサボタージュと決め込んでいたのだけれど、プカプカシャボン玉が飛び出して大層目立つものだから、その隠れ場所に困った。結局堂々としてた方が目立たないものさ!と言うジェームズに従って、堂々と、中庭のど真ん中の木の上、に落ち着いて、健やかな緑の風にしゃぼんを浮かべている。
「あーあ!あんたのせいで私までこんな目に合っちゃって!馬鹿!ほんと馬鹿!リリーとの友情にまたヒビ入ったじゃないばーか!」
「ほんとだよお前のせいだぞ俺達関係ねーのに!俺この後せっかくメリーベルと同じ授業だったのに!ばーか!ばーか!」
ねー!なー!と言って肩を組んでジェームズに仲良く文句を言うふたりに、彼はシクシクとへったくそな泣き真似をする。
「うっうううううっうううああ…だって仕方ないじゃんシクシク、エヴァンズは蛙が好きなくせにモリアオガエルだけはダメだなんてボク知らなかったんだよめそめそ…。」
ゲコ、とタイミングよくジェームズのもじゃもじゃ頭からきれいな青緑をした蛙が目玉をクリクリさせて顔を出した。蛙好きな彼女のためにと、ジェームズがの祖父母経由でわざわざ日本から直輸入したのである。
しかしそのプレゼント大作戦は例のごとくことごとく失敗し、彼女の逆鱗に触れ、見事天晴れな返り討ちに遭い、そして近くにいた二人がバッチリとばっちり、という今時ギャグ漫画でももう少し捻ったオチつけてくるぞ、とでもいいたくなるような結果を被ったのだった。
ジェームズの頭の上で鳴く蛙は、ツヤツヤした翡翠色が本当にかわいくって愛嬌があって、見ている分にはシリウスももそれなりに癒されるのだけれど、やはり、その蛙の乗っかった眼鏡の男を見ると、どうにもげんなりしてしまう。
しょっちゅう二次災害に巻き込まれる二人が、同時に似たような溜息を吐いたとき、ジェームズの眼鏡が怪しくきらめいたのだった。
「ねえねえ!こうなったら次は君から…!!」
「いやだよ!最近ますますあんたのせいでリリーに嫌われそうなんだから!」
即答だ。
酷い!と言ってしなをつくって傾れかかったジェームズを、シリウスは心底嫌そうな顔をして避けた。しかしここは樹上である。いくらこの木が樹齢150年の大木だって、所詮枝の上。おっとっと、とバランスを崩したジェームズは、持ち前の運動神経で脚だけで据わっていた枝を挟み込むと、ぶらりと逆さにぶら下がった。蛙がゲコゲコと悲鳴を上げるので、シリウスは面倒くさそうに手を差し出して蛙だけ救出する。
頭に血が上れば、少しはその脳に栄養が行くかもしれない。いや、栄養は十分なのだろうが、栄養が偏っている。満遍なく行き渡れ、血よ。そしてこいつに常識と理性と言う名の知性を与えてやってくれ。無理な願いだからこそ願いというのである。ああ、人生ってなんて世知辛い。この年で悟りたくもないことを悟ったような気分になる。
逆さにぶら下がったまま、わははと笑うジェームズに、もう一度ふたりは溜息を吐いた。
「ねーいいじゃんっち!僕ら幼馴染だよね!もう十数年来の付き合いだよね!?昔はジェーちゃんちゃんと呼び合ったそれはもうナカムツマジイ二人だったよね!?」
「ええい過去を捏造するなこのコウモリ眼鏡!あんたとリリーだったら迷うまでもなくリリーを選ぶわい!」
は思わずジェームズのぶら下がるその枝を切り落としたくなった。が、しかしそこは、ジェームズの台詞の中の唯一の真実幼馴染十数年来の付き合いという部分に免じて耐えてやる。
でも一回だけな。二度目はないと思え。心の中でどす黒く念じて、は辛うじて笑みを作った。その無理が溢れる笑みに、シリウスがうわあとドン引きしているので、その怒りをそのまま、シリウスのほうに向けておくことにする。
ギロリと睨まれ、ヒッと息を詰まらせたシリウスが哀れだ。おまけに耳と口からシャボン玉を出したままの状態なので、これでは男前も台無し。アグロのいないワンダ、光るしっぽのないとかげである。
「じゃあシリウス!僕のために一肌脱いでくれたまえ!君が悪の大王シリ☆ブラとしてリリーに襲い掛かったところを正義の使者ジェームズ仮面がかっこよく撃退!ありがとうございましたあなたは一体…?ふっふっふ僕だよリリー!まあ!ジェームズだったのねかっこはーと!っていう「却下だ却下!んなことしてたまるかしかも嫌な略し方すんなよ☆ってなんだよしかもお前普通そういうときは名乗るほどのものではございませんとか言って去るのがセオリーだろかっこはーととか絶対エヴァンズは言わねえ!!」
肩で息をしながら全力で突っ込むシリウスはますます哀れを誘う。まるでこれじゃボケばかりのバラエティーにひとり投下された若手のツッコミである。その手がばっちり裏拳をかましている辺り、ツッコミ気質なのかもしれない。その肩で蛙が相槌打つようにゲコ、と鳴いた。
しかし当のボケ、ことジェームズはそんなツッコミ何処吹く風で、あー頭に血が上ってきたよー世界が逆さだよーと暢気に歌いだした。ああ、本当にどうしようもない。
どうしようもない男を幼馴染に持ってしまったと、どうしようもない男と親友になってしまったシリウスは、やっぱり顔を見合わせて溜息を吐く。二人の口からはぷっくりと見事なシャボン玉が生まれて風に流れていった。
ああああのシャボン玉の中に幸せ詰まってて逃げてったんだぜ今、とどちらともなく呟いてふたりはがっくり肩を落とした。ジェームズの耳からは、未だシャボン玉がポコポコポコポコ無数に飛び出している。ジェームズは音痴で、さっきからでたらめに節をつけて頭に血が上ったと歌い続けているし、あとの二人ももちろんシャボン玉を噴出している。
どうしようもない午後の、どうしようもない男とどうにもできない友人二人は、樹上でめいめい、違う溜息を吐いた。
「ねえねえ!じゃあ今度はこんな作戦どーお!?」
懲りない眼鏡の、口から飛び出た奇想天外な発想を、どう止めようか、まずそこからふたりは始めなくてはならない。励ますように蛙が鳴いた。いい加減諦めろよ…どちらともなく発された言葉に、眼鏡をきらめかせ、ジェームズが高笑う。不撓不屈の恋の鬼シーカー、ジェームズ様たあ俺のことだ!
あーああ!シリウスとはやっぱり、と苦笑してまた溜息を吐いた。
「お前さ、悪戯なら喜んでいっくらでも付き合ってやるからさ、お前のエヴァンズのキューピットだけはもう、」
「そうそう、私だってそうなったらフィルチに抱きついてチューして来たげるからさ…」
ふたりが話すその度に、シャボン玉がその度に、ふわふわとこぼれてく。風に流れて、ふわふわあちらこちらへ散っていく。
素敵な午後なのに。いい天気なのに。
遠くでチャイムが鳴った。城の方から、ざわざわと楽しげな声が聞こえだす。
「あ、シャボン玉!」
新入生の小さな男の子たちが、楽しそうにそれを追いかけ始めた。何処から来たんだろう、キョロキョロあたりを見渡す者、魔法で撃ち落とし遊びを始める者、シャボンを引き寄せて窓を磨いてみたり、目の前に飛んできたそれをふうっと優しく吹いてみたりと様々だ。けれどもどの顔も、いい天気の五月にはぴったりの楽しそうな笑顔で、緑の風がいい具合に吹き抜けていく。
「どーうすっかな。」
「だからさー!」
「ちょっと黙っててくれる?」
樹上では三人と一匹が、のんびりシャボンが治まるのを待ちながら、眼鏡の親友の恋に頭を悩ませている。





20080515/薺っちだいすき!