ああちっくしょう!悔しいやらうれしいやらびっくりしたやらでは涙が止まらなかった。
素晴らしい音楽、素晴らしい音楽だった。
惜しみない拍手が、ステージに送られる。眼鏡のまだ若い指揮者が溌剌と両腕を広げて何度も礼をする。どう言葉にしたらいいんだろう。キラキラとかがやいて、まるで御伽噺のような、コンサートだった。「ブラーボ!!」客席のどこかで声が上がる。拍手はまるで止まない。背の高いコンマスと指揮者が握手をする。大きくなる拍手。スタンディングオベーション。
は涙で顔をくしゃくしゃにさせて笑った。
「やりやがったなちっくしょう。」
座っているのはもうほとんど彼女だけで、逆にひどく目立った。けれどそんなこと、考えられない。
くすんだ金の髪をした、ピアニストが立ち上がる。指揮者に大きな身振りで示されて、彼は少しはにかんだようにゆったりと笑った。
ああ悔しい悔しいうれしい!まだ先ほどの音が渦を巻いて胸の辺りにうわんうわんこだましている。なんて音楽だ!

『オーケストラ界に、今物申す!』
なんて大げさなアオリ文のついた、いかにも手作りのちいさなDM。場所は町のホール。小編成ではあるが立派なオーケストラ。どこかで聞いた名前ばかりが軒を連ねてる。
『ピアノ:           』
そこでの目はギクリと止まった。
「リーマス、…」
ジョン・ルーピン。
その名前。

気づけば高かった有名なオケのチケットはキャンセルで。こんな小さな、町外れのホール。
その中の大きな拍手の渦の中。
は自分でもびっくりするほど、嬉しさとおどろきに涙で顔をくしゃくしゃにしていた。



***


『…これからはどうするの?』
西日が斜めに射していた。茜色の空に藍色の雲が滲む。彼のくすんだ金の髪の先が、陽に溶けるように光っている。
ゆうがただ。とは考えていた。5時半くらいだろうか。昨日の夕焼けとはまるで違って見える。
昨日雨が降ったからかな、晴れてよかったねぇなんて今朝の会話を思い出した。
『どうするって…知ってるでしょう、就職決まったの。』
『…知ってるよ。』
『なら、』
。』
彼は泣きそうな顔をしてのことを呼んだ。変なのって場違いみたいにぼんやり考えたのをは覚えてる。西日が左頬に当たってすこしあついくらい。
、ピアノを止めてしまう?』
『え…?止めないよ。』
は曖昧にほほえんだ。
『今更止められるわけ、『嘘だ。』

はっとして顔をあげると彼がじっとを見ていた。どれくらい、ふたりは互いをただじっと伺うように見つめあっていただろう。ふと、ほた、とたったひとつぶ彼の右目から涙が落ちた。
は立ち竦んだまま動けなかった。だって、リーマスが、泣いていた。ほんの少したったひとつぶ、だけれどそれでも。(ああもう一緒にはいられない。)

『嘘だろう?ピアノなんて止めてしまうくせに。』
リーマスはしみじみと、穏やかに優しい調子でそう言った。それはなんだか、いっそう夕焼けとリーマスの涙を
美しく、の強ばった顔を青ざめさせた。
『忙しいからって君は笑って、』
リーマスの目がを見ていた。
『止めてしまうんだろう?』
リーマスがゆっくりと瞬いた。それはまるで幻のようにスロウで、髪の毛と同じ、睫の先が陽に溶けるように光
っていた。
『それでもう僕と連弾もしないし、』
ふたりで座るには窮屈だったピアノの椅子。
『ピアノと一緒に歌ったりふざけて演歌をオペラにもしないし、』
私声楽でもいけたとおもわない?冗談!なんて内緒のおしゃべり。
『並んで楽譜を探しに行くのも、』
楽器屋にならんだ真新しい五線紙の臭い。
『楽器屋のピアノで小銭を儲けてアイスを買うのも、』
そうだったね、冬は肉まん(君はココアまんだよねぇ)をたまぁに買った。
『もうしないんだろう?』
リーマスがほほえむ。今まで見た中でいっとう優しくて、一等遠い微笑だった。
その諦めきった穏やかな微笑を思い出す。そうかもしれないね、そう静かにポツリと答えたに、彼は少しうなだれて笑った。

『…さよならなんだね?』
確かめるように囁かれた言葉。
『…卒業だもの。』
陽はすっかり落ちた。

『帰ろうか。』
いつもと変わらない調子でリーマスが言った。
『うん。』
『送っていくよ。』
『ありがと。』
『…ううん、いいんだ。』
『…ね、リーマス。』
『なに?』
『ピアノ…がんばって、ね。』
『…うん。』
『止めないで、ね。』
『うん。』
任せて、とリーマスはやっと少し心の底から笑った。さよならリーマスさよならピアノ私の音楽私の、私の。


***


壇上からぐるりと客席を見回したリーマスの視線が、はっとまだ座りっぱなしののところで止まった。はぐいっと目元を拭って立ち上がる。
「ブラーボ!」
が叫ぶ。
「トレビアン!」
叫びながら頭の隅っこでまだ花屋はやってるかしらって考える。
店中の花を買い占めて君に投げつけてやろうリーマス!
リーマスが目を丸くして笑ってた。隣で指揮者が楽しそうに礼をしていて、背の高いコンマスは、なにやら不思議そうにリーマスに耳打ちしている。器用に片目だけを瞑ることができないリーマスは、口端をちょっと持ち上げながら、にむかって瞬きをした。



『なあ…誰。あれ?』
『ん?…僕の一等好きな音楽家。』










20071123/主催なのに遅くなりましたアアアアアァァ!参加者の皆様、ならびに応援してくださっている皆様、
そしてご覧になってくださっている皆さんにこの場を借りて感謝の花束を!ほんとうにありがとうございます!!