満月の夜にだけ現れる、果たしてあの娘は、実在するのであろうか。誰も知らない、だぁれも知らない。
 それはいないのと同じことだろうか。
 リーマスだけが知っている。しかし彼は狂った狼男であった。満月の自らが、本当に正気かなど、わかるはずがない。元より狂っているやもしれぬというのに。
 あああの美しい女は、その狂気の名は、すべてみな幻男の妄想だろうか。
 リーマスは目を瞑る。
 それだけで、なぜだろう、その目蓋の裏の薄暗がりに、その女がいるように思われた。銀の髪、満月の青い光に透き通らせて、白すぎる顔色で、リーマスの名を呼ぶ。
 それはもしかしたら、月の精かなにかで、彼を狂気の向こう側へ橋渡しするために現れていたのだろうか。それとも彼自身の狂気から生まれた、美しい夢だろうか。
 今まで当然のように、リーマスは彼女のことをと呼び、リーマスと同じに、満月に苦しめられる子供であると認識していた。
 だが気づけばどうだ、彼はもうすっかり大人であり、その手のひらを見る。大きな手のひらにはいくつか薄っすらと、傷が滲んでいる。幼い頃を思い出してみると、同じように幼い彼女が存在している。今と同じように、美しく虚ろで寂しい目玉をして。
 だが、彼女はいつからいたのだろうか。そうしてどこからきたのだろうか。彼女の病気は?満月の夜、彼女の額に浮かぶ苦い汗の理由は?
 男は何も知らなかった。
 窓の外へ目をやると、美しい月。もうほとんどぎりぎりまで光に満ちて、あと一筋で、完璧な満月となる。
 ふと振り返ると、背筋をまっすぐにしてが立っていた。音もなく、まるで最初からそこにいたかのように、静かに。月明かりに濡れたような髪と、やはりその胡乱で寂しそうな瞳。不思議な銀蒼の虹彩。リーマスはそおっと微笑みながら、まっすぐに立ち彼を見つめるの足元に膝を着いた。
 は少しばかり戸惑ったように男を見下ろし、彼は薄っすらと微笑むとその細い両の手のひらをそのおおきな手のひらで包んだ。ひんやりと冷たい。そのままその手に、額をこすりつける。
「…、」
 リーマスの声は穏やかに低く、満月の夜色のような美しいヴェルヴェットの質感をしている。
「君はいつも一緒にいてくれた…今もここにいるよね?」
 噫、と合点のいったように女は静かに頷き、彼の手から自分の左の手だけそおっと抜き取るとそれを男の背中に添えた。
「リーマスは本当にここにいる?」
 噫、と頷きながらリーマスはその手のひらに鼻頭を寄せ、目を瞑る。犬や狼が、親愛の情を示す様子によく似ている。
 彼女もまた、同じだのだろう。リーマスが果たして本当に実在するのか、満月の狂気の産物なのか、恐れている。
 恐れるならば確かめればいい。実際何度も満月の夜以外にも出会ったが、それらもすべて、不思議で非現実な遭遇の仕方ばかり。
 現実的に、住所と名前とそういったものを言い合って、お互いダイアゴン横丁のカフェででも落ち合えばいい。それができないのは、恐れているからだ。
 彼女はここにいる。ならば自分は、ここにいるのだろうか。
 彼女の狂気の産物だろうか。
 手のひらからはやさしい花の香りがする。
 、喉の奥で名前を呼んで、リーマスは強くその手を握った。












20080723