目を閉じるとすぐ、浮かび上がる人がいる。白い光の逆光で、微笑は少し、見えづらい。けれどもその人は確かに微笑む。リーマスに向かって。
彼は職を追われて違う街へ向かう汽車の中、慣れない新しい街角、誰もいない真っ白な夜、不思議に青い夢の中――必ずぴったり目蓋を閉じて、その人を思い浮かべるようにしている。すると深い海の底にゆったりと沈みながら眠りにつくような、穏やかな気持ちになれるように思うから。底までついたらそのまま泳いで、青暗い鯨の航路を辿って、あの白い煉瓦の街へ帰れるのではないかと思う。三月の花が咲いていた。スイートピーの香り。思い出せば優しくなれるもの、きっと誰にでもあるだろう。夕焼け空のスピカ、日向の猫、しあわせのクローバー、そしてあの人。星明りを背にして微笑う、リーマスにたったひとつのエトワール。
いつか通った白い街、牛乳配達の赤い自転車が下る坂道の途中で擦れ違っただけ。ただそれだけの人。青鶫が波間を泳いで宙を舞い、土耳古桔梗が星を敷き詰めたみたく空気の対流するのに合わせて揺れる。そんな坂道の途中だ。
リーマスは坂を昇り、彼女は下ってきた。いつも朝日の逆光、白い光の中彼女は下ってくる、リーマスに向かって。
たった一度交わした『アロウ』を、宝石のように思う。銀色の小箱に鍵かけて、お星様そっと隠すみたいに、大切にとっている自分を、まったく馬鹿だな、と笑いきることができないのでリーマスは少し困る。だってあんまり、まだ早い朝、白い暗闇を、光を背負って下ってくるあの人は――。
リーマスは名残惜しみながら金の睫震わせて目蓋を開ける。焦がした琥珀を煮詰めた目玉が、群青色の丸天井にひとつ、開いた小さな穴から漏れる光を見る。あれは星だね、一番星だ。どこかで子供が泣いている。夜が来るね、真っ白な夜が。
静かで月のない、水底の夜が来る。
こんな日はやはりもう一度、今度はしっかり毛布の中で目を閉じて、あの星を眺めていようとリーマスはただ思うのだ。スピカよりもずっと明るい、或る春に出ていた星のこと。 |