ちょうしっぱずれで的外れな歌を、が歌ってる。
 春の光は穏やかで、リーマスは泣いていた顔見られたくないので長い前髪で隠すようにして、俯いて一生懸命目を擦ってた。参るなあ、なんだって人が泣いてるときに、は突然現れて、となりに座ったりするのかしら!くりっとした目が猫みたいなは、行動も猫みたい。するりと現れて、すとんとそこにいる。こっちの都合なんておかまいなし。あるいはこっちの都合をとってもとっても機敏に読み取って。
 裏庭のポーチにはめったに人がこないから、リーマスには都合がよかった。なのにやってきたが、隣で足をブラブラさせながら楽しそうに歌ってる。
 泣かせてくれないかなあ、時々僕は、とてもとてもさびしい。
 一生懸命目をこすり続けていると、ようやくが、顔をリーマスのほうに向けた。前髪の間から盗み見ていたの知られたくないし、泣きべそだって見られたくないから、リーマスぱっと視線を落とす。しばらくそんなリーマスの様子をはじっと見つめていて、「擦ると赤くなるよ。」と言った。

「泣いてるの。」
「泣いてないよ。」
「嘘ついてるね。」
「嘘ついてないよ。」

 リーマスは嘘つきだ。だからこれくらいの嘘では、もうあんまり心は痛まないし、なによりばればれだと自分でも思う。なんてお粗末な嘘だ!もっとうまく嘘はつかなくちゃ。でもリーマスが普段からつき続けてる嘘があんまり大きくて重くて、(だって僕は人間ですだなんて!)だから時々、こういう小さな嘘のさじ加減がわからなくなるのだ。
「…誰かと喧嘩したのかね。」
「喧嘩なんてしないよ。」
「お腹痛いのかね。」
「痛くないよ。」
 の予想ったらほんとに的外れもいいところ。いちいち否定しながら、なんだかリーマスはあきれてしまった。は目をくりくり開いて、じっとリーマスに視線を注いでる。

「わかった、君、」
 リーマスはぎょっとして腰を浮かせた。
 の目。真っ暗でリーマスは時々おそろしくなる。本当はときどき、なにもかもわかっているんじゃないだろうかとヒヤリとさせられる目。こんな明るい春の日向の中ででも、その目は夜の色しているから。その目玉の虹彩は満月何じゃないかしらって思うくらいに、明るい光を潜めてるから。だからその目にじっと見られると、リーマスは、満月の晩、自分の正面に割れない鏡を置かれたような、そんな気分になってしまうのだ。

「君、お腹空いてるんだ。」

 そうでしょう、と得意げに笑ったに、リーマスは思わず顔を上げてしまった。少し赤くなった目の縁から、ほとんど乾きかけてた最後の涙がひとつぶコロリ。それを見てはやっぱりね、とますます口端を持ち上げる。
「え、」
「お腹が空くとねぇ、人間切なくなるものなんだよ…。」
「えええ、」
 さて、リーマス君。が背筋をピンと伸ばして、すこし笑う。ああやっぱりなにもかもわかってるんじゃないだろうか、リーマスはもうポカンとして成り行きを見つめるばかりだ。は楽しそうに、カーディガンのポケットに手をやる。

「このポケットには何が入っているでしょう?」

 なんだろう。女の子のポケットに入っていそうなもの、お菓子かな、リップクリームとか、あとハンカチ、それから?ちり紙かな。それとも鏡?髪止めとか、まさか蛙の卵ではないと思うのだけれど。ううんと唸って考え出したリーマスに、が笑った。
「ポケットの中にはビスケットがひとつ!」
 変な歌だった。言葉の通りに、のポケットからはまん丸のビスケットが一つ。満月の形なのに怖くないな、どうしてだろう。リーマスは一瞬、思考がそちらへ引っ張られるのを感じる。
「しかし今ここには君と私の二人しかいない。さて、どうしよう?」
「…君が食べればい」
「お腹空いて切ないのは君だよ。リーマス・J・ルーピン。」
「…じゃあ僕にぜん」
「私も腹が減って少しばかり切ないのだよ。」
「はんぶんこすればいい。」
 その言葉にがそうだね、と急に年長者のように笑い、リーマスは自分が子供になったように思う。は笑いながら、ビスケットをポケットに戻した。まんまるが隠れる。どうして名残惜しく思うのかな、またリーマスは意識がそちらへ引っ張られる。
「今まで秘密にしていたけどね、」
 なんだかいとおしそうにしまったビスケットをポケットの上からが手のひらでやんわりと触れる。それはとても優しい眼差しと動作で、リーマスはぽかんとしてしまった。
「実はこのポケットはとってもすてきなポッケなんだよ。」
 なにそれ?と言おうとリーマスがすると、は小さくまたあのへんてこな歌口ずさんだ。ポケットの中にはビスケットがひとつ。ポンと軽くポケットを叩いて、の歌が続く。ポケットを叩くと、
「ビスケットが、増える。」
 秘密めいた笑みだった。の白くて細い手がポケットに再び戻り、取り出したのはまんまるいビスケット、二枚。あ、と目を丸くしたリーマスにが笑って、「君はいくつ欲しい?」と訊ねた。
「え?」

「君は、いくつ欲しい?」

 優しい目。なにか違うことを、リーマスに訊ねてる。ああそうか、まんまるなのに怖くないのは、あれはお月様じゃなくてお日様だからだな。関係のないことを、リーマスの頭が勝手に考えている。は不思議な微笑のまま、リーマスに問い続ける。君はいくつ欲しいのかい。しばらく沈黙が続いて、その間も百色の日光がうらうらと二人の上に落ちてた。芽吹いた新芽の薄緑、の横顔を照らす。黙ったまんまのリーマスに、がもう一度、そっと笑った。
「…私が、」
 リーマスは目を丸くして、を見た。
「私が、君の望むだけポッケを叩いてあげるから安心しなさい。」
 わははと笑ってがポケットに二枚に増えたビスケットをしまう。二枚が四枚、四枚が八枚、八枚なら十六枚で、十六枚なら三十二枚。君が望むだけ、とが笑う。それはもう豪快な感じに、神様みたいに。

「…いいなあ、ポケット。」
 思わずリーマスの口から出た言葉はほんとうに無意識で、だから本音だった。いいなあ。そんなポケット。僕には君に増やして渡せるもの、ひとつもないんだ。
「…そんなポケット、欲しいなぁ。」
 なんだかさっきとは違う、涙が出た。
「君も持ってるじゃないかすてきなポッケ。」
 が笑って、自分のポケットからビスケット一枚取り出すとリーマスのポケットにひょいと放り込んだ。
「え、」
「叩いてごらん。君のポッケも魔法のポッケだ。」
 やっぱりわははと笑いながら、がポンポン自分のポッケを叩く。その度にポケットの中身が、少しずつ増えているのがカーディガンの生地の上からでもわかって、リーマスはまたひとつぶこぼれた涙も忘れてそれを見つめる。
「さあ、」
 不思議な微笑だ。リーマスは小さな子供がするように、言われたとおり、そおっとポケットを叩いた。
「見てみなよ。」
 ポケットの中には、
「…増えてる。」
 リーマスが摘み上げたのは二枚のビスケット。どうしてだか安心してしまって、リーマスはまた涙が出た。が笑って、「君のビスケットはおいしそうだなあ!」って言う。まんまるでこんがり焼けてて、すてきなビスケットだ。あんまり真面目な顔でが言うから、リーマスは照れくさくて笑ってしまう。泣いたり笑ったり、忙しいやつだね、とが笑うと、
「君のビスケット、一枚ちょうだい。」
 言うなり、さっさとリーマスの手から一枚増えたばっかりのビスケットをさらって、はリーマスの膝に二百五十六枚にまで増えたビスケットをあけた。
「わ!わ!」
 これじゃビスケットの洪水だ。立ち上がることもできなくなったリーマスの横で、ビスケットかじりながら満足そうにが立ち上がる。
「え!え!」
「じゃあなリーマス!たくさん食っておっきくなるんだよー!」
「えええー!」

 ヒラリと身も軽く、がポーチから飛び降りる。本当に、猫みたいだ。まったくこの今にも膝から溢れてこぼれそうなビスケットじゃ、おっかけることもできやしない。これぜんぶひとりで食べろって言うのかい。けれどもなんだか、え、だとか、あ、だとか以外の言葉が見つからなくってリーマスは困った。だから少し先を、明るい色した髪の毛日光に揺らしながら駆け去ってゆくを見やるしかない。が笑う。スカートの裾が、髪と同じ動きでひらめく。

 道の向こうでくるりと振り返って、が大きな声で笑った。
「リーマスのビスケット、おいしいね!」
「え、」
 はぶんぶん手を振っている。
「どうもありがとう!」
 そしてまた、わははと笑いながら彼女が去ってゆこうとするものだから、リーマスは思わず「!」立ち上がってしまった。ビスケットがザ、っとあたりに散らばるけれど、リーマスは頭の中がひとつのことでいっぱいで気づかなかった。はきょとりと振り返って、リーマスはこぶしを握って少し顔を赤くしてる。
「ぼ、僕もありがとう!」
 どういたしまして!とが笑ってそれから今度こそどっかへ走って行ってしまった。
「…参ったなあ。」
 こんなに一人でどうしろって言うんだろう。拾い集めながら、すると何人か、おすそ分けできる同い年の少年少女の顔が浮かんできて、それから髭の校長先生だとか、少し上の赤毛の先輩だとか、ああ何人かどころじゃない、何枚ずつならおすそ分けできるかな。そう考えたらリーマスの手は止まってしまった。ああまだ随分残ってる。芝生のうえに転がったいくつものお日様、眺めながら、リーマスはまた少し違う泣き方をした。一枚掬って、端の方だけ齧ったら甘くてさくさくこんがり焼けて日向の味、とてもおいしかった。



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20090310