06

 少年からはいつも、どこかさびしい秘密のにおいがした。
 セピアにくすんだ金の髪をした少年は、常にひっそりと、明るい少年少女の輪の中心にあってなお、ひっそりとした佇まいをしていた。その髪と同じ色をした、長いまつげの下、白く薄いまぶたが伏せられる時、たいてい彼は、黄金を煮詰めた琥珀の目で、なにか、なにか思考に耽っていた。名を呼べば、ふっとわらって、その彼の、彼だけのなにかは見えなくなるのだけれど、それでも彼はいつも、なにかを思考し続けているようだった。
 誰にもわからないよ。とその横顔が諦めたように青ざめている。
 …君なら。
 少年の目はいつからか、時折縋るような真剣な目をして少女を見ている。
 君ならわかってくれる?


 頬を真っ白にして、帰ってきた少女は、困ったような微笑して静かに「おかえり」と彼女を談話室に迎え入れた少年の襟元から、やはりそのにおいをかぎとった。
 あなたは私に似ている。
 時折少女は、どうしようもなくそう感じることがある。
 少年の美しい顔に、影を落とす秘密は、少女の頬に、影を落とすその死の秘密に、なんだか少し似ているように思われた。

 リーマス、さみしいの?なにかがかなしいの?
 彼女はふいに、そう尋ねてみたくなる時がある。けれども結局その問いかけを口にしないのは、彼女自身の秘密と少年との穏やかな調和を、失わないためだった。問えば同じ問いが投げかけられるだろう。
 、さみしいのかい?なにか、かなしいの?
 少年もまた、自らの秘密を嗅ぎ取り、気付いていながら、黙っている。たがいがたがいに、隠し事をしていることをしっていて、それを黙認している。
 どうして?
 黙っていれば、たずねなければ、知らないふりをしていれば。優しいままであれるから。尋ねられれば答えねばならぬ。答えられれば自らも問いに答えなくてはならぬ。
 答えたくなかった。二人ともだ。
 答えれば口は嘘をつく。真実を語ることは、あまりに己を傷つける。そしてあなたに、嘘はつきたくないからと、どこか遠くで"私"が囁く。

「…おかえり。」

 遅かったね、と口には出さず、眉の少しあがったかんじで、彼はそれを表した。
 もちろんそれを感じ取ると、は肩をすくめて、「ごめんなさい」と薄くわらった。その頬の透き通った白さに、少年がぎょっとするのも知らずに。
「どれだけ外にいたの?」
 思わず少年に尋ねられて、初めて彼女は、自らが冷え切っているのに気づいた。
 やがて呼吸を止めればもっと、つめたくなるのよ。そう思ったが、口にしては言わなかった。
「リリーがずいぶん心配してね、探し回って、さっきまで君を待っていたんだけど。」
 そっと視線で示された先、談話室のソファに、の友人でルームメイトのリリーが座ったまま眠っていた。燃えるような赤毛が、暖炉の火に照らされて、星の粉でもまぶしたようだった。美しい少女。その頬はばら色で、健康そのものだ。
 リリーが待っていてくれた。
 そのことにほっとして、涙が出そうなほどうれしいのに、同時にどこか、心臓が痛む。
 そっと胸を押さえたを、少年は静かに首を傾げて見下ろして、それから「さあ、」と彼女を中へ促した。まだ廊下に立ったままだったのだ。

 額をまたぎ越して、足が絨毯の上につくと、とたんぶるりと、彼女の背を寒気が走った。確かにずいぶん、ながく外にいたらしい。
 あの丘はあんなにも優しく明るい日差しにくるまれてあたたかだったのに。
 丘を下るほどに気温は下がり、そうだまだ春は浅いのだと気づかされた。
「ほら、こんなに冷えて、」
 少し、少年の指先が少女の頬に触れた。壊れかけた心臓が、コトリと鳴る。が目を丸くする前に、繊細な指先は離れて、少年は彼女に背を向けた。
「今ココア淹れるから、ちょっと待っておいでね。」
 彼はに背中を向けたままだから、見えるわけがないのに思わず彼女は頷いた。
 そのままストンと、空いたソファに腰を下ろす。

 廊下からは背もたれの影になって見えなかったが、ソファにはリリーだけではない、ジェームズにシリウス、ピーターも一緒になって、座ったまんま、眠っている。毛布をかけたのはきっとリーマスだろう。
 四人が並んで、互いの肩に頭を預けている様子を眺めながら、その眠ってしまうまでの様子を想像すると、なんだかほほえましい気持ちになる。

「みんな待ってたんだよ。」
 待ちくたびれて眠ってしまったけど、と笑いながら、少年が戻ってきた。
 手には湯気のたつ白いカップがふたつ。白磁のすべすべとした白は、いつだってあまやかな砂糖菓子に似ている。受け取りながら、その熱さに、指先がじんと痺れるようには思った。
 ココアの甘いにおい。それはいつも、少女にこの少年を想起させる。
 ひとくち口に含むと、温かさがお腹の底に貯まるようだった。ほっと息をついた少女を年長者のような目で眺めながら、少年は少し目元を緩める。その様子はほんとうに優しくて、はうっかり、なにもかも話してしまいたいような気分に陥る。
 ―――噫、いやだな。
 けれども結局何も言わず、少女は少し、目を瞑る。
 こんなときでも、いつでも、考えてしまう。この場に私がいなくなる。その決まりきった未来。それでも生きて変わらずに進んでゆく、すこやかな友人たちのこと。その首を流れる熱い血の、止まらないこと、あたたかいこと。
 それはかなしみだろうか?きょうふだろうか?うらやましい、それすらも含んでいる。

 ねえ、リーマス。
 やはり彼女は、いつもふいに襲われるあの感覚を背中に感じた。
 あなたに話してみたい。私が死ぬこと。あなたに尋ねてみたい。私が死んだあとのこと。
 けれでもやはり、その言葉は喉に詰まって、ココアと一緒に再び底のほうへ押し込まれてしまう。

 ねえ、
 彼の喉元にもやはり、言葉が詰まっている。
 夕食にも出ないで、こんな時間まで、そんな青白い顔をして、城の外にいたの、どこにいたの、なにをしていたの?ねえ、どうして君はいつもかなしそうなの?

 それを知っていながら、やはりは、ただ静かにココアをちびりちびりと飲み続けた。飲み終わるのが惜しいと言わんばかりに、少しずつ。
 時間と同じだ。その一瞬一瞬どれもが大切で、いとおしくて、少しにくらしく、それでも足りないほどにとうとくて。惜しむように、少しずつ、少しずつ。
 友人たちの、寝息が聞こえる。やさしい遠い音楽に似た、やすらかな音色。
 それでも確かに、時は消費されるのだ。彼女の心臓に、綻びばかり貯めるようにして、ゆっくりゆっくりと、しかし忍び寄る影の早さで。



(100806)