どうしてリーマスは、に病気のことを言わないの、と赤毛の少女が不思議そうに首を傾げた。君にはわからないよと、思っただけで彼は何も言わなかった。
「はあなたが心配する必要のある子じゃないわ!」
そんなの誰より知っていた。
おそらくあの少女は、他の誰より先に、彼の秘密を知ってすらいたのだ。その内容は知らずとも、どういった類の秘密で、触れられたくないことであることも。その傷口を開いて、かつて少年少女たちがその塞がった傷の中に残されていた刃の欠片を幾つも取り去った。それは少年にとっては確かな救済で、初めて触れてくれたその優しさも勇気も、尊い贈り物のように感じられた。
しかしそれでも、あの少女だけは。
リーマスは目を伏せる。リリーはそれ以上追及することを諦め、次の授業へ出かけてゆく。
にだけは、知られたくない。
まんげつのよるにあらわれる、みにくくおぞましい、あわれなけだもののぼくのこと。
特別だったのだ。それがいつからかなんて知りやしない。少女の輪郭はいつだって透き通って美しく、光にくるまれていたし、優しい指先も眼差しも、何も訊かずにそれでも傍にいてくれた。隠しごとしていたのは多分きっとお互い様で、だからこそ居心地がよかった。彼は彼女の秘密を知らず、彼女も彼の秘密をおそらく知らない。それでもそんなものを抱えていることをお互いに見抜いていて、あえて二人はそれを見ないふりをした。知っているよとにおわせることも、知りたいというそぶりも見せず、ただ、そのままでいいよ、と。
みせたくない、きかせたくないものってあるじゃないか。たとえ心の奥底で、本当は触れてほしい、分かってほしいと叫んでいたって、その隣で、誰も僕のことを見ないでと小さく呟いている僕もどちらも本音なのだ。悲痛な叫びの方は少年少女が拾ってくれた。小さな囁きを、は敏感に感じ取って、何も訊かず、それでも傍らで寄り添っている。リーマスもまた、同じだった。時折彼女の瞳に走る叫びを宥めるように、何も訊かずにそこにいた。
君にだけは、知られたくない。
それはもちろん彼の自分勝手なエゴと呼ばれるものであったろうが、少女もおそらく同じだった。滅びゆく定めを前にして、せめてたったひとりの人の前では、優しく穏やかに、うつくしいままにいたいと望むことはそんなにも責められることだろうか?
彼の目に少女はあんまり透き通って儚く、身内に飼うけだものの話なぞしようものなら、それだけて壊れてしまうのじゃないかとすら思った。
それほどすきだったのだし、その分臆病になった。
そのが、最近なにをするにも、どこか上の空だ。重ねて言うなら、夢見心地。
彼はその理由を尋ねてひどく後悔していた。
『私、魔法使いに会ったわ。』
そう言った彼女の口調は、今まで聞いたこともないほど優しく、あまやかだった。
彼はその胸を掻き毟って今すぐ逃げ出したいような気分を抑えながらそれを聞いていた。近頃少し痩せた。授業が終わると、夕食までのわずかな時間、毎日どこかへ消えてしまう。
その"魔法使い"に会っているのだ。
彼のその軽い絶望感になど気づきもしないで、少女はうっとりと話を進める。背が高く、黄金を煮詰めた琥珀色の目をして、草臥れた格好をした、しかしまだ若い男のこと。魔法使いと魔女の学校に通いながら、彼女が初めて、"魔法使い"だと述べた男。
今日もまたはいなかった。
放課後になるとするりと、猫がいなくなるように抜け出して、いつの間にかいない。今日こそ気をつけているつもりだったのに、本当にいつの間にか、消えてしまっていた。
少年は窓の外を見ながら少し爪をやわらかい手のひらの内側に食い込ませる。
きみのまえではやさしくおだやかなままでいたい。
それは願望だ。馬鹿を言うなよリーマス、お前のどこに、やさしく、おだやかな要素があると言うんだ?みにくいけだもののお前に。リーマス、俺はお前だよ。
背中に張り付いた闇が、猫撫で声で囁く。耳を塞ぎたい。
こんな時彼は、誰にも見られないよう、知られないように、小さく小さくまるくなって、そのまま消えてしまいたいと思う。ジェームズだってシリウスだって、知りやしないじゃないか。ひとりぼっちの満月の夜、そこに佇む僕のことなんて。
涙が、
「リーマス?」
薄い暗闇に声が転がった。
もう黄昏は過ぎて、ほとんど夕闇が迫っていた。
「、」
「どうしたの、こんなところで。」
そうっと少女が、傍らに屈みこむ。やはりその時、髪から白い花の香りがして、その暗闇のなかに光を投げるようだった。
「、」
震える声が情けないと彼は思った。化け物の姿よりずっとみっともない、見られたくない姿を晒したと。なにかその場しのぎに言おうとして、彼は失敗する。口からはという言葉しかでそうにない。僕は寂しいんだ。
リーマスの目玉がくしゃりと揺れる。
またそいつのところへいってたの。ぼくのことみないで。ちがう、ぼくのことさわって。ちがう、ぼくはきえたい、きえてしまいたい。さわらないで。きたないから。きみがすき。ちがう、ぼくはばけものだ。
ひとつだって言葉にならない。
少女の細い指先が、そおっと彼の頬に伸びた。少女の顔は、どこか緊張して、それでもほのかに微笑んでいるように見えた。ふわりとその腕が少年の背に回される。はなのにおいがする。彼は濡れたまつ毛を閉じる。
はなにも言わなかった。世界で一等雄弁で、一等優しい沈黙だと彼は思った。
嗚咽も立てず静かに涙を流しながら、彼はふいにその花の名前を思い出す。
くちなし。
白い花が目蓋の裏に浮かんだ。
おそるおそる抱きしめ返した少女の背中は、はっとするほど薄かった。
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