「ねえ!私、この人と結婚するわ!運命の出会いだったのよ!!」
 などという大音声と共に実家の扉を壊す勢いでドッカン!と盛大に開け放した姉の顔は今まで見たことないくらいに、小説的に形容するのであれば、"ばら色に" "輝いて"いた。
 この姉が昔っから突拍子もないことを突然言い出すのはよくあることだったが、家族である私たち、即ち父と母と妹の私、はそれに随分慣れていて、彼女が就職を決めて家を出てからは、その突拍子のない騒々しさが、時折懐かしく、しみじみと思い出され、たまにはあんたもなにかしでかしてもいいのよ、だなんて冗談が飛び出すこともあるくらいだった。
 だがしかし、それはもちろん、その突拍子のなさが遠ざかっていたから笑い話として懐かしむことができるのであって、実際それをハプニングとして持ち込まれても困る、というのが人間の本音だ、違うだろうか?世間はまさに夕食時、もちろん我が家もその例に漏れず、家族三人で夕食のテーブルを囲んでいる最中。
「ええと、」
 ドバン!という効果音、輝く姉、開け放たれたドア、見知らぬ三十路過ぎたくらいのひょろい中年男、そのみょうちきりんな恰好。私!この人と結婚するわ!のエコー。
 それらのインパクトからいち早く立ち直ったのは、悲しいかな、おそらく姉の破天荒に一番身近で晒され続けていた私だった。
 サラダを取り分けようと半分椅子から立ち上がったままの体制でぽかんと固まっている母、体だけテレビの方を向いて顔はぐるりと姉の方、フォークが肉に刺さっていない父、黙ったまま停止している二人の間で、私は無意味に「ええと、」 をもう一度繰り返した。ええと。夜のバラエティー番組の賑々しい音声が、妙に耳障りなことである。ええと、ええ。
「ひ、久しぶり、姉さん?」
 混乱する脳みそを振り絞り、とりあえず無難な挨拶を選ぶ。
 久しぶりね!と嬉しそうに声を上げる姉を見るに、その挨拶は、一応間違いではないらしい。ええと。まだ父と母は固まっている。なにせ我が家は平均中の平均家庭、アベレージ・家庭であるからして、あまり突拍子のないことに免疫が付いていないのだ。頓に若さに欠ける父母には、この突然の横っ面への攻撃は衝撃過ぎた。
「ええと、姉さん。とりあえず、ドアを閉めたら?」
 外はびゅうびゅうと風の吹きすさぶ嵐である。ドアの前に仁王立ちで男性の手を掴んでいる姉の髪の毛はばっさばっさと追い風を受けて波打ち、若干ホラーである。あー、こんなのホラー映画で見たわ、ジャパニーズ・ホラーってなんであんな地味なのに怖いの?なんなの?喧嘩売ってる?
 そうね、と姉は嬉しそうに、にこにこ笑いながら入ってくる。目線で母に間違ってなかった?と確認するがわかんない、という返事が同じく目線で返ってきた。「ライアルも早く入って!濡れちゃうわ!」 もう十分二人とも濡れている。姉と一緒にマットで足をふきながら入ってきたのは、姉と同じくずぶ濡れの、姉より10歳は年上に見える、エメラルドグリーンの…何と言ったらいいのだろう、ケンブリッジだとかイートンだとか、そういう"古き良き"お坊ちゃん学校の制服のような…なんていうんだこれ、ローブ?そう、裾を引きずるようなローブを着ていて、眼鏡をかけた顔は温和で優しそうで賢げではあるが、なにせやはりその出で立ちが尋常ではなかった。
 昔から大人しいが破天荒な姉だった。
 のんびりぽややんとしていて、起きていても八割方夢見ているようなところがあった。ナルニアに行きたがってまだ当時三歳だった私をおんぶ紐で背負って八歳の姉は母の衣装ダンスに半日以上籠城し、ツバメ号とアマゾン号に傾倒していた時期はサマーキャンプで勝手に湖に向けて丸太に乗って嫌がる妹を無理やり同行させて漕ぎ出し案の定途中で沈みそれでもめげずに泳いで中洲の島に渡って帰ってこれなくなり子どもをキャンプに預けて二人でバカンスを決め込むはずの両親二人を数十マイル離れたキャンプ場にトンボ返りさせ、大人になってもファンタジー小説が大好きで、両親のあなたいつになったら結婚するの?という答えにも、「"ハイタカ"か"ファラミア"みたいな人がいればすぐに。」 と笑いながら答えた。それを聞くたび、そのあまり似通っているようには思えない『タイプ』 の代名詞に私はこいつの趣味わけわかんねえな、と眉を潜め、両親はやっぱり現実的な本も読ませるべきだったと当時の教育方針をいまさらに嘆くのだった。
 私は姉の連れてきた"運命の相手"とやらを眺めながら、ハイタカではないがオジオンらしくはあると妙に冷静に、おそらく今考えるべきではないことを考えていた。初対面の破天荒極まりないファッションの中年男をオジオンに見立てるなどと、最大級の賛辞であると思うのだが、声に出していないので伝わりはしないし伝わらなくていい。さらに言うならもちろんファラミアらしくはないし、いうなればラダガストだ。あ、うん、この頭やばそうな感じといい、キノコキメちゃってるラダガストだわ。納得。
 姉の好みに合わせたファンタジーな考察をほっぽっておいて、現実的に考えるなら、間違いない、こいつは今はやりのヒッピーっていうやつだ。フラワー・チルドレンだ。丸眼鏡の感じとかちょっと身だしなみに気を使っていない感じのぼさっとした髪型とか、なんとなくジョン・レノンをほうふつとさせるではないか。きっとラブ・アンド・ピースとか言い出すに違いない。ジャイグルデーバーオォムとかインドの呪文を唱え出すのだ。
「ええと、そちらの方は?」
「ああ、よく聞いてくれたわ!彼はライアル。ライアル・ルーピン!私の最愛の人なの!」
 はーん、そうか。さようか。ラブ・アンド・ピース。
 なんて言えない無難な私を、どうか許してほしい、父母よ。私以上に無難で平均的な両親は、ええと、とかへえ、とか言っている。誰かガツンと言ってやれよ!誰だよそいつ!!!
「どちら様ですか?」
 冷静、かつ、無難、に微笑みかけると、そのライアルさんとやらはああ、と小さく会釈しながらくしゃりと笑顔を見せた。
「突然のことで驚かれたでしょう…ええと、お嬢さんには今朝プロポーズしたのですが、そうしたら、すみません、どうしても今日ご挨拶するのだと聞かなくて。」
 恰好は置いておいて、真面そうな受け答えではないか。
 呆れた三組の肉親の視線を一身に受けて、姉は「だってこんなにしあわせなことすぐママとパパとに報告したかったんだもの!!」
「ああ、ホープ。」
 さっそく一人陥落した。父は昔っから、とかく長女である姉に甘い。甘すぎる。ママ、涙ぐむのは早いわよ!忘れないで!その!男の!エメラルドグリーンの!服を!!
 とかくうちの家族は全員ボケている。天然ボケている。悲しいかな、私だけがそうではない、自覚が、ある。
「で、どちら様ですか。」
 今の私はさながら圧迫面接でかわいそうな就活一年生にプレッシャーを与える重役である。楽しいなこれ…そうか、だから世の中から圧迫面接がなくならないんだな。
ったら!ライアルよ、って言ったでしょう。」
「ホープ、ちょっと、黙ってて。ええ、ライアルさん?見たところ、その、…少し、変わったファッションをしてらっしゃいますけれど、お仕事はなにを?」
 ああと自らの恰好を上から下まで見下ろして、「やはり場違いな恰好でしたか。」 と彼は情けない笑顔を見せた。一番の晴れ着なんですけれど、やっぱり"非魔法族"の方の間では奇抜ですねぇ。などと他人事のようにのんびりとおっしゃる男は、ふところから古びた…指揮棒?のような棒っきれを取り出すと、何事か呟いてサッと一振りした。
 するやいなや。
 そこにはくたびれた、しかしごく"一般的な"、グレイのスーツを着たライアルさんとやらが、立っていたのである。
 ……ワオ。マジシャン?
「……マジシャン?」
 真ん丸に零れ落ちそうな三組の目玉を向けれらて、ライアルさんは恥ずかしそうに、また、件の人を油断させるような笑顔を見せる。
「いえ、ウィザードです。」
 キノコ キメて やがる。





「で、それからどうなったの?」
 ぽいぽい高かったチョコレートをそうと知ってか知らずか口に放り込み続けながら、尋ねてくる子供に、私は嫌々ながらその続きをかいつまんで話してやる。
「知ってるでしょう。そりゃあもうえらい騒ぎで、」
「母さんが家を飛び出したんだ。」
「そのとーり。」
 食べつくされてはたまらないので、私もまた、ポイポイとチョコレートを口に放り込む。こんなにポイポイ食べていい値段のお菓子ではない。ニュー・ヨークとキョートにしかない店のクソ高いチョコなのだ。せっかくのアメリカ出張で買い込んできたというのに、どこからそれを聞きつけたのか、「おかえり、おばさん。」 だなんてくりくりとかわいらしい笑顔でこの甥っ子が我が家の高層マンションの入り口に立っていたのがつい先刻のことである。
 もちろん"まとも"で"まっとうな"生き方をしたい無難な私はどうやってここまで来たのかなんて訊きやしない。
 "魔法"あるいは"魔法道具"で来ましたなんて答えは求めちゃあいないのだ。
 チョコレートは半分にまで減ってしまった。チョコレートは幸福を齎す食べ物だというので、この子どもには必要らしいのだが、ただのお菓子好きの虫歯・糖尿予備軍なのだと言い切ってやりたい。しかしこの子どもは、病気で、どんなに私がたくさんチョコを与えて、それをどんなにたくさん食べても、いつまで経っても痩せっぽっちで、ちっとも太りやしなかった。……だめだ、考え出したら悲しくなってきた。もういいよ、わかった、わかったったら!お前、ぜんぶ残り食べろよ。
 ちょっと鼻をすすりながらチョコの残りをズッと黙って子どもに向かって押しのけると、ワオ、だのなんだの無邪気に歓声を上げている。たかがチョコなんかで。
「……これも、食えよ…。」
 ぜんぶ残り食べろよ、と言いながら実はこっそりポケットに忍ばせていた小さなチョコの包みを差し出す。いいじゃないか一粒くらい!って思ってたんですもうポケットは空です信じてくださいあっでもその包み紙は可愛いんで丁寧にチョコだけ出してその紙は取っといて!スクラップブックに貼るから!!
「美味しいなぁ。」
 ぼく、おばさん家の子になろうかな、なんて無茶言うな無理だろわかって言ってんなよわかってんだろ"病気"の時のお前の対処なんておばさんできやしないんだから、クソ、ああもう、チョコならいくらだって今度また取り寄せやんよコノヤロー畜生。



(20140330)
2013年度3月10日のお題『ポケットのチョコレート』