あの手をとったことは間違いではなかったと思う。ひやりと冷たいあの手をとって、ただ引かれるままに走ったことも、間違いなどではなかった。何が、どこか、誰が、いつ、なぜ、誤ったのか私は知らず、分からない。どこからが過ちで、いつからが間違いか。私には正確に明記することができない。誤ってなどいないとすら、思えるのは人の傲慢さゆえだろうか。わらってしまう。
そもそも彼は私の半身であり、ありがちな表現ではあるが光であり、影であり、最初にあった言葉であり、最初からあった闇であった。
わたくしたちは双子である。魂の双子である。
明るい学び舎の中庭、忘れえぬあのくさはらの緑。我々は出会った。彼は右手に杖を持ち、左手に死んだ兎を――その耳を束ねて引っつかみ、薄ら寒い微笑を浮かべて立っていた。私は両手のひらに、ようやく傷の癒えたばかりの白い小鳥を乗せていた。彼の手はまさに奪い壊した手で、私の手は守りいつくしんだ手だった。
我々は一目で、お互いの内を見抜いた。それはまるで、自らの心の奥に目を凝らす作業とそっくり同じであった。中庭の外れには小さな雑木林。木々がさわさわと何事か囁き合い、私たちに聞こえない言葉でざわめく。
湖面のように空気がさざめく。私たちは出会った。鏡合わせの水面に同じ顔を突き合わせて。
そうして我々は自らの面を知る。
なぜだか滴る緑に朱が滲んだ。白い鳥が、手のひらから音もなく羽ばたき、飛び去ってゆく。しかし私たちは瞬きもせず、互いのその目を見ていた。彼の目のルビーレッド。血の滴るような黒い赤である。私は彼の目を通して自らの目玉を見た。息の止まるような、深いエメラルド。森の影に似た静寂。彼は私の白い頬を見、私は彼の白い首筋を見た。沈黙はまるで永遠のように続き、終わることないように思われた。
しかしそれは、終わった。
彼がふと微笑ったのである。あどけない少年の笑みであった。邪気などひとかけらも見受けられぬ、安心しきった無防備な幼子の微笑である。彼の左手から哀れに硬直した兎がゴトリと滑り落ち、草原へと落下する。その赤い指先からも鈍い音からも、死んでいるとしか思えなかったそれは、地面につくか否かという瞬間に恐怖に見開いたままの瞳をカチリと一度震わせ、まさしく脱兎の勢いで林の奥へ駆け去っていった。
彼は少し軽くなった指先を見、不思議そうに目をちょっとだけ大きくした。
「…逃がしてしまった。」
独り言のように、彼が笑った。
しかしもちろんそんなことは、もはや彼にはどうでもいいことなのだった。彼の興味はもはや哀れな兎から――私へと移っていた。彼に自分が、どう映っているのか、私には手にとるようにわかる。彼はまさに、天気の良い昼下がり、学び舎の明るい中庭の緑の光と影の中、自らに会ったのだ。
彼はその赤い左手をそっと差し出した。明るい光と影が、少年の黒髪の上に降り注いでいる。確認するまでもなく、私の上にも。少し首を傾げ、美しく微笑する少年。彼の意図するところを理解し、私はその手をとる。軽やかな指先だ。その赤が私の右手に付着し、彼が少しうっとりと笑った。
「ヴォルデモート、」
囁く声は未だアルト。呪文のような、ひそやかで魅力的な響き。なんて陳腐な。
「それが僕の名前。」
歌うようなリズム。
トム・リドルという名の優等生を、しかし私は知っていたが、その瞬間、その真の名を知る。ヴォルデモートという名は、まさに彼におあつらえ向きだった。差し出されたその手をそっと握る。握手とは少し違う、手の結び方。ああ見つけたよ、もう離れることなどできないよ。私の右手に血がついた。彼の左手と私の右の手。右手は左手に左手は右手に。我々は出会った、緑の世界に。そうして境界線は限りなく朧、曖昧になって失われた。
「君の名は、」
訊ねる声は絶対だ。そしてまた、答える私の声も同じ。
もう戻れないよ。
梢の上で小鳥が囁く。
だって君、見つけてしまった。見つかった。君の運命、鏡合わせの分身、君の影、それは私。私だ。残酷で凶暴な、恐ろしい私。私たちは見てしまった。自分の内側、その奥底の願望。壊して殺して奪って破って叩いてのめして弄って崩して君臨したい。守って護って目守って癒して治して愛して優しく清らに静観したい。どちらも私、私。そして君だ。こんなにも簡単。自分の願望は彼が叶えてくれる。だから私も私のままで、彼の願望を叶えられる。そうして購いあって初めて、私たちは完成する。
「…。」
彼がわらった。同じ声で。梢で風が囁く。もう戻れないよと。
それからというもの、私たちは常に共にあった。
それはまるで、表裏一体の何かひとつの存在のようだった。彼はスリザリンの優等生で、私はグリフィンドール。我々は言葉も、身体的接触も、視線、文字、思考、なにも必要とはしない。目を閉じれば。そこに。胸を開けば、そこに。だって彼は自分だ。なんと恐ろしく、おぞましく、醜く、そして美しい。それは自分自身であるのだ。自らと共にある。美しくもおぞましい、お前。私の中の光、私の中の闇。我々の間に愛はなく、憎しみもない。そこにあるのは感情を超えた静寂、無の彼方の有、光を超えた闇の無効の光と闇の混じる混沌。噫なんて静か。ただ平穏なまま捻じ曲がり、途切れない輪に似たつながりがある。それは本当に、穏やかで、平和な、静かなループである。
我々はあのときあの瞬間からずっと手を繋いでいる。誤ちを過ち続けそれでも我々の、あのとき結ばれた手が離れることは決してない。たとえばその腕が朽ち果てて、塵芥になろうとも。
(我を連れゆく)
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