真っ白な花だ。ぷっくりまるく膨らんで、きっとその閉じた花びらの下に穏やかでひそやかな笑い声を秘めているのに違いない。今日は朝方から雪が降って、地面は頬をうっすら白く染めた。今日が良き日になりますようにって、みんなが朝起きて最初にお祈りして、神様に感謝する。できれば明日もずっと、良い日が続きますように。それが今日のこの日。冷たい朝だ、光に満ちて。光は幾重にも乱反射して、明るい影ばかり撒き散らす。おかげで黒い色した影が、さっぱり見受けられなかった。吐く息は白く、あっという間に生まれては、同じだけ一瞬に解けて消えてしまう。雪の反射で空気すら明るい。白と銀、そして金にうっすらと輝く庭で、彼は静かに立っていた。
(・・・セブルス・スネイプ、)
 は思わず、声をかけそびれた。
 静かな静かな真っ白な朝だ。悪童達は家へ帰って、聖夜のお祭り騒ぎで今頃はまだ夢の中。白百合のような女の子も家へ帰って、きっと今頃ノエルのケーキを焼いてるだろう。ナッツとそれからレーズンと、アンゼリカ、入ったやつだ。表面は焦げててほろほろ口の中で解けるあのケーキ。
 冬休みの城は本当に静まり返っている。朝はなおさら。氷の女王の城に満ちる、静寂というのはこんな風だろうか。雪は音を吸いこんで、無音の世界の中、静かに笑っている。光も凍って透き通り、清められて美しい。その白銀白金の庭に、少年はいた。佇む彼のシルエットは、朝の中置き去りにされた夜のように孤独だ。そのくせどうしてか、には彼がまるで、今この白く衣装を変えた庭が、自ら進んで渇望した、オブジェのように見えたのだった。雪の女王の子供のように、その真っ黒な少年に冬の朝が似合った。黒い髪、青ざめた頬。マフラーから靴まで、全て真っ黒だ。彼は何をするでもなく、伸びた背筋でどこかを見つめ、佇むばかりだ。その姿は鴉には見えない。すっとこの朝のようにまっすぐにそこに孤立している彼は、雁か黒鳥のように高貴に見える。銀と緑のマフラーを、どこかへ忘れたわけでもあるまいに、していない彼はまるで無垢で清浄だった。こんな冷たい朝の中、たったひとりでそこにいて。
 なぜだかはじっと見つめていた。ここにいてはいけないと、体の真ん中あたりではわかっていたけれど動けなかった。いいや、動いてはいけなかった。本当は呼吸だって、してはいけなかったのだ。あまりにその少年と朝と光が織り成す光景は、危うい均衡の上にあったのだ。それはぴんと張り詰めていてほんとうに、そこに成立していること自体が不思議なくらいだ。そこにはなにも、余分なものはない。逆にたとえば、あの太陽のまんまるな端っこを薄い雲が少しかじっただけでもその世界は失われてしまう。は逃げなければと思った。はただ見た。そこには透き通った冬の朝があって、ただの少年がいた。それだけだ。それだけなのにどうしてかそれはの目に神聖に映った。動いてはいけない、このガラスよりも脆い薄氷でできた空間が崩れてしまう。ああでもここにいてはいけない。ここにいては。は知らず知らず呼吸を隠すように口元に手をやった。雲よりもっとふわふわと頼りない白い吐息すらこの世界のバランスを容易に壊しかねないと思った。同時に、壊してはいけない、と感じていた。この一瞬のバランスを失えば、もう永遠に取り返すことはできない。もちろん日は少しずつ昇るだろう。このバランスはすぐにでも自然に失われる。けれども無邪気に永遠を信じたくなるほどではなかったが、どうかずっとこの世界に見とれていられますようにと思うくらいには、本当にこの朝が特別だった。
 樅の枝から、雪がいくらか滑り落ちた。
 ドサリ。少年と少女、セブルスとは肩をびくりと震わせた。その小さな音は容易くこの朝の不可侵であるはずの静寂を乱した。(噫、終わってしまった。)もったいないとは思い、同時にどこか、安堵もしている。
 セブルスは音の出所を確かめるように、何気なく視線をめぐらせて、を見つけた。少年の暗い色をした目玉が、を見、能面のようだったその顔に、なんともつかないわずかな表情が浮かぶ。渡り廊下に立つの足元に雪は泣く、セブルスばかりが雪の中。彼女は自分のすぐ足元の境界線を眺める。それはまるで、永遠に超えることなどできないような、いいや超えてはいけないような、そんな感情を抱かせる。彼の足跡以外ついていない雪。わっと楽しげに駆け出すには、今朝の雪は儚く冷たすぎる。
 はまた一瞬、その少年との距離がぐいぐいと広がっていくのを感じた。噫またあの冷たい朝が来る。冷たい、冷たい、美しい、遠い。噫。
。」
 セブルスの声はうっすらと冷たい。少し金属質な、不思議な響きの残るアルト。人の心の輪郭を、引っかくように過ぎてゆく声。聖書をよませればきっと、今の真っ黒な服装と相俟ってしっくりくるだろうなとは少し違うところで考える。
「風邪をひくぞ。」
「…セブルスこそ、風邪をひく。」
「僕は平気だ。」
 少し風が通った。凍えるようにつめたいくせに、そんなにも伸びやか。境界線の意味など知らず、水を含んでひゅるりらと過ぎる。日がだんだんと高く明るくなってきた。少し温みだした雪が、そこかしこで枝の上でバランス取れずに落ち始める。ドサリ、ドサリ。いくつもつづくその小さく重い音が聞こえるたびに、あたたかいなにかが胸のあたりに積もってゆくように思う。雪のきしむ音は、どうしてか優しい。
「セブルス、なにをしてた?」
 囁くような問いかけになった。
「別に。なんでもない。」
「セブルス、雪のように見えた。」
 率直で稚拙な感想が口から出た。セブルスは眉間にしわを寄せて、少し首を傾げる。大抵の言葉は彼には謎めいて、時折神秘的にすら聞こえる。だが今の言葉はまったくの意味不明であり支離滅裂で、彼には解せなかった。黒尽くめの自分を見て雪とは誰が思いつくだろう。しかしここで、そのことを追求しても大して始まらないことを彼は重々承知している。
 彼はゆっくりと庭から渡り廊下のほうへ歩いてきた。にはそれは名残惜しい動作のようにも見えるし、何も感じていないようにも思われた。
「セブルス、冬がとても似合う。」
 あの均衡のとれた一瞬の朝の光。あの景色を目蓋に浮かべながらは言葉を紡ぐ。そうすることでセブルスを地上に繋ぎとめようとするように。雪は溶ける。そうして空に昇って、雲になって、どこかへ流れていってしまう。悲しいことに彼は本当に、冬がよく似合うのだ。は朝食の広場についてセブルスがもういい、と眉間の皺をもっと深くするまで、真摯な様子でずっと言葉を繋げていた。
「とても、とても。」

 結局彼は、庭で白い花を見ていたことは言わなかった。恥かしかったからだ。
 どうしてこうして雪が降ると、そうやって一生懸命に自分を見、悲しそうにも優しげにも見える顔で冬が似合うと繰り返した少女を思い出すのか、セブルスは知らない。





20081224