猫の目玉が暗闇で、にやあと光って笑い出し、梟三回鳴く頃に。

(月る)   

 夜になったらパジャマのままで、青く光った月追いかけて浮かれた足で芝生を走る。
 夜だ!夜が来るよ満月が出る。
 どうしてこんなに心は浮かれ騒ぐのか。こんなに楽しい笑い出したい気分であるのに。どうしてこんなに切なく苦い、泣き叫びたい気持ちがどこから来るのだろう。胸を掻き毟り泣き叫びたいのだ。あの丸く光る星に向かって。言葉にならない叫びが今にも口から迸る気がしている。
 月、月だ。
 月、月、月…!!
 これらの思いは総てみな、父の血からくるのだろうか。
 だのに
 噫、
 僕はこんなに楽しい。切ない。苦しい。真っ青に光り輝く満月。満月だ。僕を呼ぶ。
 裸足のままでどこまでも、追いかけて駆けるよ、満月の夜は。
 月を追って?月から逃れて?
 違う、何かを探しているのだ。
 こんなに真っ青に透き通って、浮かれ騒ぐ寂しい夜に。なにを見つけようというのだろうね。森の木々と青い光のコントラストの縦縞は、そうだな、少しこの青と白をしたパジャマに似ている。
『――――――――――ス、』
 呼ばれた気がして振り返る。
 つきの青い影が木々の梢に落ちている。
 急に当たりはしんとなってしまった。耳の奥で騒いでいた血の沸騰する音はもう聞こえない。
 見つめた辺りは真っ暗だったが、何かが底にいることを確かに僕は知っていた。
「…誰?」
 木々が笑い、さざめく。波音みたいに。風がどどう、と同じように騒いだ。
 ふと月が翳る。
「あなたは誰?」
 ガラス細工のような声。木影で銀の、透き通った髪が揺れた。
 …いつか見たことがある。
「君は……?」
「…。」
 躊躇いがちに、囁くように声が答えた。銀色をした片方の目が、青い暗闇の中で光る。
 初めて聞く名だ。その響きはきよらかな水のよう。さらさらと流れて耳から心臓へ流れ込んでいった。
 銀に光る片方の目玉。地上に落ちた満月だ。
 空に浮かぶあれと併せて、それがみっつ並ぶ様を見たことがあるように思い、どうしようもない息苦しさを感じる。だきしめて眠ってしまいたい類の。
 噫、胸が騒ぐ。
「あなたは誰なの?」
 銀色が一歩、影から出る。同じように裸足の足。真っ白に伸びた手足と同じようにパジャマ姿のままの子供。やわらかそうな真っ白なリネンにくるまれている女の子は、同じくらいか、ひとつふたつ年下だろうか。
 答えようと開いた喉が知らず喜びに小さく震えた。
「僕は、」
 噫知っている。知っているとも、君を。心臓が鳴る。たいそう嬉しそうに早足で。その手をとる。とても自然に。彼女もまたうっすらと迷子のように安堵するように微笑んでいる。どちらも無意識が知っていた。お互いが満月に産み落とされた子供だということ。夜の中目を覚ました子供であるということ。
 この名を告げよう。同じものである少女に。手のひらで脈打つ静かな鼓動を誰かがずっと願っていたのだとふとそう思い、理由も分からずやはり胸が痛んだ。
 呼んでおくれ、ガラス細工のその声で。
 初めて彼女が口に出す、自らの名はどんな透明な響きをたてるだろう。
 青い月がさらさらと光の粉を散らし始めた。ふたりと木々と青い芝生と、すべての上に降り積もって、やさしく目蓋を塞がせる。繋いだ手にもそれは積もって、知らずにお互い少し微笑った。
 すべて少年少女に捧げよう、ゆめまぼろしの月夜に。
20080729