03.昔のこと 私の頭の中には、とその人は歌うように言う。 「私の頭の中には、そっくりそのまま、この図書館が収まっています。本の内容から、置き場所、誰がいつどんな本を借りたか―――すべて、そっくりそのまま、です。私をここの司にすることは、図書館を私の頭の中に複製することに他なりません。セルボルトの御家が、脈々と研究を重ねてきた禁書もすべて、この頭には収まっているのです。それは仕方のないことです。私は一度読んだ本、聞いたこと、見たもの、忘れられない造りをしているのです。」 だから私はここから出ることを許されていません。その言葉はただ淡々とした事実を述べるばかりで、そこから感情らしいものを読み取ることはできなかった。じゃあはずっとここにいるの、と言う子供の問いに、彼女は少し首を傾げて「多分そうでしょう。」と答えた。 「ふぅん。」 「あら、つれない反応だねえ。」 ちっともそう思っていない様子ではわらった。できました、と羽ペンを机に置いて、今まで書いていた紙の束をまとめる。暇潰しや眠れない夜のお供、が彼女のお手製だと知ったのはつい最近のことだ。最近読者が増えたので、翻訳が追い付きません。とがちっとも苦ではないように微笑する。彼女が書いているからといってそれを彼女が紡いだわけではなく、昔読んだ、"忘れられない"本の内容を、文字にして纏めているだけのただの趣味だという。 「ソルくんは運がいいね。出来立てほやほやです。」 どうぞ、と感嘆に革の表紙を付けた本を差し出される。白い手。タイトルも全ての字で重ねてある。黒の兄弟、と読めた。もちろんその最後の単語は、彼にひとつ年上の少年を思い起こさせた。ほかにも多く兄と呼べる存在はあったが、どうしても一番にキールが浮かんだ。というよりそれ以外、彼は本当の意味で知らなかったから。どんな話だろうな、と分厚いそれを抱える。それからついでというように差し出された本来の目的である召喚術の書を上に二冊も三冊も重ねて、彼は小さく礼を述べた。キールは必ずそうするからだ。 その様子を満足そうに見下ろしながら、が背伸びをする。 「さあ仕事を済ませてしまいましょうかね。」 彼女の机には、今朝入ったのだという分厚い書物がいくつも積み上げられている。これらすべてを"記憶"して、分類し、管理する。それが彼女の仕事だ。かと言ってそれに特に彼女が労することはなく、文字に目を通すだけでいやでも覚えると言った。それがうらやましい、と言うと苦笑される。「術式を覚えていることと、それを実践できることとは別ですからね。」確かにその通りだろうが、覚えているだけで罰は減るではないかとソルは思う。今日一日でその分厚い紙の束すべてに目を通すなんて正気の沙汰ではないと思うが、しかしさっそく、飲み物を片手にはさらさらと絵でも眺めるように頁を捲っていく。 "勉強"に必要な本を借りにきたソルには、もうここにいる理由がないだろうに、まだなんとなく、の横顔を見ている。 「なにか?」 書物から目を上げることなくが尋ねた。 「…俺の名前、」 ええ、とが頷く。頁の捲れる音。それでもちゃんと聞いていると感じさせるのだから不思議だ。 「太陽の意味?」 「ええ。」 ゆっくり口端を持ち上げて、横顔だけでが頷く。頁を繰る手は止まらない。視線はまっすぐに、文字の上に落ちたままだ。 「キールは、りゅうこつ。」 「ええ、…キールに聞きましたか。」 うんと頷くとまたの口端が持ち上がった。うれしい。それはいいこと。 「の名前は、」 それにやっとは書物から顔を上げた。不思議な色の目がソルを見ている。どうしてかな、普段から静かな図書室はうんと静か。の微笑む音が聞こえるくらい。 「むかしのことで忘れてしまいました。」 |