11.みっつの理由

reconcilation



 理由がわからないと、静かに告げたアグラバインに、が笑った。
「それは私が鬼だから?」
 いいやと彼は答えなかった。ただ首を振った。リューグは目をじっと開いて、を見ている。
 信用しかけていた。
 水色の少女。森の光にくるまれて眠っていた鬼の少女。戦ったこと、逃げようとひかれた手のひら。自分を庇って怪我を負ったこと。意味はよくわからないが、"鬼"になった自分を怖がらないでいてくれたと、リューグにありがとうと言った、その時の声音。白くて細い手のひら。花のようなかたち。

「お前はあいつらの仲間なのか?」
「仲間に殺されかけたの?私。」
 きょとりとそう尋ね返される。先ほどまでのぞっとするような調子が、声から抜けていた。
「演技かもしれねえ。」
「…ほんとに死にかけたのに。」
「…頑丈なんだろ。」
 ひどい、とが笑った。ぜんぜんひどいと思っていない笑い方だった。いつか見せた拗ねたような口の尖らせ方。陽が落ちる。
 お腹すいたね、とが言った。
 しかしアグラバインは笑わず、リューグももちろん同じことだった。
「おじいさんも私があの黒づくめの仲間だって疑っている?」
「…いいや。」
 その言葉には返事があった。
「ただおぬしがなにものなのか、わからん。」
「ではあなたは何者なの?己が何者か、自分でそれが、わかるの?」
「禅問答は好かんでな。」
「私は。鬼の。はぐれの。」
 くるりとがその場で回った。空には気の早い星が、幾つか輝きだしている。

「理由がいるなら理由を言おう。」

 まずひとつ。指を突き出してが言う。
「リューグに会ったのは偶然だ。お腹がすいて、気持ちのよさそうな日だまりを見つけたから起きていても仕方がないし、そのままそこで昼寝していて。目が覚めたら…というかリューグが起こしたんだ。そしたらそのリューグは追われていて、もうそこまで追っ手が来てるのにも気づいてないんだもの。このまま別れて襲われて殺されでもしたら目覚めが悪い。」
 ―――目覚めが悪い、そのフレーズはいつだったか、リューグ自身が使った言葉だ。カッと頭に血を昇らせそうになった彼を、アグラバインが手振りで沈める。
「それで助けに入ったつもりで逃がしてやろうとしたのにさ、自分から敵につっこんでくんだもの。びっくりしたなあ!」
「っこの「黙っておれ!!」
 アグラバインの大きな声が森を震わせるように響いた。
 思わずビクリと、肩をリューグもも震わせる。続きを促すように頷かれたアグラバインのまなざしに、は目を丸くしながらも話を続けた。
「それでもう咄嗟に跳んで、リューグ突き飛ばして前にでたの。そしたら敵さん。意外とやるんだもの。肩をやられた。」
 の手が無意識だろうか、肩をさする。そこからおびただしく流れていた血を思い出して、リューグはいまさらにぞっとした。
「肩をやられたままでいつものままじゃ負けるから、鬼の力を少し解放した―――、」
「解放?」
「いつもは抑えてる。抑えてないと、いろんなもの、壊すから。」
 少しさびしそうな口調。しかしそれは一瞬で、または件のにこにこと屈託のない笑みを浮かべる。

「一つ目の理由はなりゆきね。で、二つ目は、リューグがその後私をここまで負ぶってきてくれて、おじいさんと二人で助けてくれたでしょう?人間じゃない私を。当然だって言ってくれるかもしれないけれど、リィンバウムにもシルターンにも、鬼を助ける人間は、少ないと思うな。まあそれは、リューグやおじいさんが鬼のこと、よく知らなかった、ってこともあるかもしれないけど、とにかく私は助かった。…これには恩義を感じてる。これ二つ目。」
 そうしてが三本目の指を立てる。

「三つ目はね、せっかく死にかけてまで助けた命を、この先また無駄に死に晒れるのかって思うとなんかもうすっごい腹立つ!」
 どーだこれで満足か。
 ふんぞりかえるに、二人は怪訝な眼差しを投げる。

「闘争云々、てのはなんなんだよ。」
「これから先も君には戦いがついてまわるという鬼の予感。すなわち君が命を無駄にするであろう確立の高さ。」
「…それは納得できる、」
「おい、ジジイ!」
「もっともじゃろう。今のままお前が敵に向かっても、やられるのが関の山。逃げられるかすら危うい。」
 その通り!とが笑って、リューグが黙る。流石にそれくらいは、理解している。けれども感情が、追いつかないのだ。

 ぐう、と間抜けな音が鳴った。
 がお腹を押さえて言う。「本当にお腹減ったんだよ、」と少し情けない声。呆れたリューグにが面目ないと笑った。いつもの笑顔。

「…お主を信用していもいいのか?」

 最後に投げかけられたアグラバインの言葉に、は答える。
「おじいさんの心が望むように。」
 アグラバインの目蓋に、ありがとうと死にかけているというのに笑った鬼の少女の笑顔が浮かぶ。熱い額、角の、ごつごつとした感触。まっすぐな目。彼を呪う忌まわしい声を、遠ざけてしまった眼差し―――。
「信じたいと、思っておるよ。」
 そう答えたアグラバインに、が微笑む。
「私はその信頼にこたえたい。」
 リューグはどう?眼差しだけで問われた内容に、彼は口を噤む。は強い。仲間になるなら、相当な戦力だ―――。

「俺についてくるってことは、あの黒づくめのやつらと戦うってことだ。」
「百も承知!」
「俺がまた突っ走ることがあるってことだぞ。」
「それは困るなあ。何回も死にかけちゃあ、さすがに身体が持たない!」
 素直にが、声をあげる。
「人の仇討ちにつきあってなんになるんだよ!」
「復讐につきあうつもりはないんだけど…んーまあシルターンには実際仇討っていう制度があってね、仇討の旅をしている子供には手助けしてやるって風習はまあなきにしもあらず…。」
「危険しかねえんだぞ!」
「だからついてくんでしょ。リューグ弱いし、すぐ死にそうだもん。とりあえず我慢と忍耐という言葉のつづりから覚えようか。」
 言いたい放題だ。

 ついにはアグラバインが笑いだした。
「やめやめ!いったん飯にしよう。ワシは腹が減った。」
 その言葉にまた、のお腹が鳴った。今度こそ三人とも、リューグですらほんのわずか、小さくではあったけれど、思わず笑い出した。