18.荒野の師弟

sword fight



 ファナンまでは急いでも丸一日かかる。今から出発しても真夜中、あるいは夜更けになってしまう―――その晩はギブソンとミモザの提案もあり、彼らの邸に世話になった。夜はしっかり、開発地区でリューグはと稽古をし、早朝、同じく任務に出発するギブソンらとともに家を出た。

 そうしてふたりは、ファナンに向かって歩き始めている。
「いざファナン!」
 ひらりと藤色の着物の袖を風になびかせ、が言ったのを、「いや、」とリューグが制した。
「なに?」
 がそれに首を傾げる。
 ゼラムで購入した(ミモザの『いーい!?このお金でみずいろちゃんにちゃんとした服を買ってあげること!』という凄まじい剣幕による)新しいの着物は、淡い紫をしていて、彼女の瞳によく似た色をしていた。真っ白な流れる水の模様。ズボンの代わりにやはり、彼女は濃い紫紺の袴を選んだ。今はその裾を切り、膝下辺りを紐で引き絞っている。すっかり出会ったときと色違いのような格好に落ち着いたは、それでも背中に背負った袋にリューグの服を入れている。曰く、寝巻にするのだそうだ。案外洋服が、気に入ったのかもしれない。
 そもそもそのひらひらとした袖など、動きづらいのではなかろうか。そうリューグが疑問をぶつけると、「着物でなきゃ」とよくわからない回答をもらった。
「ファナンに向かう途中に…その、なんだ。」
「なんだ?」
 真剣な様子でそう言ったリューグに、が目をぱちぱちと数度瞬かせた。

「………修行を、だな。」

 言いにくそうに、もぞもぞと言われた言葉。
 ああ、とそれを聞いてが手を打つ。強くなること。それがリューグのなかの大きな当面の目標でもある。アメル一行の無事と居場所もわかったことだし、少しくらい寄り道してもいいだろう。そう言うことがいいたいのだ。
「でもさあ、やっぱり速くアメルに知らせてあげたほうがいいんじゃない?」
「…それもわかってる。」
「おじいさんだって待ってるし、」
「……それもわかってる。」
 それでもこのままじゃ嫌なのだと、その目が告げている。
 このままアメルのところに帰ってもなにも変わらない。弱いまま、ただ吠える自分のまま帰ったところで、兄と喧嘩になることは目に見えていた。少なくとも兄が、思わずなにも言えないくらい、強く。
 その目の光を、どこか困ったように眺めながら、は溜息を吐いた。この少年の言い出したらなかなか聞かないことと言ったら。もうこの数日で十分把握済みだった。

「私が師匠、君が弟子。」

 歌うようにがわらう。
「さあ枝を取れ、リューグ。私に一撃食らわせたら、今日の修行はおしまい。」
「なめやがって…、」
 半眼でつぶやかれた言葉にが屈託なくわらう。それにリューグは睨むのをやめて少しだけニヤとした。数回の手合わせ―――むしろ初対面で見せつけられた戦闘で、の実力は折り紙つきだ。おもしろい。

 手頃な太さの枝を、探してきて二人は向かい合う。
 街道から少し外れた、荒野の真ん中。ひゅるりと一陣の風が吹き抜けて行く。
「さあこい、リューグ!」
 鬼が笑う。先ほどが言った意味がわかった。
 着物でなきゃ。
 が構えただけでその意味がわかった。距離がつかめない。いつ攻撃がくるのか、わからない。前に手合わせしたときより、格段にの獲物や腕、表情が隠れるのだ。袖と裾。ひらりひらりと、邪魔なほどうつくしく舞う。
「ほら!」
 が笑う。遊んでやがるな、とリューグは一度舌打ちをした。袖が先ほどから、リューグの目を攪乱している。攻撃はしっかりとを捉えたつもりが袖を掠め、体にちっとも当たらない。
「そうだ!日暮れまでに当てられなきゃご飯奢ってもらおう!」
 いいことを思いついた、とリューグの背中に蹴りを入れながらが手を叩く。それにリューグはぎょっとした。ときたらそのほそっこい体で、信じられないほど食べるのだ。
「当てられたらテメエが、おごれよ!」
 ぶんと振りかぶった枝が空を切る。

 夕暮れには二人ともすっかりバテて、それでもまだ、修行を続けていた。
「いい加減、あきらめ、たら?ハア!しんど、ゼエ、」
「そっちこ、そっ!!」
 すっかり息が上がってしまっている。夢中になってしまったせいで、昼食も抜いてふたりは"修行"を続けていた。普通倒れてしまってもおかしくないのだが、鬼であるの体力は規格外であるし、負けず嫌いのリューグの根性が、それに喰らいついていた。
「待った!きゅうけい!」
 思わずが叫ぶ。
「待ったなし!」
 しかし容赦なく、ぎゃふんと呻いたに、へろへろになったリューグの一撃とも呼べぬ一撃が決まる。
 しばらく辺りに沈黙が降りて、二人のあらい息だけ、大きく響く。

「お、鬼に体力で勝つって、どうなの…。」
 地面に倒れこんだままが呆れたような声をだす。
「ハッ!…人間相手に、負けるなんざ、鬼も、大した、こと、ねぇな……、」
 リューグもリューグでその場にしゃがみこんで、荒い息を繰り返している。
 もうすっかり日が暮れて、リィンバウムの月が昇る。おおきな大きなまるい月。星も瞬きだした。まあどうしたの、鬼の子と人間の子が、こんな荒野で伸びてるなんて。笑うような星の囁きに、が苦笑を洩らす。

 まだ二人はゼラムを出発して数十分といた位置におり、しかしもうすっかり動けそうもない。
「きょうはゼラムにいったんかえろ…、」
 まだ転がったまま、が泣きそうな声をあげる。
、飯、おごれよな…。」
 その言葉に、一瞬が動きを止めて、目をまん丸にしてリューグをみた。今、リューグ、なまえ。
 なにか言おうとした口を遮って―――ひょっとしたら名前を呼んだことすら気付いていないのかもしれない、リューグがなんだよと睨みつける。
「テメエが言いだしだんだろ、当てられたらおごるだのおごらねえだの。」
 はまん丸にした目をちょっと嬉しそうにたわませて、でもそれから、思いっきり顔をしかめた。
「げえええ…、」
「…死ぬほど食ってやる。」
「げえええええ…!」
 そう言いながらも、ひとくちだって喉を通りそうな気がしないふたりだった。