19.潮騒の街 |
the sound of the waves |
「やっとついた…。」 まだ昨日の疲れが抜けない様子で、がじとりとリューグをにらんだ。それに少し目を泳がせながら、「…悪かったな。」と小さくリューグが毒づく。 「戦いとなると前後不覚…ばとるやろうだ、ばとるやろう。」 「ばとるや…?なんだ、それ。」 「サイジェントで知り合った子たちに教えてもらった。戦いのことになると我と周りが見えなくなる戦い大好きっ子のことを言うらしい。」 俺は、そんな風に見えるのか。 ジトリと睨んでくるリューグを尻目に、は軽く口笛を吹く。 修業に丸一日を費やしてしまった二人は、その明朝はやくにゼラムを出発した。 途中なんどか盗賊や外道召喚士の一団に遭遇しながらも、これも修業となんなく片づけ、二人は予定より少し早く、日も暮れる頃に港町・ファナンの門をくぐった。 潮の匂いがする。 リューグがついぞ、嗅いだことのない匂いだ。ずっと森で育ち、村を遠く離れることもなかったから当たり前だが、街の至るところで潮騒が聞こえるというのは、なんだか不思議な心地だった。 海風というのは、はなんだか、粒子が粗い光の粒が混じってでもいるのだろうか。少しザラリとして、しかしきらきらとしている。その風に、のまでの黒髪がさらさらと流れて、細い髪だな、と思わずリューグは感心する。髪ばかりでなく、腕も足も細い。ちゃんと食ってるのかと考えかけ、人の倍以上の量を食べるということを思い出し、それ以上考えるのをやめる。 「さて、と。アメルたちを探したいけど…、」 「もう日暮れだからな…。今日は宿を確保して、明日にしたほうがいいかもしれねえ。」 それにこくりと、が頷く。 「宿場街なら場所、わかるよ。前に一度来たから。」 そう言ってが先を歩き出した。すいすいと人ごみを掻き分けて、歩いてゆく。 ともすれば置いて行かれそうな錯覚をして、リューグはその後を少しばかり本気で追いかけなければならなかった。はまるで人混みなど存在しないかのように、悠々とその間を割って泳いでゆく。 黒い髪が揺れる。 淡い藤色の袖が、夕陽に赤く染まって揺れる。 なんだかその様子が、ひどく現実離れして見えた。は振り返らない。今自分が追いかけているのは、本当にだろうか―――。 「リューグ、」 はっと目を開けるとがリューグの真正面に立ち止まって彼を見上げていた。 「はぐれてはいけないよ。」 大人が子供に対するような言い方だった。 夕暮れの光にの顔が朱めいた黄金色に染まっている。菫の目は太陽を映して金に見えた。細い指先。こっちだよ、と招く。ふいにその額の角が、存在を主張する時間―――。 そんな錯覚を覚えてリューグは頭を振る。 「ほら速く。」 手をひかれるままに歩き出した。リューグは知らない。リィンバウムにはそんな概念がないから。黄昏時は逢魔ヶ時だ、闇夜に巣食う魔の者たちが、浮かれ踊って騒ぎだす時間―――魔の通る時間、鬼の時間、もののけの時間。の角が存在を主張している。 わたしはおにだよ。おに、おに。おに―――。 「ここだよ。」 はっと気がつくともう空には気の早い星が出始めていた。その天井は青が強くなり、もはや黄昏の朱は地平線近くに隠れつつある。繋がれた手は何時の間にか離れていた。 「このまままっすぐ行くと浜に出るから…夜は浜で鍛錬ができるよ。」 前もここに泊まったんだ、と笑いながら、が店の扉をくぐる。 「おばちゃーん、久しぶり!」 「あらちゃん!」 すっかり顔見知りらしい。 先ほどまでの不思議な感じはなんだったのだろうか。しきりに首を捻りながらリューグがの後に続くと、「なあにちゃん彼氏連れてきたのかい!」と宿屋の女将の大きな声。 あははと笑うと、違うと心底嫌そうに口元をひきつらせるリューグ。 「ここはご飯もおいしいし、窓から海が見えるんだよ。」 うれしそうにそう言ったに、「そうかよ。」とだけぶっきらぼうにリューグは返事を返した。が宿帳にサインをする間、ちらりと盗み見た額の角は、さきほどより小さく、目立たなく感じられた。 |