26.黒騎士 |
Luvaid |
のちょっとした物騒な脅しが効いたのだろうか。 飛び出してきたたちにすぐさま気づいた兵たちが、両サイドから挟撃してくるが、リューグはあくまで薙ぎ払うのみで、前へ進むことを目的にしていた。 しかし流石は、訓練された軍隊の兵士だ。個人個人の力はたちより劣っても、陣の組み方、攻撃の仕方、連携の取り方、でその穴を埋めるどころか苦戦すらさせる。一歩進むごとに、戦闘が開始されたことに気づいて、四方に潜伏していた兵たちが集まってくる。 「邪魔―――!!」 が剣を振り回すもあまり前へ進めない。 兵たちも二人の目的がファナンであると理解しているからこそ、進ませまいとしてくるのだ。 「どけっ!」 リューグの斧が、唸りを上げる。 しかし城壁までは遠く、まだ見張りの兵の目にも、この戦闘は入っていないに違いない。 黒い腕に手を、足を、搦めとられるような気分だ。 進まない。 ギリと奥歯を噛んだの視界いっぱいに、ふいに暗い緋色が広がる―――。 「!!!」 リューグの叫び声も、聞こえなかった。 はただ咄嗟に、自らの剣を防御の構えで頭上に掲げた。そこに重たい一撃が、ずしりと圧し掛かってくる。が一瞬、衝撃に目を丸くする。重い―――。頭上に振りおろされた剣を受け止めながら、見上げた先。大剣を振りおろしてきた、たくましい腕の先の顔。 蘇芳の色だ。 一瞬はあっけにとられる。厳しい、強い眼差しは、深い深い蒼みがかった緋色。蘇芳の色と、彼女の故郷ではそう呼ぶ―――黒い鎧、黒い剣。真黒な騎士。 「っ野郎!」 リューグの斧が、二人の間に割り込んでくる。二人は互いの剣に力を込めることでそれを避けた。 「黒騎士!テメエ、出てきやがったな!!」 完全にもはやリューグの顔から怒りと憎しみ以外が消えたと言っていい。進むことが目標であるのに。 しかしそれは、もはや意味をなさないことであったかもしれない。 この壁のように立ちはだかる男を抜かないことには、進めなどしないことがにもひしひしと分かっていた。 黒鎧の騎士から発される闘気は、真冬の吹雪のように冷たく、激しい。そうして一縷の綻びもなく―――まさに城壁とでも言えばいいのだろうか、冷たく堅牢な岩壁のような男。 「これが…黒騎士…!」 強い。 それがお互いに剣を合わせての直感。 もはやの目には黒騎士しか映っておらず、相手も同様だった。今、この場で、もっとも強く、邪魔で、排斥すべき相手が誰なのか、一瞬で悟っている。 第二撃を加えようとするリューグを、兵たちが阻む。中には以前に、レルムの森でがのした人物も見える。の戦力は報告済みだ。暗黙の了解が兵士たちのなかに出来上がっている―――大将の戦闘に手を出さない。出すことはできない―――。 「我が名はルヴァイド。娘、名は。」 低く深い、よく通る声だった。 闘争の匂いがする、とぼんやりとは思った。この人もまたそうなのかもしれない。きっとそうだろう。 だんだんと引き離されてゆくリューグを見る。黒騎士だけを、憎悪のこもった眼差しでみている―――。闘争の匂い。彼女は大きく足を開いて、頭上で剣を水平に構える。 黒騎士もまた、背筋を正し、まっすぐに剣の構えを取った。 一陣の風。 「鬼に名乗る名などなし!好きに呼べ!」 「ならば異界の娘よ!俺と戦え!」 こいつもばとるやろうかよ! 地を蹴り跳び出したの剣の切っ先と黒騎士の剣が触れる。ビイインと大気を震わすような音が響く。鮮やかな剣戟の応酬。凄まじい闘気が、二人の周辺に立ち昇っている。 黒騎士の放つ一撃一撃が重い。 しびれそうな気すらする自らの腕に、は剣を振るいながらも内心驚きを隠せずにいた。ただの人間相手に。それこそがおごりだどこか遠くで自身が笑う。この男は強い。それこそ鬼のように。 黒騎士はおそらく、の速いことに驚いているだろう。 しかし速さと重さをぶつけあっていては、いつか速さが潰れる。速いということは軽いからだ。細かな傷を与えられても、ダメージは小さい。重いは遅い。しかし、つよい。この男の技量は、その重さをに受け流させてはくれない―――。の剣は水の剣だ、静かに受け流し相手の力を返す水の剣だ。男の剣は、石のようだった。高く聳える冷たく堅固な石の壁―――。 つよい。 つよい。真黒な鬼神のように。 闘争の匂いだ。 剣が噛みあって歯を鳴らす。一撃、二撃、三撃―――どれもが互いの体に傷を付けるには至らず、剣ばかりがあまりの衝突時の力に歯こぼれしてゆく。 ―――つよい。 の頬を、冷汗が伝った。 刀、あのつるぎさえあれば―――青竜刀、彼女のたったひとつの獲物。食いしばられた奥歯がギリリと鳴る。 が押し負けている。 一方のリューグは群がってくる兵たちの間にそのさまを見て、目を見張った。信じられない。だってあの少女は、は、今までにみたどんな人間よりも強く、黒騎士にだってきっと―――。 勝手に信じていた。 黒騎士とて自らと同じように、成長するのだとも知らず。 「っ…!!」 の頬に赤い筋が走るのを見た。それはリューグに、冷静さをもたらした。 いつか緑の森の中、彼女の肩を冷たい刃が引き裂いたのを思い出す。 このままではいけない。なんとかして黒騎士を突破し、ファナンへ入らなければ―――。 「余所見をしている暇が、おまえにあるのか?」 ヒヤリと冷たい月光のような肌触りの声だった。 ぞっとしたリューグが、一歩跳びのく。その場に槍が、突き出された。 金色の髪が、太陽の下で暗く輝く。いかにも大将格の、すらりと目つきの鋭い青年―――。 気に食わない。何もかもが。 リューグが斧を構える。しかしそれでも一旦戻ってきた冷静さを失うことはなかった。 「ルヴァイド様の戦いを邪魔することは許さん。」 冷たい声。 こいつがきっと、ギブソンたちに話に聞いた槍使いのイオスに違いない。主戦力は三人。黒騎士に槍使い、黒い装甲の機械兵士。まだその姿は見えない。しかし時間の問題だろう。デグレアのその三翼が揃っては、二人にここを突破する道はない。 イオスの繰り出す槍の切っ先を交わし、反撃を加え、ほかの兵たちの攻撃をしのぎながら―――リューグは思考する。これ以上から離れてはいけない。気がつけばずいぶんと、引き離されている。剣と剣のぶつかる音が、遠ざかってはいけない。 しかし多勢に無勢、進もうとしても傷ばかりが増える。 ズン、と重たい衝撃を感じて、しかしそのままリューグはわき腹を掠めた槍をぐっと握った。 忌々しそうに、イオスが槍を引く。それを逆に引き、しばし睨みあう。 突然、リューグは抑えていた手を、―――ぱっと離す。一瞬自らの力の反動に、たたらを踏みそうになったイオスに背を向けて、リューグは兵を二、三薙ぎ払って走り出す。 「待て!逃げるのか!」 追ってくるイオスの声。今までであれば耐えがたい言葉だ。聞いた瞬間踵を返して、きりかかる言葉だ。 しかしリューグの目に映っているのはだった。片手をぶらりとぶら下げている。血は出てはいないが、その力の入っていない様子は、骨が折れているのだろうと思われた。 片手でルヴァイドの攻撃を受け切れるはずがなく、傷が増える。血が流れる。 「降伏しろ!ならば命までは奪わん。」 剣を振りおろしながら、何を言うのだろう。この男は。 ニヤとが笑う。 「とうそうのにおい、」 ぼそりと呟かれた言葉に男は怪訝に眉をひそめる。 「降伏したらどうなるの?」 「…聖女との取引には協力してもらう。」 それを受けては屈託なく笑いながら足を振り上げた。突然の蹴りに黒騎士が少し跳びのく。顎が砕けたという報告は聞いていた。 しかし聞いたより、少女は弱い気がした。 報告を聞き、兵に対しても己に対しても鍛錬をより厳しいものとした。この娘は確かに強い。その右肩が万全であれば、もっと苦労させられただろう。実際に彼も、少なからぬ傷を受けている。こういった勝負は久しぶりだった―――あの砦の一戦以来。しかし娘の力は、彼と同等、あるいはそれ以下なのである。 報告と違う。 内心首を捻った男に、少女が笑う。 「それはできない相談だ…リューグに殺されちゃう。」 少女が笑う。右腕はだらりと下がったままだし、頬は大きく切れている。あちこち傷だらけだ。もはや勝算はないことくらいわかるだろうに。そもそも戦力が、違いすぎる。 偶然ルヴァイドが近くに潜伏していなければ、きっとこの二人は包囲網を抜けただろう。 しかし偶然自分がその場近くにいたのも、イオスがちょうど定時連絡のためにこちらに向かっていたのも―――すべては運だ。 この娘たちは運に見放されていた。 「ならば苦しまずに逝け!!」 「!!!」 振り下ろされる刃、少年が包囲を突っ切ってやはり傷だらけで駆けてくるのが見えた。その目に宿る憎悪は、きっとこの一撃によってより強く深くなるだろう。憂鬱が一瞬、ルヴァイドを駆ける。 やーなこった、と娘は笑った。 次の瞬間、青い光が弾け飛んだ。 |