29.目覚め

morning bell



 見なれぬ天井に、首を捻りながらは起きあがった。
 以前にも―――というか、近い最近、同じように首を捻ったことがある気がする。ふいに走った痛みに体が軋むような悲鳴をあげたように感じられて、彼女は思わず、起こしかけた体をやわらかい布団に沈めた。いつの間にか手当の施されている体や、その突き抜けるような激しい痛みも、やはり最近に同じような目にあったような。
 以前見上げた天井よりも、年季の入った―――しかし焼け焦げてはいない、を見上げながら、はここはどこだろうとぼんやり考えた。

「…あ、」

 花の咲くような声がした。
 なんとか首だけ動かして、声のするほうを見たが見たのは、茶色の髪に茶色い目玉をまるくして、自分を見つめる女の子だ。白と青の服は聖職者のような雰囲気もあるが、ずいぶんと足の露出がはげしい。
「よかったあ、目が覚めたんですね!」
 一瞬、ほんの一瞬その目が戸惑うように、逡巡するように伏せられた。しかしやっぱりそれは一瞬で、見る間にその顔はやわらかく綻ぶ。
 おはなみたい。
 ポカンとは目を見張る。その間にも女の子はあわただしく、今開けたばかりのドアから走って出て行った。
 後に残ったのは、小さなちいさな。

「…きつね?」
 白い耳を生やした少女が、じっとドアの隙間からの様子を窺っていた。かわいらしい着物を着て、両手でしっかりとまあるい水晶玉を抱えている様子は、先ほどの夢を思い出す―――。
 そこまで考えて、やっとは、先ほどまで自分が夢を見ていたのだと気がついた。
 夢。
 遠い昔の現実と、の心の虚構の混ざった、うそ寒い夢。
 ぶるりと一度震えて、頬を白くしたに、狐の耳を生やした少女が、おずおずと近寄ってくる。

「おねえちゃん…鬼になった鬼なの?」
 わずかにおびえも混じったような言葉の響きに、は苦笑する。
「そうだよ。」
 その言葉に少女は耳をぴくりと震わせた。
 まだ妖力が十分でないのだろうな、とはぼんやりその少女のよっつある耳だとか、着物からはみ出したしっぽだとかを見ながら考えていた。力が高まれば高まるほど、狐も狸ももっとよく化ける。それこそ人と区別がつかないほどにうまく。

「つの…痛くない?」

 少女の口から発せられたのは、泣き出しそうな響きだった。
 それに今度こそははっとする。先ほどの怯えるような声の調子も、おそらくはこの角の生じる痛みを想像してのことなのだ。痛くないと言ったら嘘になる。しかしほんとうを言えば、きっとこの感じやすい子供は泣くだろう。
 少し困ってくちびるを噤んだを、少女もはやり、布団の際で少し困ったように首を傾げて見下ろしていた。
 だいじょうぶ。いたかったのはむかしのことで、いまは、いまは―――。
 いまは。
 なにか言い出そうとしたを、廊下から聞こえてきた騒々しい音が遮る。

!!!」

 目をまんまるにして、駆けこんできたのはリューグだった。赤い髪がやけに昼日向の光の中、明るく見えた。リューグもあちこちに、包帯を巻いてはいるが元気そうだ。リューグを追いかけて、「まだ走っちゃだめだったら!」 だの 「待ってえ!」 だの元気な声が聞こえてくる。
 元気そうだな、と真剣な様子で横たわる自らを見つめるリューグを見ながら、のんびりは考えていた。
 言葉に詰まったように、言葉を探すように、あるいは何から話そうかと迷うように、リューグの口からは今にも言葉が出そうなのになにも出てこない。ただそこにいるをじっと見極めるように、その眼差しだけが雄弁だ。
 かすかに戸惑うような、本当にこれはだろうかと、どこか必死な目をしている。

 きみはみたんだね、おにを。
 自らの記憶が途切れていることと、まだ生きていることを、はひとつの結論に結び付ける。あの黒い騎士を相手に、生き延びたということは、答えはひとつしかない。
 きっとリューグは、おそろしいものを見たろう。
 恐れられるだろうか、怖がられるだろうか。今のところリューグの反応はどちらでもない。しかしはリューグを見て安堵していた。
 ―――生きてる。

「…リューグだあ、」

 なんと言えばわからなかったからそう言った。の頬が、しらずやわらかくほころぶ。
 すると見る間に、リューグの米神に青筋が浮かんで―――狐の少女が耳を塞ぐ。耳を塞ごうにも、動かない腕に、はほとほと困った。リューグのどなり声ときたら、大きくって。
「ばっかやろう!!」

 部屋の中にいる彼らは知らなかったが、その大声が響いた瞬間、道場の屋根で日向ぼっこしていた猫と冒険者が、あんまりの声の大きさに驚いて落っこちた。