33.多面体のプリズム

polyhedron



 つまり君は何者なんだ?と、眼鏡を押し上げながら冷やかに青年が言った。
 藪から棒のその質問にきょとりとした後で、はやはりリューグと出会い、名乗った時と寸分変わらぬあっけらかんとした様子でネスティと名乗ったその召喚士に「鬼、」と答えた。

「私は鬼。おに、おにだよ。」

 その言葉に、ネスティの視線がの額に集中する。
 そこから生じた一対の角。
 それは確かに、リューグが知るよりも伸びていた。しかし彼はそれに関しては何も言わず―――むしろ先ほどから、ずっと不機嫌そうに腕を組み、押し黙っている。

 の傷もほぼ完治し、明日にはレルムの村へ発つことが決まったその日の昼だった。
 体が鈍っていけないと、その本音は手に入れたばかりの青竜刀を振りたいだけのに付き合わされて、銀砂の浜へ向かう途中で、ばったりとこの見るからに神経質な眼鏡の青年と出くわしたのだ。
 すでにこれだけの大所帯でありながら、だんだんとそのメンバーを増やし続ける一行に、比較的すんなりと、カイナのお墨付きもあってかは受け入れられ始めていた。しかし本来、常に追われる身の上にある彼らが、部外者に対して過敏になるのは当然のことだったろう。
 正常な反応をしているはずなのに、こうも剣呑に見えてしまうのは、一行の中心であるマグナやトリスが、不思議と警戒心の薄い人懐っこい性格をしているせいだろうか。
 旅先で出会った様々の人間を吸収して、この不思議な一行は顔ぶれを増やしている。現にが寝ついている間にも、ユエルと言う名前の獣人の少女が新たに一行に加わっている。こうして仲間の増えるその度に、きっとこの青年はひとり気を揉んでいるに違いない。少しばかりその顔に、疲労の色がおなじみになってしまっていた。
 ずっと君とは二人で話をしたいと思っていた、という出会っていきなりのネスティの言葉にがヘラリと「えっ照れる!」と笑って見せたが彼は案の定にこりともしなかった。俺は邪魔かというリューグの嫌味も、もちろん通用しない。
「君がシルターンで或る程度名の知れた鬼神だということもわかった。はぐれ召喚獣だというのが本当だとしても、なぜ君は危険だとわかっていて僕らに同行するんだ?」
「アグラおじいさんにアメルを連れてくるって約束した。リューグのこと、友達だと思ってるし、助けになりたいと思ってる…そのつもりで助けられたり、逆に迷惑かけたりもしたけど、それでも私に手伝えることがあるなら、って思うよ。それにアメルやモーリンには命の借りがある。」
「…見ず知らずの他人との約束のために?」
「アグラおじいさんは私の命の恩人。」
 うたうような、のんびりとしたの声。でも君は"鬼"だろう。そういうネスティの声には、訝しさよりも純粋に不思議がる子供のような響きがあった。

 それがなければ、リューグはおそらくとっくの昔に殴りかかっていただろう。だんだん会話を重ねるにつれて、ネスティの様子が困ったような、途方に暮れたようになってくる。それがなぜだろうと、リューグにも不思議だった。
 普段からは想像もつかないほどの忍耐強さで、リューグは待った。
 はあいかわらず、のほほんとしている。
「私のこと、疑っている?」
 ついには、そう口を開いた。
 面と向かって本人に、そう聞ける人物も多くはあるまい。図太いのか大胆なのか、ネスティもリューグも思わず呆れそうになる。しかしその正面切っての質問はネスティの気勢を見事に削いだ。そういうわけじゃないさ、と否定する声は、わずかに苦笑してもいた。

「…鬼というのは、」

 ややあってようやくネスティが呟いた声は小さく、ともすれば聞き逃しそうなくらいだった。
「ん?」
「鬼というのは、…いや、君のような、鬼もいるのか。」
 リューグにはよくわからない言葉だった。しかしそれはには通じたらしい。陽気な笑い声を上げて、ネスティの肩をぽんと叩いた。
「ネスティはきっと、鬼を、よく知ってるんだね。」
「…いや、全然知らなかったんだなと、ここ数日の君を見て驚いているんだ。」
 だからこんな接し方になる、と自分でも自覚があったことに驚いた。少し困ったようにネスティが自らの前髪をくしゃりと右手で掴む。
「ネスティの知っている鬼も、また鬼の一面だよ。ただ鬼には、違う一面もある。機械兵士が冷たいばかりでないように、鬼も恐ろしいばかりではない。暴れるだけのものも、人と変わらず穏やかに暮らす者も、様々の者がいる。けれども同時に、わたしたちは確かに人よりずっと強い力を持て余す、恐ろしいだけの異形でもある。」
「…自分で自分を危険だと君は言うのか?」
「それは否定しない。だからこそ鬼と知ってもよくしてくれるリューグやおじいさんやアメルたちが好きだ。」
 まっすぐにはネスティを見上げたままだったから、やはりリューグは黙っていた。もう苛立ちは収まっている。
「ただ私は、」
 の瞳。見ずともそのまっすぐな輝きが見える気がした。

「与えられた信頼に答えたい。」

 それだけが彼女の真実だ。そのことがきっと、伸びた角を手のひらを貫いてまで押し込めさせる。つい先ほどまでネスティに苛立っていたはずが、その自身の性格に、焦燥に近いかすかな苛立ちを感じている自分に、リューグは気がつく。彼女の手のひらに、あの花のような形の痣は、きっと一生残るだろう。
 そうかと答えたネスティの瞳は穏やかで、ただどこか苦しそうだった。いつもこの男はどこか溺れる者の浮かべるような息苦しい顔をしている。リューグはふいに気付く。
「気を悪くするようなことを聞いてすまない…どうも僕は自分で確認を取らないと落ち着かないんだ。」
 そして努めて、こういう役回りを引き受けようとしている。