35.獅子の目 |
Pride of lion |
「情報過多で頭がぱんくしそう…。」 ぼそり、と呟かれたの言葉に「分かるわ…」とルゥが少しげんなりと同意を示した。 「ルゥなんて、途中参加もいいところだから、自分の認識というか人間関係の大前提が合ってるかすら自信がないわ。」 「いやいや、ルゥちゃんさん、そんなこと言ったらこちとらはぐれの召喚獣だからね、まずもう国の名前から知らなかったからねつい最近まで…。」 お互い世間知らずねえ、と顔を見合わせて、二人ははあと似たようなため息を吐いた。なにせ片方は、悪魔の森の畔で細々くらしてきた一族の末裔(一族以外の人間に会うのは実に数年ぶり)であるし、片方は戦いのために呼ばれた召喚獣であるから、小難しい話には置いていかれがちだ。しかしながら、ユエルのように「アメルがうれしいならそれでいい」と言えるほど単純に物事を捉えることはできないし、かといって場の雰囲気はもちろん二人の疑問にいちいち答えるだけの余裕がないからして、二人はぽかんとしながらも、少しでも状況の把握に努めようと懸命に話を聞くしかない。 「つまり、おじいさんは、"きゅうおうこく"で"獅子将軍"とまで呼ばれたすごい将軍様だったってことでいいんだよね?」 「で、任務で悪魔の森に入って、そこでアメルを見つけて拾って、そのままこの村で育てていた…と。」 そうして彼を追ってきた悪魔に、彼とアメルに宿を提供したリューグとロッカの両親は殺された。 とてもとても、複雑で、けれども優しく、かなしい話だ。 二人で並んで、森の木々の向こうに青い月を見上げる。 「おじいさん、ずっと言えなくて辛かったでしょうね。」 ひとりごとのように、ルゥが小さく呟く。 アグラバインは聡明な人だ。悪魔のはぐれ召喚獣が、自分を追ってきたことも、それに善意で宿を提供した若い夫婦が巻き込まれたことも、総て承知の上で、いつかその子供たちに仇と呼ばれることを覚悟で、故郷を捨て、今まで生きてきた世界と別れて、子供たちに戦いと生きる術を教えながら、それでも正しく穏やかに生きてきたのだ。 強い人だ、と改めては思う。彼の地の将たちは、凄烈にして強すぎやしないだろうか。ふと、剣を交えた黒い騎士をも思い出す。 多く言葉を交わしたわけでもなく、殺し殺されかかった殺伐とした間柄だが、それでも相対したときに、どこか芯の強さのような、決して折れぬ高潔さのようなものを感じたのも確かだ。もちろんそれを言うと、虐殺者になにを言うのかとリューグが怒るので言わないけれど。 「でも正直意外だったわ。おじいさんに、リューグじゃなくてロッカがあんなに怒るなんて。」 それにきょとりと目を丸くして、それからは首を傾げる。 「そうかな?」 「そうよ!」 ふんふん、と鼻息を少し粗くして、ルゥがしきりに首を縦に振る。 「もちろん、怒る気持ちだってわからないわけじゃないの。でも、あなたたちの両親が死んだのは自分のせいだ、なんて小さな子供に言えないおじいさんの気持ちがすごく分かるの。……だからこそ、今回の件は自分に責任の一端がある、って告白できたアグラおじいさんて、ほんとうに、すごい人だって思うのよ。」 「…もちろん、ロッカだってきっとそう思っているよ。」 慰めるようにそう言って、は少し地面を蹴った。 には、ロッカの気持ちのほうがよく分かるように思えた。 家族だと思っていた。心から信じていた。そんな人との関係性が真実に蓋をすることで支えられていた脆い幻想だと気づいた時、人はどうすればいいのだろう。 隠していたことを責めるだろうか、隠されていたことを悲しむだろうか。それとも気づけなかった己の間抜けさを恥じるだろうか。 真実の蓋を開けてしまった以上、その中を見なかったことには人はできない生き物だ。見た上で、蓋をした者の気持ちまで慮った上で、蓋をされていた事実を許せる者は案外少ないのではないだろうか。どうしても蓋の中の、暗い真実に目がいっぱいになってしまう。何故蓋をしたのか、なんのため、そして誰のために?己のためだけに蓋をする者もいるだろう。誰かのためにと蓋をする者も。その両方も。そうしてどんな理由があっても、伏された蓋の下には、疑心という暗闇が巣食うものなのだ。開いた途端に飛び出して、覗きこんだ者のこころに目隠しをする。隠されていた、その事実に、全て、すべてが真っ黒に塗りつぶされてしまう。 真っ暗な中で、信じることも許すことも難しい、とは思う。知っている。 「…アメルはいいな。」 ふいにの口から滑り落ちた言葉は、素直な子供のような響きをしていて、発した方も、それを聞いた方も、少し驚いて顔を見合わせた。 すぐにばつが悪そうに肩を竦めて、それでもは観念するように小さく続けた。 「力のせいで辛い目にあっている。あんな子を羨ましいなんて言ったら怒られてしまうかもしれないけれど、でも、アメルはひとの心を"視て"、"触れる"ことができるから…どんなに隠し事をしていても、アメルを、ロッカを、リューグをたいせつに思うおじいさんのこころが、真実だって、信じることができるよね。でも、こころって、本来は視えないし、触れないものでしょう。」 の言いたいことが伝わったのか、ああ、とルゥが首を傾ける。黒い髪がさらさらと肩から落ちて、月の明かりを反射した。 「みえないもの、さわれないものを信じるのには、……とてもとても、勇気がいるから。」 そうね、とルゥの小さな相槌。言葉がある分、余計、勇気がいるかもしれないわね、と囁くような声。言葉の通じない召喚獣たちと、たったひとりで過ごしてきた彼女にも、信頼しあうむずかしさはきっと経験したことがあるのだろう。 「信じていて、愛されていることも大切にされてきたことも理解できているからこそ、許せないことってあるのかもね。」 やっぱり難しいなあ、とルゥが背伸びする。そーだね、とがいつもの気の抜ける笑い方をして、なんとはなしに顔を見合わせてわらう。 「だからこそね、やっぱり意外だったの。ルゥとしては。」 「リューグのこと?」 うん、とルゥが肩を竦めて、はそうかなあ、と首を傾げる。どうにもリューグが、短気なキャラクターに見られがちなのだということに、大所帯での暮らしになってみて気が付いた。確かに彼は、よく怒る、ように、見える。 けれどそれは違うと知っている。 言葉が足りないのとぶっきらぼうなのは確かだが、彼が真実怒るのは、怒りに我を忘れるのは、いつであっても理不尽に虐げられ、踏み躙られた記憶を思い起こさせる時だけだ。それ以外に至って彼は、至極まともで、冷静だ。両親が殺されたことに怒りはあっても、その矛先を履き違えたりはしない。もしも村におじいさんとアメルが来なかったら、などという"もしも"など見向きもしないで、「殺したのは悪魔たちであって、ジジイでもましてやアメルでも絶対にない。」ということを、言われる前から分かっている。分かりきった事実、当然のこと、当たり前のことだから、誰に言うまでもなく勝手に納得して、黙っている。沈黙していられる。 だからこそ、理由もなく所以もなく、ただアメルを手に入れる、そのためだけに虐殺という方法をとった相手に、彼は沈黙で答えることをできない。絶対に彼は許せない。赦さない。 獅子の目を持っている子だな、とは思う。最初アグラバインを年取ったリューグだと錯覚したのも、きっと間違いではないだろう。 「あの子はね、とてもよく、見ているよ。周りを。…見え過ぎるんだ。」 少し遠い瞳で、誰にともなくが呟いた。ずいぶん肩入れするのね、とからかうようなルゥの声に目を見開いて、それからふふふと嬉しそうに笑う。 「なにせ不詳の弟子だからね。」 |