04.鬼のちから

ogre's spear



 敵のど真ん中に飛び込んだ瞬間に、彼に平常の思考が戻った。
 手に刃、鋭く光る剣が、彼に四方から踊りかかってくる。馬鹿だと自分でも思った。それでも同時に、リューグはどこか身体の奥底が熱く、燃えているような気がした。―――死ぬ気がしなかったのだ。
 それはもちろん彼だけの話で、兵士たちもも、誰もがこの少年の死を確信した。
 それでもなお彼は瞳に暗く燃え上がる炎のみを見ていた。
 その首が落ちても、その火は消えることなく、少年は自身の首が落ちたことにすら気付かないだろう。
 その刃のきらめき。
 それが眼前に迫ってなお、少年は斧を振るった。ただ憎かった。奪ったのも殺したのもすべてみなお前。その視界に水色が割り込む。
 その胸が圧された。一瞬その菫の目が、怒るように煌めいたのをリューグは見た気がした。
「!!」
 とっさのことだった。
 その青は瞬時にリューグに冷静さをもたらした。
 ―――死。死だ。が死ぬ。
 自分が地面に突き飛ばされ、倒れる音。まったくなんという馬鹿力だ。ガキイ、という刃と刃のぶつかりあう音。

 しかしは生きていた。その両腕と片足で―――すべての剣檄を受け止めている。
 馬鹿な。
 それはその場にいる誰もが一瞬思ったことだったろう。その腕からも脚からも血の流れることはなく、大の男たち、鍛え上げられた屈強な兵士たちの剣を一身に受けてなお、その姿勢が崩れることはなかった。一本足で両腕と片足を高くあげ、立っているにも関わらず。
 ただ、腕と足以外―――肩には剣が、深く突き刺さっていた。そこからぼたぼたと、おびただしい血が流れている。
「おまえ、」
 リューグがなにか言おうとした。やはりそれは、自身によって遮られた。

「…いたい。」

 その言葉は、その場にひどく不釣り合いだった。
 そのまだ幼さの残る少女の口調は、転んで痛いと呟くときと、まったく同じだったのだ。
「いたい。」
 ググ、と片足を軸に身体を回転させて、は足と腕で食い止めたままの剣をすべて跳ね返した。着物の袖から鈍い金属の輝きが漏れる。腕と足に、金属の防具が仕込まれているのだ。しかしあれだけの剣戟をもろにうければ、骨が砕けてもおかしくはない―――驚愕の視線を一身に集めながら、は肩の剣を引き抜いていた。血が流れる。いたい、とがつぶやく。

「・・・ばけものめ、」

 兵士の誰かが呟いた。
 それは甲冑の奥深くくぐもって、誰が発したか定かではなかったが、ふいに大きくその場に響いた。
「ひどいな、」
 とはわらった。
 地面に伏したまま、リューグにはその笑顔はどこかさびしげに見えた。
「…いたい。」
 もう一度が言う。
 兵たちが再び陣を整え、四方から剣を構えた。もはや隠し防具は見破られている。腕と足以外を狙えばたやすいこと。
「おいこら逃げろ馬鹿野ろ―――、」
 その咆哮を、なんと言えばよかったのだろう。

 リューグは見た。
 が大きく空に向かって口を開くのを。
 オオオオオオオオオ、と響いたそれは、太く、高く、低く、遠く、人の発するものではなかった。どこか物悲しく、力強く、鼓膜をビリビリと震わせる咆哮。鳥たちが一斉に羽ばたく。兵たちの殺気すら霧散させて、その音はを中心に爆発した。
 咆哮が終わった時、その菫の目が、青く発光していた。
「……いたい。」
 やはりはそう言った。
 リューグは心臓が締め付けられたようになって、ただ茫然とその姿を見上げていた。