「あんたが?」
 幼さの残る甲高く甘い声がどこから聴こえて来たのか、はきょとりと読んでいた書物から顔を上げた。辺りを見回すも誰も見当たらない。気のせいにしてははっきりとし過ぎている。
 もう一度きょろよろと視線を動かすのすぐ真上から、キャハハハ、と今度こそ耳障りな笑い声が届いた。
 見上げる。
 蒼褪めた頬の少女が、二階の窓からを見下ろして笑っていた。
 見慣れない少女だ。なぜ自分のことを知っているのだろうか―――ゆっくりと首を傾けたに、なおも少女は笑い声を上げ続ける。

「なァによ!木陰で本なんて読んじゃって!気取ってんのォ!」
 部屋にいてはレイムがいて落ち着けないからだ、とも、調べ物の内容がおそらくレイムには都合が悪いものだからだ、とも言えず、は困ったように眉を寄せた。
 なにせ笑っているのは、まだ幼いと言ってもいい齢の少女で、ムキになって怒るほど腹も立ちはしなかったし、ただ反応に困った。年長の者が年下のものに対してよくする、その困ったような、訳知り顔の対応に、かちんときたのだろう。があっと思う間もなく、不愉快そうに顔をしかめた少女は、二階の窓から身を躍らせた。
 悲鳴を上げることが物理的に不可能なの前で、少女は難なく、ヒラリと草の上に着地する。
 紫と緑の、あまり目に優しくない配色をしたスカートがまんまるくふわりと膨らんで揺れた。猫のように敏捷な仕草。二階と言っても結構な高さだったが、怪我ひとつないらしい。本を取り落としたまま硬直した体を緩めて、ほっと息を吐いたに、スタスタと少女は歩み寄ってくる。
 ジロジロと、まさに上から下まで、値踏みするような不躾な視線。
 それに不審げな眼差しを返しながら、も少女を見つめる。自分よりもいつつくらい年下だろうか?十三歳か、それよりもう少し下かもしれない。葉っぱのような髪飾りのハートがかわいらしい。
 随分顔色がよくないな、と思った。まだ小さいのに、目の下にうっすらと隈がある。ふいに既視感。前にもどこかで、こんな印象を初対面の人間に持った―――。
 お互いにじっと見つめ合っていると、ふいににこりと少女がわらった。
 笑うとずいぶん印象が変わって、おさなくかわいらしくなる。
「ふゥん、顔は結構好みなんだけどなァ。」
 どうせなら、これに私を入れてくれればよかったのに。
 よく意味のわからない言葉。首を傾げながら、しかし頬笑み返したに向かっていた少女の微笑がだんだんと消え、侮蔑とも付かない表情に歪む。
「なァによう!わらっちゃってさ!ばっかじゃないのォ!」
 キンキンと耳に触る笑う声。
 なぜ初対面の人間にこのような言葉を向けられなくてはならないのか―――レイムの養い子であるということから、決して良い待遇を受けるばかりではなかっただが、この少女はどうも違う。
 なんとなく恐ろしい―――。
 本を拾い上げて、立ち上がったに下から少女が詰めよる。
 自分のおへそくらいまでしか身長のない小さな少女であるのに、ひどく高圧的に映る。
 少女の態度はとてもではないが筆談に持ち込むような隙がなく、どうしたの、ともあなたはだれ、とも尋ねることができないのがもどかしい。
「なーによ、黙っちゃって!困ってます、って顔してりゃあ誰かが助けてくれるとでも思ってんのォ!?ちゃん、ってほ〜んと、甘ちゃん!アタシ、そ〜いう女ってだあっいきらい!嫌いキライきらい!やァんなっちゃう!美味しそうだけどそれだけだし!弱そうだし!役に立たなさそうだしィ!?おまけにお口もきけないんでしょ!?キャハハハハハッ!あっ、それはあんたのせいじゃないか!キャハハ!ほォんと馬鹿みたい〜!!」
 なんだこの子は。
 が、怒りよりも前に驚きに目を見張る。砂糖菓子のような声音と姿で、しかし実際その口から飛び出してくるのは口汚い罵り文句なのだから、驚きもする。濃い紫の瞳が、憎しみにも似た感情を写して、を見ている。
 どうしてこの子は、こんなに怒っているのだろう。
 唖然と見下ろすの前でついには少女が噛みつくような勢いで怒りだした。
「なんだってあの方はこォんな――― 「ビーニャ。」
 ヒヤリとするような声音。
 少女もも、そろって肩を震わせた。
 レイムだ。

「いけませんねえ、勝手に出歩いて。さんにそんなに早く会いたかったんですか?」
 わらっているが、ひしひしと怒っている。
「あ、あ…あのォ、ええっとォ…、」
 目に見えて少女がしおらしい様子になる。
 レイムの後ろに岩のように控えているガレアノを見、ああこの少女もこの男と同類であるのだとは悟る。
「おや、さすが殿。もう気づかれたようですなァ?」
「本当にさんは察しが良くて助かりますね。…彼女はビーニャ、キュラーと同じく私の新しい部下です。」
 この自分よりあからさまに幼い子供も、以前からの知り合い、なのだろうか?
 眉を潜めたに、レイムがにっこりと微笑する。
「彼女のことは生れた時からよく知っています。しばらく会わない間に大きくなりましたねえ?ビーニャ。」
「嫌味ですかァ、レイム様ァ。」
 甘えたような、舌ったらずな喋り方。先ほどまでの呂律の回り方が嘘のようだ。
 そんな様子の少女を、どこか冷たく見下ろしたあとで、顔を上げるとレイムがにこりとに向かって微笑む。いつもに微笑む時だけ、その微笑は完璧に優しい。ただそれは版を捺したように一定のもので、やはり変わる前のそれとは随分違って彼女には映る。

「…女の子同士、仲良くしてあげて下さいね。」

 小さく頷くの前で、ビーニャが物分かりの良い子供らしい、元気な返事をする。
「よろしくねェ、ちゃん。」
 女とは恐ろしいものですな、ガレアノの憮然としたような、どこか遠い呟き声。


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