「ね〜レイム様ァ、いつまでちゃんを生かしておくつもりなんですかァ?」
 べったりと濡れた手に砂糖を付けるような声音で、少女が尋ねる。窓際の簡易ベッドにごろごろと寝っ転がりながら尋ねられた本人は、庶務机の上の書類に、さらさらとペンを走らせている。
 そう、ほんとうに、たださらさらと。
 誰も読めやしない文字。誰も読みやしない文字。誰も読むことのない文字。
 別にその文字が、誰も読めないほど高等な、あるいは異世界の文字と言うわかではない。
 ただぐるぐると、ペン先の動くのに任せて落書きをしているだけだ。最後にポンと判を捺して、「はいできました。」 と愉快そうな笑みを浮かべる。
「さてガレアノ、これを遊撃騎士団・団長殿へ提出してきてください。」
「遊撃騎士団ン?ああ、あのちょっと醗酵しかけている臭いやつらですか!」
「そう、そのちょっと臭い方々です。」
「御意。」
 ニヤニヤと笑みを浮かべながら部屋を出てゆくガレアノを見送って、ごろりとビーニャが寝がえりを打つ。
「ガレアノちゃんもレイム様もりっちぎ〜!どーっせ意味ないんだから持ってかなくてもいいじゃないですかァ〜!」
「何を言うのです、ビーニャ。たまには動かして差し上げないと、臭いだけではなく使い物にならなくなってしまいますからね。」
「まったくビーニャはそんなこともわからないのですか。」
 あからさまに侮蔑するような響きで肩を竦めたキュラーをビーニャが睨みつける。
「おお、怖い。」
「キュラーちゃんなんかきらァい!」
 こらこら喧嘩は止めなさい、という主の声。それにはァいと素直に返事をするビーニャと、すみませんと律儀に謝るキュラーと。もちろんすべて茶番である。だからこそ暇潰しには持ってこい。
 ふたたびさらさらとレイムとキュラーが机に並んで書類にペンを走らせる音が響き―――、話が突然、冒頭へ戻る。

「ビーニャ、」

 その声音の温度が、あからさまに低い。
にあまり不要なちょっかいをかけないことです。」
「ええ〜…レイム様怒っちゃいや〜!」
 よくもまあこれだけの冷たさの中、そんな風に甘えた声が出せるものだとキュラーは内心感嘆する。本来それらのような生物に性別というものはないにも等しいのだが、やはりその魂の質によって、人間でいうところの女性的・男性的、といった性格区分が存在した。これだから "女" というものは不愉快なのだ。餌にする分には嫉妬深いことこの上なく、その負の感情もどろどろと大変な美味であるが、同僚にするなら話は別―――特にこのビーニャのようなものは。

「だァって、あんなただのニンゲンのどこがいいんですかァ?」
「あれはただの人間ではありません。れっきとした召喚獣ですよ。」
「でもただのニンゲンと変わんないじゃないですか。」
「あなたにはそうでも私には違います。」
「…どう違うって言うんです?」
 ヒタリ、と温度が下がる。
 これだから女は、とキュラーは考えている。

「あれは私の娘です。そう扱いなさいと最初に言ったはず。」
 覚えてますよ、とビーニャが拗ねたような、やはり甘えた響きで話す。
「でももうだいぶんレイム様の力も戻ってきたし、最近あの子、美味しい感情出さないしィ、傍に置いててもレイム様の役に立たないじゃん、って思っただけなんですゥ〜!」
「ならば余計なお世話です。」
「ぶ〜!」
 噫、速くガレアノが帰ってこないものかしら、普段は馬鹿にしている同僚の空気を読めないカカカという笑い声がなんとなく恋しいキュラーである。そう思いながらさらさらと彼がペンを走らせる書類には、きちんとしたリィンバウムの、旧王国で正規の書類に使われる文字が並んでいる。これはまだ "生きた" 部隊に提出せねばならない書類であるから、隣で遊んでいる主人のように、落書きで済ませるわけにはいかない。そもそも彼はこういった回りくどく面倒くさいことが嫌いではない―――己の主人に似て。周到にじっくりと積み上げた石を、一息に崩すことの仄暗い愉しさを知っている。
「レイム様、これに判をお願いいたします。」
「はい…これは黒の旅団宛ですね。」
「はい。ああ、それからなぜかこの時期に軍服の購入申請が来ておりますがどういたしましょう。」
「適当に買い与えておきなさい。」
「は。」
 先ほどまでの楽しげな様子はどこへやら、もうすっかり書類ごっこにもあきたらしいレイムが、椅子にううんと凭れかかる。

「ねえ、レイム様ァ?じゃあ、ルヴァイドちゃんたちは、いつまで生かしておくんですかァ?」
「私の力がほぼ完全に戻るまで…屍人たちの軍隊はそれまで表に出すわけにはいきませんし、それまでは存分に、今は亡き"デグレア" とお父上の名誉のために、働いていただきますよ?」
 あの男が戦い傷つく理由はすべて失われたもののためばかりだな、とキュラーはなんの感慨もなく思う。
 亡きデグレア。確かにそれはそうだ。もうこの国の中枢部は、傀儡と貸している。その国民の半数以上も、もはや屍人と貸した。
 それから亡きお父上、その単語にキュラーは覚えがある。
「ああ、あの男。」
「ええ、あなたの爪が貫いた将軍殿です。」
「あれは美味でした。」
「アタシも食べたかったなあ〜キャハハハハ!」
 まだ彼がこの体を手に入れる前から、キュラーは本来の姿で主に召喚獣として行使されていた。その時に殺した男だ。聡い男、しかし単身乗り込んできた、愚かな男。
 彼らは嗤う。
 あと少し、もう少しと言って。
 爪を砥ぎ牙を磨いでその時を待っている。




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