冷然とした微笑を浮かべて、影のように男がそこに立っていた。
「お食事をお持ちしましたよ―――女中に運ばせてばかりではあなたは食事をして下さいませんからなぁ。さて、気分は如何です?」
 と呼びかけられたその人は沈黙のままに、睨むように挑むように、そこにまっすぐ立っていた。
 キュラーは完全に体ごと天井裏に現れると、ローブについた埃を払った。埃が舞って、天井からの光りにきらきらと踊る。
「おや、やはり手をつけて下さっていない。」
 鉄格子に近づいて、呆れたように、ひとこと。その視線の先には床に置かれた皿に乗ったままのパンと水とがある。
「あなたは"生きて"いるのですから食事を採らねば死んでしまいますよ―――それとも死にたいので?」
 クツクツとキュラーがわらう。
「いけませんな。あなたに死なれては、我々が主に叱責を受けます。」
 新しい皿とコップとを格子の隙間から差し入れて、ひとこと。

「食べなさい、人間。」

 あまりにも冷たく、別の意味に聞こえるような言葉だった。
 しかしそれを突き付けられてなお、彼女は毅然としたまま動かない。眼差しはキュラーを映したくもないと言うように、ただ前を見ている。その様子にも慣れているのか、キュラーがやれやれと首を振る。長い袖から鍵を取り出して、カチャリ、と鈍い音。格子の扉を開く。そうして身を屈めて、牢内に入ってきたキュラーに、初めて彼女は追い詰められた獣のするように一歩後退さった。
「さぁ、」
 伸ばされた手に、ジリと彼女がさらに後ずさる。足の鎖が小さく鳴る。
「…――――さあ。」
 一瞬の動作だった。
 右足を踏み出したと思うと、キュラーがその人を後ろ手に拘束していた。そのまま無理やり口に千切ったパンを押し込み口を閉じるように顎を抑え、そのまま上を向かせる。そうすると生理現象で、自然と喉が動くのだ。そうやって何度か殆ど無理やりに口に食事を詰め込み続け、仕上げにと言わんばかりにコップから息継ぎの間もなく水を流し込んだ。飲み込みきれなかった水滴がその人の喉を伝って落ちる。
 最後解放されて、荷物のように床に投げ出された彼女はゲホゲホと咳き込んだ。
「吐かないでいただきたい。せっかくの手間が無駄になる。」
 しかし今日は比較的素直に食べていただけましたなぁ?と無感動にキュラーが倒れこんだままの背中を見下ろして言った。
「いつもこうなら有り難いのですがねエ。」
 睨みつけるように見上げた眼差しを、せせら笑うようにキュラーは彼女に背を向ける。
「まったく。あなたの強情さにも参ったものだ。昔はめそめそ泣いてばかりで、かわいらしいものでしたが。」
 床に広がった彼女の白いドレスの裾を無感動に眺めやりながら、キュラーは退屈しているようにも見えた。後ろへ撫でつけられた暗い紫の髪の毛が、ハラと一房顔の前に落ちる。それをやはり退屈そうに、どこか面倒くさそうに後ろへ払いのけて、それからキュラーは薄くわらった。

「…いい加減諦めてはどうです。」
 絶望し、嘆き悲しみ、その身も悶え苦しんで―――死んでしまえ。どこかでそう聞こえた。すべて諦めて、絶望と悲しみとを垂れ流し、あの方の餌となればいい。

 その言葉に彼女は顔を上げた。
 頷きも首を横に振りもしないが、その眼が力強く、否定の意を表していることが知れた。
 それに不愉快そうに、うっすらと笑いながらキュラーは牢から出てゆく。まったく主さえいなければ。彼女に聞かせるためだけのひとりごと。埃の積もった床であるにも関わらず、彼の歩いた後には靴跡すらつかない。ただ長いローブの擦れた跡だけ、蛇の這ったような波模様に残った。

「ビーニャではありませんがね。主の命さえなければ、いのいちばんにあなたを壊しますよ――― 一番気に入らないタイプの人間です。」




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