暗い臙脂の旗が高い天井から冷たい床にまで伸びている。
「むう…いくら、この町の気候が寒くとも、さすがに年月が経ちすぎたわ。そろそろ、こいつらの体にもガタがきておる。」
 床に転がった、着物だけは豪奢な塊をつま先で転がして、無感動にそれが嗤う。
「所詮はナマモノですからな…ここまで使えただけで、よしとすべきでしょう。」
 なにせこの街は、天然の"冷蔵庫"ですから、とさも面白い冗談であるかのようにそれが言い、ほかのふたつもその言葉におかしそうに嗤った。
 とかく腐りやすいものを保存するのに、冷たいところほど都合の良い場所はない。暗くて寒く、人目につかない、険しい山々に囲まれた石造りの城などもってこい。この国は使えた。立地的にも、内容的にもまさにおあつらえ向きで申し分なかった。他国との交流は戦の他になく、険しい山岳地帯に囲まれ人々の行き来もない、行き過ぎた国家主義とそれに慣れきった住民たち、国に忠誠を捧げる愚直な軍人、そればかりの国。まさにそれらのためにしつらえられたような舞台。閉ざされた樽の中で、ワインがどうなっているかなど誰も知らぬこと。この国はひどく"使え"た。

「それに比べてさァ、ルヴァイドちゃんたら意外と使えないよねェ?」
 心底あきれた、といった風な声音だった。しかしどこかおもしろがるような響きも帯びていて、それ以上にどうでもよさそうな無関心が滲んだ。女児の声をしたそれは、スカートのめくれるのも気にせず、机の上に足を上げて、本来床に転がっているものたちが座るべき豪奢な椅子を、ギッコギッコと揺らしている。一番背の高いそれが、少し見咎めて足を指差した。「止めなさいはしたない。」 「なァに、エッチ!」 「気持ちの悪い冗談はよしてください。」 はいはいと返事をして、それは足を机の下へおろす。それでも椅子を揺らすことは止めず、特に誰もなにもそのことについては言わなかった。
 少し開いた間に、少女の声音で話したそれに同意するように、最初のそれが口を開く。
「大口を叩くわりに、我らの加勢なしでは街ひとつ落とすこともできぬ。まったく使えぬ。」
 苛々している、というよりは心底あきれているようだった。少なくとも同種の生命に対するあきれとはことなるあきれだった。あきれていながらも、それが当然だという優越感すら、その声音には滲んでいる。最初から期待なぞしてはいないが、それでももう少しくらい、役にたってくれてもいいだろうというような、変に高いところから見下ろすニュアンスがある。
「まあまあ、二人とも。そう責めるものではないでしょう。」
 良識的なようでいて、いっとう冷たい響きの声。
「戦いが長引くほうが我々にとっては都合がいいのです。それにあの男の価値は、武人としての力量よりも、その愚直さにあるのですからね…。」
 あの男、と発音するとき、どうしようもない嘲りににた愉悦の表情が、冷ややかなその表情にチラと浮かんだ。それに少女の声が、愉悦も嘲りも隠しもせずに、ただおかしくてたまらないように鳴る。
「キャハハハッ!ほんっと!かわいいよねぇ、黒騎士様ったら!自分に命令している元老院議員が、屍人の集まりだってことさえ気づかないんだもん。」
 恋する乙女のように、黒騎士様ったら、と言ったそれの恍惚の表情は、もちろん恋するそれとはかけ離れている。おろかな玩具をかわいいと思うのは、もちろんそれが愉快なほかにないからだ。

「クククク…まして、反逆者として処刑されたという御自分の父親が…その真実に気づき、たった一人で我らに挑んで返り討ちにされたとは思いもしますまい?」

 その言葉に、次々笑い声が上がる。
 そういった意味では、それら三人ともが同じようにその愚かな男を好んでいた。それらはその主のように、御しにくい者を好むだけの力量を持たない。あえて手ごわいものを相手どるよりも、相手には圧倒的な弱者を求めた。そういった意味でも、この国は、街はそれらには格好の餌場だった。
「カーッカッカッカ!まさに、親子そろって愚かなことよな…。」
「そのおかげで、ルヴァイドがあそこまでデグレアに従順に育ったのですよ。」
「感謝せねばなァ?」
「幼い頃から、そのせいで迫害まがいにいじめにいじめ抜かれたのですから、当然でしょうが。」
「あ〜あ!アタシも見たかったなあ、いじめられてベソかいてる小さなかわいいルヴァイドちゃん!」
「泣き顔ひとつ見せぬかわいらしくない…それこそかわいらしい子供だったと主は仰っていますがねぇ。」
 耳障りな笑い声を、それらが一斉に立てた。

「でもいい加減、そろそろ壊しちゃいたいなあ。」

 少女の声で、囀るのはおぞましいことばかり。
「まだまだ…いましばらく、あの男には働いていただかねば。それこそ最期のその時まで…ね。」





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