「マグナ、トリスっ!ふせて!!」
 寒空に険しくも頼もしい少女の声が響き渡った。次いで銃声とこれもまた頼もしい声がいくつも続いて鳴り渡る。
「みんなっ…!!」
 を背負ったまま顔を明るくしたマグナに、「どうやらくたばっちゃいねえようだなァ?」 と護衛獣が皮肉交じりの冗談を飛ばした。彼らの背後からは、それこそかつて見た悪夢の再現のように、黒くおぞましい形に成り果てた屍の群れが、うぞうぞと迫ってきていた。
「待ってるだけってのは、どうも性にあわなくてな…、」
 そう笑ったフォルテの言葉尻を継いで、アメルが頷く。
「パッフェルさんにお願いして、こっそり街の様子を調べてもらったんです。」
 そのパッフェルは、一番前で火器をぶっ放しているので頼もしい限りだ。その人は、と不思議そうにアメルがマグナの背中を指す前に、彼らにとっては聞き覚えのある、嫌な声が響く。

「わざわざ集まっていただけるとは、手間が省けましたな。」

 この土地で聞くとは思っていなかった声に、シャムロックが驚きの声を上げた。ガレアノ、ビーニャ、キュラー。不幸そのものであるような三人の召喚師が、彼らの背後に差し迫っていた。それに被せるように、トリスが鋭く、声を発する。
「元老院議会ってのはこいつらに乗っ取られていたの!黒騎士たちはこいつらに騙されて、操られているのよ!」
 一拍、その言葉を意味として把握するのに間が空いた。元老院議会。このデグレアを回す最高の執行機関、街には屍の群れ、不吉な召喚師たち―――それは、つまり。全員が驚きを隠せない中、一番最初に言葉と感情を取り戻したのはアグラバインだった。
「貴様ら…よくも、そのようなことを…!!」
 怒りという言葉では収まりきれない感情がうねった。
 彼のかつての故郷。
 捨てたとはいえ彼が生まれて育った、かつては心血を捧げた国。そして同じ立場にあるかつての教え子。それがすべて、この得体の知れぬ召喚師たちに―――喰われた。
 彼の表情には隠すこともできない怒りが迸っている。
「キャハハハハハッ!今更悔しがっても手遅れだよォ?」
 ビーニャが甲高い、耳障りな笑い声をあげる。だってもうぜんぶ殺しちゃったもの、と悪びれもせず。その隣で、どこかカリカリとしたキュラーとガレアノが、順々に口を開いた。その視線はまっすぐに一点を、を背負ったマグナを、正確には彼女のみを―――見ている。思わずかばうように後退さったマグナを見、三人は眉を上げた。
様をお返しいただく。ついでに全員、死んでもらいます。」
「『鍵』となる娘も、こちらにいただかせてもらうがなあ!?」
 それが戦いの合図だった。三人の召喚師が、一斉に詠唱を始める。兄さんはさんを後ろへ、と妹に押しやられた兄の隣に、縋るようにかつての獅子将軍が並んだ。
「待ってくれマグナ。だと?」
 アグラバインはマグナに背負われた娘をまじまじと見つめている。見る間にその顔が、先ほどと同じような驚愕に染まる。
「おぬし、もしや……、」
 おぶわれたまま、少しぐったりとしていたが顔を上げた。最初は怪訝そうに、しかし驚きに彩られて見開かれた目が、彼を見る。しょうぐん、と口が動く。
「やはりか!」
 生きていたのですか、とのその口が震えた。
 震えた指先が、肩越しに伸ばされる。それをとっさに、老人はとった。かつてこうやって、小さな少女が手のひらに文字をなぞったことがあった。遠い昔。その頃少女は、いつもなにかにおびえたように、悲しげな顔ばかりをしていて――――。

 ―――いきていたなら、なぜ。

 綴られた文字にハッとする。それはいつか、黒騎士の口からも出た言葉だ。
「アグラじいさん!知り合いだったのか?」
「ああ。二、三度会っただけだが…大きくなったな―――この娘は、デグレアの顧問召喚士の養い子でな…わしが会うた時はレディウスの―――ルヴァイドの家に世話になっておった。」
 ひとりごとのようにつぶやく彼らの背後で、爆音が上がる。振り返った先の戦闘は、比較的こちらが有利のようだった。頼む、と言い置いてを肩からおろしたマグナが、前線のほうへ駆け去ってゆく。

よ、わしのおらぬ間に、デグレアに、おぬしやルヴァイド、レディウスになにがあったのだ?」

 獅子将軍のその言葉に、が顔を歪める。
『レイムが帰ってきてすべてがおかしくなった、』
 その文字にアグラバインははっと顔を上げた。なぜ忘れていたのだろう。あの得体の知れない男のこと。この少女の養い親であるという銀の髪の吟遊詩人―――彼と共に禁じられた森へ入り、死んだ男。
「帰ってきた?―――それはいったい、」
『あなたは帰ってこなかった。』
 ルヴァイドの責めるような言葉の意味を知る。の縋るような目。帰ってきたのがあなたであればと父は何度も―――。帰ってきた者。それはつまり。彼は目を見開く。目の前で頭と体の離れた男を、悪夢のような森の中、彼は見ていた。
『私には何も、止めることができなかった。』
 噛みしめられた唇が切れてしまいそうだ。
 なにか、なにか言おうと思った。戦闘の決着がついたようだ。煙玉の弾ける音。とっさに彼はを抱え上げて仲間たちに倣って踵を返した。大きく聳え立つ城門を潜る。まさかもう一度、こうやってこの門をくぐる日が訪れるとは思わなかった―――その背後で巨大な門はガラガラと崩れ落ちた。その向こうにうずもれる屍の群れを一度見、彼は静かに瞼を一度閉じた。





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