殺せと彼の呻いた言葉に、の頭が真っ白になる。 もう喉はなるのに言葉が出なかった。代わりに手が出た。スパンと高い音があたりに響くのは、どこか、いつか覚えがある。呆然とした緋色の目を見る。熱く凍えた息を吐いたルヴァイドの頬に、が手を伸ばす。思い切りひっぱたいたので、跡が残るかもしれない。しるかそんなこと。だってそんな、言葉にならない。 はただ口を結んだまま、首を横に振る。何度も、何度も。 しゃがみこんだまま、そうしているの背中に影が立った。緋色の鎧を鳴らして、アグラバインが片膝をつく。かつて勢い余って弾き飛ばした教え子にそうするように。ただその眼ばかりが悲痛なまでに真剣だった。 「お前の父は、逃げ場所に死を選ぶような男ではなかった。」 静かに語りかけてくる瞳が、ルヴァイドに消えてしまいたいような恥ずかしさを齎す。 「死んでしまえばそこでおわりだ…逃げるでない…わしのように、お前は逃げてはならんのだ。たとえどんなことがあっても…どんな罪を負っても。」 かつての師の背中に、それぞれ燃えるようなまなざしをした二人の少年が見える。かつて故郷を、奪った少年だ。その二対の瞳が、憎しみと、それからほかの何事かを、語りかけている。許さない、と糾弾しながら、それでもなにか、真摯な様子で。甘えるな、逃げるな、背くな―――死ぬな。 死ぬな、と。 お前が死ぬことなど許さない。許されない。 かつて自らが、国を奪った騎士が言う。 「まして、それが第三者の悪意によって意図された悲劇でしかないのならば…。」 彼は初めて目を見開いた。 そうしてどうすればいいのか、わからない。 「ルヴァイド、今こその声に、耳を傾ける時じゃ―――。」 師の言葉に、彼は初めて、自分の目の前にしゃがみこんで、頬に触れている人を見た。 だ。 黒い髪、同じ色の眼差し、近くで見ると痩せたのがよくわかる。土に汚れて、戦場にいたのだ、当たり前に幾つか小さな怪我を負って、指先が震えている。それでもまっすぐに、ルヴァイドを覗き込んでいる。白く透明な指先。今更にぞっとする。自分は、ついさっき、この女の胸を裂こうとしたのではなかったか―――? 「ルヴァイド、」 もう十数年ぶりに聞く声は、彼の覚えているものよりずいぶん柔らかく掠れて、錆びたように落ち着いていたけれど、たしかにの声だった。その響きだけ変わらずに、昔のままの親しみを込めて、彼を呼んだ。よく歌をせがんだ、うたうたいの声だ。 憑き物が落ちたように、呆然としているルヴァイドを見、それからその周りにそれぞれ倒れこんだりしゃがみこんだままの兵士たちをひとりひとり、順々に見つめてが口を開く。 「みんなに、聞いてほしい。」 どうして私が塔のてっぺんに閉じ込められて、そうしてこの人たちに助けられることになったのか。 その言葉に、双子の召喚師が進み出る。 「俺たちは見たんだ、デグレアで―――、」 「そのことを知ってしまったから、さんはルヴァイドたちから引き離されたのよ。」 「どういうことだ―――?」 兵たちの、機械兵士の、ルヴァイドの、瞳がに向かう。 その視線を一身に受けて、なにか堪えるように、真っ白に青褪めた頬のまま、それでも安心させようとするようにはかすかに微笑んだ。いつの間にか握られた指先があたたかく、ルヴァイドは呆然とその横顔を見る。 「デグレアはもうないの。」 悲鳴も慟哭も、押し殺したような響き。 もちろん最初、誰の耳にもその言葉の意味が判じえなかった。 「もう、どこにもないのよ…!」 痛いほど握られた指先だけ、妙にリアルだ。 |