「あの鬼に喰われかけた二人はもう大丈夫なのか?」
 大広間では和やかに朝のお喋りが広がっている。
 ええと頷くの顔色こそまだあまり良くないが、表情はずいぶんと落ちついたように見える。
「アメルのおかげです。身柄も蒼の派閥預りという形にしていただけましたし…正直ほっとしています。ルヴァイドたちのことも。……最悪極刑であっても、おかしくはなかったと思いますから。」
 ヒヤリと背筋を撫でるような言葉に、発した本人が顔を顰めている。
「取り調べや審問も大変だったでしょう?」
「それでなくとも、あんた付きっきりで看病してたしなぁ。」
 ううんと曖昧に微笑んで、は手元のカップに目を落とす。
「やることがあった方が、今はありがたいです。…手が止まると、色々、考えてしまって。」
 でも顔色があんまりよくないわ、とケイナが心配そうに眉をひそめ、ネスティまでもが難しい顔で頷いている。
「ずっと監禁されてましたから、運動不足だし日に当たってないしじゃないですか?」
「それならますます安静にした方がいいんじゃないの!?」
「もっと食べなさい!」
 場を和ませるつもりで発したらしい言葉に食いつかれて、がたじたじとなっている。十時のお茶には少し多すぎる量のお菓子が、どんどんの前に積み上げられていく。太るなぁとのんきにが目を丸くしたところに、ただいまぁと元気のいい兄妹の声が飛び込んできた。
 ああ、と振り返った面々の前にどうやらご機嫌らしい二人と、その後ろにルヴァイドとイオスの姿が見える。お兄ちゃんにこにこし 過ぎ、お前こそ、とこそこそつっつきあう兄妹を正面に置いて、なんとなく話の流れを察した兄弟子が渋い顔で咳払いに忙しい。

「マグナよ、改めてお前たちに頼みたい。」
 背中から朝の光が落ちて、ルヴァイドの暗い赤髪を照らしている。どこか厳かな気配がいつもの大広間に満ちている。
「いかなることをしても、この手で行ってきた非道の数々は決して償えないだろう。俺はそれを認める。それを認めたうえで…闘うこ とでそれを越えていこう。それが…俺の償いの形だから。」
闘うことしか知らなかった。知らない。そう言う。それしか知らない、できないから、と。けれどもそれは、確かにルヴァイドにしか できない償いの形だったろう。かつて立ち塞がった黒く強大な壁のようだった騎士が、こちらに立つというのならこれほど頼もしいこと もない。彼は確かに、たったひとりで立派に大きなひとつの戦力で、完成された剣だった。
「俺の剣、メルギトス打倒のために役立ててはくれぬか?」
「俺たちには反対する理由なんてないよ。本当に、手伝ってくれるのか?」
 ああと頷いた男の顔は、憑き物の落ちたように穏やかだ。
 父親の罪を雪ぎ、咎を償う。そのためだけに、生きてきた。それらが抜け落ちた男の顔は、美しく透き通るように見えた。これが本来 の黒騎士なのだと、ひしひしと見る者に感じさせる。その眼差しは澄んで、穏やかに凪いでいる。
「それから、「イオスもも手伝ってくれるわよね!?」
 黒騎士の背後に控えていたイオスに向きなおろうとした兄の言葉を遮って発された妹の言葉は期待にあふれて元気いっぱいだ。 まったくと呆れたマグナとネスティの前で、目を丸くしたイオスが初めて見せるような微笑を浮かべる。ルヴァイドもその様子に、少し わらったようだった。
 徹底的に人間だった。苦しみすらもなにもかもをみな一度失って、そうして彼らは人間だった。そのことがどんなにか尊いことである のか、ここにいる誰もが理解していた。
「ルヴァイド様がそれを望むなら異存はない。」
「私にできることがあるなら。」
 二人そろって穏やかに発された返事に、ぴょんとトリスが跳ね上がる。
「よっしゃ、決まりだな。」
 にかりと歯を見せて笑ったフォルテに、カザミネが感慨深げに頷く。
「黒騎士の旦那が味方になってくれるってんなら心強いぜ。」
 なにせ無茶苦茶な強さなのは俺たちがよっく知ってるしな。意味深げな言葉に黒騎士が苦笑する。今までに見せたことのない表情ばかりが、彼の顔の上に表れている。彼は何もかもを失って、どこか空っぽに満たされたようだった。
「僕は貴方を許したわけではありません。ですが…」
 生まれ育った村を焼かれ、慣れ親しんだ人々を殺されて「貴方が決めた償いの形とやらは、最後まで見届けることにしますよ。 」それでもなおそう言えるこの少年たちの心の強さはどこから来るのだろう。かつてロッカとリューグの内側を焼いた炎は、もう消えて しまったのだろうか?
「ああ。」
 許せるのだろうか。
 許されるのだろうか?
 もちろんそれは甘い夢だ。現実にはきっとありえない。いつまでもいつまでも、胸の内に残っている。燻っている。消すことなど できない。消せない。消したくない。消えない。消えてくれない。いつまでも残っている。
 いつまでも。
 いつまでもくるしくて、いつまでも悲しくて、いつまでもさみしくて、いつまでもにくい。
 ああけれど、それはとても、とてもくるしくてかなしくてつらくて―――。
「…俺も同じだ。」
 弟のほうが、同い年の兄に同意を示して、苦そうな、しかしどこかすっきりとした顔で頷いた。
 答えを探す道の途中で、けれども二人の少年は、憎しみに手綱をつけることになんとか成功したらしかった。
 それがどんなにか貴く、難しいことであるのか、人間は誰も知っている。許せ憎むなということの容易さも、許すな憎めということの 残酷さも。仇の生き延びることを許しながら。その罪を許さず、ともすれば狂いだしそうな憎しみを御し、死という解放を拒み、贖罪と いうもっとも残酷な哀れを垂れた。許すと許さざるとの間、あるいはその両方の道をいく。葛藤しながらもそれを 選ぼうとしている少年たちの横顔は、よく似通って透徹としている。
「だがな、俺はバカ兄貴ほど甘くはねえぞ。」
 一番黒騎士を憎んでいるだろう彼らの内心を案ずる周囲のものを安心させるように、ニヤとして見せるだけの余裕が、リューグには あるらしかった。
「今度負抜けた面を晒しやがったら、この俺が叩き切ってやる。」
 ハンと鼻で笑いながら吐き出された言葉に、面白いほどイオスが反応する。
「そんなこと僕がさせんぞ!」
「あァ?上等だゴラ」
「リューグ!チンピラ!チンピラ!」





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