最後の一撃は、鋼と鋼の擦れあう高い音を立てた。マグナの大剣が、深々と機械と悪魔の肉とが融合したその核に突き刺さっていた。 一瞬の静寂。 しかし次の瞬間には、悪魔から黒いものが噴き出した。狂ったようなわらいごえを上げながら、悪魔が崩壊しようとしていた。 「道ヅれダ―――みんナみんナ、道ヅれにシテやる――――!!!」 溢れだしたそれは、とぐろを巻き、まるで巨大な蚊柱のように見える。 誰の目にも明らかだった。 なにかいけないものだ。 これはなにかとても、いけないものだ。 「源罪だ…!」 源罪。 生命の持つ悪意を増幅し、憎しみと欲望とに狂わせ、そうして膨れ上がった人間の負の感情を悪魔自身に注ぎ込み糧とする。純粋な悪意そのものの粒子を孕んだ風。 長い永い年月を経て、大悪魔自身が喰らい、集め、また彼自身が抱いた増悪のそのすべて。蓄積され、醗酵されて、無限に思えるほどに増幅された真っ黒い霧。脆弱な生命は触れるだけで精神を病み、増悪そのものとなる。それはたやすく世界を包み込み、喰らい尽くすだろう。かつて生命の楽園だったリィンバウムに、初めて争いを持ち込んだ黒い風。それが再び吹き荒れようとしている。そうしてその黒い風は、増幅させた悪意を吸い込み、運んで、再び悪魔に力を与える。すべて、世界はそれのための餌場と化すのだ。 ごうと唸りをあげて、風が吹き過ぎる。吹く風をとどめることが一体誰にできるだろう。風は彼らを飛び越えて、世界中へ拡散され、拡がっていく。飲み込んでいく。 「こんな反則技聞いてねえぞ…!」 倒したと思った。守ったと思った。その瞬間に立ち上った黒い影とそれを一瞬に運ぶ暴風は、なんとも言えず世界の終りにふさわしい様相をあちこちに齎していく。争い。悲鳴。怒号。増悪に狂った人の手によって、世界は自ら滅び、悪魔のものになる。 立っていられないような風の中、アメルとネスティがそれでも前へ足を進めようとした。その前にふと、白い影が割り込む。 「さん―――?」 はまっすぐに、その暗いくらい影を吐き出す塊を見ていた。足を進めようにも、吹き戻されそうな激しい風の中だ。にも関わらず、まるでそよ風のなかでも歩くように、彼女の足が一歩前へ出る。 「戻れ!ただの人間の君に何が―――!」 叫びかけたネスティの口を、振り返ったの微笑が止めた。風が彼女の髪を揺らして、白い服の裾が翻る。 まるでその時の彼女は、人間ではないようで、見るものをハッとさせた。初めて彼女が、違う世界の人間であることをふいに想起させる光景だった。 「わからない。」 がわらった。自分になにができるかなんて、そんなこと。 「わからないよ、でも。」 いかなくちゃ。 そう言ったのだろうと思う。 レイムの体は、最初の戦いでメルギトスにぼろ布のように脱ぎ捨てられて、それきりだ。あるべき姿に―――塵芥に、還ってしまった。脆く崩れ去った吟遊詩人の体をその場に押しとどめるように抱きしめて、 は透明な悲鳴を上げた。その悲鳴が、ふいに耳の奥に蘇ってくるような感覚を、ルヴァイドは覚えていた。 かつてレイムは―――まだメルギトスによって失われる前のことだ、レイムという吟遊詩人は、彼女のたったひとりの家族であり、寄る辺のない界の迷子の、たったひとつの宿り木であったことを彼は誰より知っている。そのレイムはとうに失われ、残された肉体すらも、崩れて塵になってしまった。 世界は滅びようとしている。 そうしてなぜかその滅びは、彼女に作用しない―――? そんなはずはなかった。 の腕に、青痣のように、黒い風が絡みついているのを誰もが見た。けれども彼女は、それすらも気にしないように、風の吹く中心へ、歩いて行こうとする。足取りばかりが軽く、風もそよ風に揺らされるような調子でなびいているだけ。それでもやはり、この風は、この世のありとあらゆるものに害悪であるのだ。 いかせてはならない。 そう思う。 いかせてはならない。例え世界を守る術がそれしかないとしても。行かせてはならない。もう彼女をこのリィンバウムに繋ぎ止める要素がなにもない。 かえってこない。 足元が崩れるような絶望を感じる。 ルヴァイドがなにか、叫んだ。しかし風に消されて、にも、隣にいるイオスにすらも聞こえない。 ぶわと一際大きく影が噴き出して、もはやの姿が見えなくなった。狂ったような風と嘲笑だ。悲鳴にも聞こえる。 |