これはいつだろう。 光のあふれた草はらを、 が駆けてきた。まだ幼い。両手を上げて、明るい笑い声を立てている。 不思議と世界に色はなく、けれども明るい野辺の光、ももいろの日光とが真っ白と灰色になって"それ"の瞼に映った。 色のないのにその色がわかる。若草の緑、空の青、風をはらんでたっぷりと広がり、揺れる の銀灰色のマント。白い服を着ている。初めて会ったときと同じ、真っ白なワンピース。小鳩のように清らかで、かよわくかわいらしい ものに見える最上の衣装であると思う。小さなもみじの手の平。つやつやと輝く目玉に、"レイム"ではない、本来のそれが移っていた。 両のまなざしをきらきらと輝かせて、 が手を伸ばし、駆けてくる。そのあとを日向の光が粒になって転がりながらついてきた。風。風の色すら見えるほど、世界は真っ白に 輝いて、美しいリィンバウムの、美しい草はら。 これはいつのレイムが見た景色なのか、考えたまま立ち竦んだそれの目の前に、幼い少女が立ち止る。 「×××××!」 ああ呼ぶ声すらもが聞こえない。 期待にあふれた眼差しが天を指さす。そういったときどうしてやれば子供が喜ぶのか、それは誰より知っていた。 直接見知ったわけではないが、その経験を自分のものとしていた。 手を伸ばす。こどもの柔らかい腕の付け根のそのしたに両手をさしいれて、そのまま高く、光のほうへ差し上げてやる。 こんなに軽い体をして、なのにどうして、手のひらにやわらかい生命が重い。いくつも踏み潰してきたことを忘れて、それは 子供の健やかさにみほれる。 たかい、と子供がはしゃいだ声をたてたのがわかった。 これは在りし日のいつかの景色ではないと思いいたって、それは胸を突くような苦しさを覚えた。こんな景色、レイムも知らない。 夢だ。 そう思いいたって、それは、今度こそ死んでしまうような気持ちがした。 いいや実際きっと死んでいる最中のこと。どうしてこんな、終わりの夢を見たものだろう。 いつまでもこの夢を、終わりの瞬間を繰り返していられるのなら。 ただの夢。一瞬の走馬灯。それがどうして、こんな、ひどく口惜しい。 どう、と風の鳴る音が急に耳を打った。子供のはしゃぐ声。 おろかなゆめだとわかったよ。 これは幻だ。 悪魔の王がなんという幻想。 「。」 呼ぶと娘が明るくわらった。 それすらも風に流れて、光に溶ける。 溶ける。 ああこの滑稽なほどおろかしい夢を、誰にも、自分自身にすらも、渡したくない。 それは幻に微笑みかけた。 それはしがない吟遊詩人で、拾った少女と歌と音楽を紡ぎながら世界を旅しているのだった。 「さん、」 おろかなゆめをみている。のぞんでもいないきよらかなゆめをみている。馬鹿げていた。それはあくま。あくまだ。いにしえよりの 悪魔の王。滅びの夢をばかり見て、争いと恐怖とを撒き散らしながら、死と増悪と狂気とを愛おしみ、暴虐の限りを尽くしてなお 足りない。 うつくしい世界が欲しかった。 そうだ、まだ生まれたばかりの、脆く儚い精神生命体でしかなかったそれは、サプレスに広がる真黒な真空の中で、遠い世界に憧れた。 冷たいサプレスの下層、澱みの沈澱した界の底で初めて自らを自覚した"それ"。名前は誰にも与えられなかった。それは自分で自分に名を 与え、自分によく似た姿をしているとも知らず、他の影を恐れ、その恐れを恐れて、それらの影を食べた。暗くて冷たいものばかり飲んで、 そうしていつか、"あくま"と呼ばれて、そうして少しずつ大きくなって、だんだんにそれは、思考する塊になった。 そこは暗く、冷たい場所で、遠く、かすかに光が見えた。透明な膜に覆われた霊界の外、宇宙の真空に浮かぶ理想郷が、水を透かして見る ように、遠く、遥かに霞んでいる。赤と緑、黒く明滅する光に囲まれて、百色に輝くうつくしい園。それの実態のない瞼に、リィンバウム、 その祝福された大地にあふれる光と影は、どんなにかまぶしく、どんなにか、どんなにか―――。 いつしかそれは、その光を憎んだ。それと同時にひどく愛して、どうしても、その手に欲しくなったのだ。 「次はどこへ行きましょうか。」 穏やかな声が自分ののどから鳴るのをそれは聞いた。たかく高く子供を差し上げて、ゆっくりと回る。太陽の光が燦々と二人に落ちている。 ああこのまま天高く背伸びをして、どこまでも伸びやかに空へ拡がっていけそうな。 記憶の先の遥かな海に溶ける。 みなみへ、と娘が笑うのを聞いた。 それきり彼の、景色は途絶える。 |