大樹の根元に、彼が彼女を見つけたのは、あれから年が一巡りしたちょうどその日だった。 真っ暗闇がリィンバウム中を覆ったその日に突如として表れたそのおおきな巨きな樹は、日の光を受けて緑の梢を風に揺らしている。 それは見る人が見れば救いだとか奇跡だとかだと言ったろうし、ある人は犠牲だと言ったろうし、またある人は墓標だと言っただろう。 彼にとってその樹は、たくさんの意味を持っていた。雲を貫いて、高く、高く、天の果てまで伸びるその樹。大悪魔の撒き散らした 源罪を吸い込んで、マナに還すその不思議な大樹は、どうしてかしら、あの日、いかせてしまった人との、約束のしるしのように思えた。 死んだとは思っていなかった。けれども生きているとは―――無事な姿のままでいてくれるとも思えなかった。世界中を覆うほどの、 古の大悪魔が一身にその身に溜め込んだ恐ろしい量の源罪。それが逆巻く嵐の中を、その中心へ向かって消えていったその人。 自分では引き留められなかった。 けれども自分は、それでも、それでも、待っている。これを待っていると言っていいのかわからなかったが、それでも彼は、帰って くると、思っていた。思っていたかっただけなのかもしれないが、それでもその人の代わりに、大樹が世界に残っていた。彼にはこの 大きな樹が、彼女だとは思えなかった。ただそれは標のように思えた。彼女が帰ってくるための。たとえ遠くへ行ってしまっても、こん なに大きな樹なのだ。これをめじるしに、帰ってくるのではないかと思った。 時間が許す限り、毎日のように大樹へ通った。見上げた先の空に、高く伸びている大樹。果てのない先を見上げる度に、安堵し、また 不安にも駆られた。 大樹の元だけではなかった。街の中、人混みの中で、荒野で、雪原で、馬上の人である時も、常に心の片隅は彼女のために無意識に とっておいてあって、その姿を探していた。 けれどどこにも見つからなかった。 ただ自分には見つけられないだけだという気もしていた。 どこかにいる。かならずいる。けれど彼には、ながく彼女を見つけることも、その存在を感じることも、できなかった。唯一見つけ られそうな男はとっくの昔に死んでいて、その助けは期待できそうにない。それでもかえってくると信じているのは、やはりそう信じて いたいからだ。 かえってきたら――――。 何を言おう、何と言おう? 言うことは決まっているような気がしたけれど、その人を前にしなくては言葉になりきらない。 季節が過ぎて、そして彼は、ついにその姿を見出したのだった。 「?」 最初彼はそれが幻だと思った。 緑の草の上、真っ白に散らばる木漏れ日の具合が、ちょうど人の倒れているように見えるだけではないかと思った。瞬きをしても、 光に解けずにそれはどうやら人の姿を保っていた。近づいた。長い髪の上にも、白い肌の上にも、明るく緑の木漏れ日が落ちてた。 そっと傍らに屈みこんで、指先を伸ばした。触れたら消えずに、あたたかくやわらかかった。 ほんとうのことだ。 とっさに抱きすくめた。さらさらと髪の毛が頬にあたってくすぐったい。ほんものだ。いきている。それから彼女の格好に今更ながら 気が付いた彼はぎょっとして己のマントを巻きつける。むきだしのままの手足、無防備に晒された薄い肌。今ここに、自分のほかに誰も いなくて本当に良かった。ふいに日常らしい感想がこみ上げる。 緑の光が、優しく二人に落ちている。 静かだけれど穏やかな日差しで、遠くで鳥が鳴いている。木々の擦れる優しい音がする。マント越しに抱きしめ直して、彼は彼女が 銀の竪琴を抱いていることに気付いた。すべてが帰ってきた。そう思った。わらえばいいのか泣けばいいのかわからなくて、くしゃりと 顔を歪ませる。 「…、」 囁くように、その耳の横で名前を呼ぶ。呼べど叫べど答えのないその名を、もう何度虚しく繰り返しただろう。そのいずれとも違う 響きが、自らの口から鳴るのを彼は聴く。 早く起きろ。ぎゅっと彼女を抱きしめる腕に力を込めた。 やわらかく、あたたかい。呼吸の音がした。うれしくて、うれしくてうれしくて、胸が裂けそうなほど切ない。 生きている。 生きていた。 きみのうたがききたい。 ぎんのたてごとにあわせてうたう、なつかしいうたを。 |