ずいぶん伸びましたねえ、と感心したようなその言葉に、「でもまだレイムのほうが長い。」
そう笑って、は椅子に腰かけたまま足をぶらぶらさせた。腰かけた時の彼女の癖。レイムはベッドに腰かけて、椅子にかけたの腰のあたりまで伸びた髪を、背中のほうから梳いてやっている。 が落っこちてきたばかりの頃、うまく櫛を扱えなかった彼女の代わりに、朝レイムが髪を梳いてやるようになって以来、すっかり慣例化してしまった。今ではなんとなく、朝起きて顔を洗ったその後で、これをしないと落ち着かないような気がするくらいだ。の方だって、子供の体でこちらへやってきて早1年、幼い体の扱いにも慣れて、本当なら自分で梳けるのだけれど、なんとなくそのまま甘えていた。 背中を向けて、小さく鼻歌なんて歌いながら髪を任せているを見ると、やっとここまで気を許してくれたとレイムはなんだか感慨深ささえ覚える。 手のひらに収まる半月型の銀の櫛は、市で見かけて彼が買い与えてやったものである。最初彼女は、旅に同行させてもらっているだけで十分なのだからとなかなか物を受け取ろうとしなかったが、いくつか街を回り、レイムの言う通り自分の歌が彼の金銭事情に貢献していることがわかると、素直に食事や衣服も含めて、レイムの差し出すものを受け取ってくれるようになった。 なにせ見た目は子供だが、中身はれっきとした16歳の少女であるので、説得するのも大変だ。レイムは根気強く義理がたい彼女を説き伏せ、つい最近、やっとおんがくを奏でて得た財産はすべて均等に振り分けることで合意した。 ほしいものはほしいと、つらいときはつらい、悲しいときは悲しい、寂しいときは寂しいと言っていいのだと、それを彼女が理解し、実践してくれるまでずいぶんかかった。 まだ遠慮がないと言えば嘘になるだろう。それでも少しずつ、楽しいこと、うれしいこと、かなしいことを共有して、ふたりは家族に近づきつつある。 「今日はどうしますか?」 「ん〜 … みつあみ!」 はいはい、と笑いながら、手慣れた手つきであっという間に長い黒髪がいっぽんのゆるい三つ編みにされていく。 「わたしもレイムみたいに、きれいな髪ならよかったなあ。」 ぷらんと足を投げ出しながら、ひとこと。 「だってきれいな黒髪じゃないですか。」 きょとんとしたレイムを振り返って、が口を尖らせる。 「だから、その、くろかみが、やなのー!レイムみたいに、銀色、きれいだもの。」 褒められて悪い気はしない。 苦笑しながらできましたよ、と髪を手放してやると、はパッと立ち上がり、「交代!」 と言った。レイムも立ち上がると、先ほどまでが座っていた椅子に腰かける。今度はがレイムの背中にたって、彼の髪を梳く。 レイムの髪は長い銀髪で、絹糸のようにさらさらとしている。 「いいなあ。」 そう呟きながら、丁寧に櫛をいれてゆく。 そもそもこの青年が、きれいなのだ。優美で繊細なつくりの、すらりとした長身。流れる銀の髪は腰のあたりまで長く、楽器を扱う指先は白く、細い。滑らかな頬に、雪の積もったようなまつ毛の影が目蓋を伏せる度、ながく落ちる。おんなのひとみたい、と時々は溜息を吐いて感心するが、それでもやはり広い肩幅に骨ばった輪郭は男性のものだ。服の趣味はあまり良いとは言えないけれど、竪琴を片手に、樹の下に立った様子など、いかにも吟遊詩人という言葉がぴったりで、絵になる。 交代で代わりばんこに髪を梳きあう幼い少女と青年も、もちろん絵になるのだが、あいにくこの朝の景色は、彼ら以外の誰も知らない。 「私はの黒い髪、好きですよ。」 「レイムはやさしいからそう言ってくれるの!」 「うーん、本気なんですけどねえ…。」 困った、と笑うレイムの髪を梳きながら、プイ、とはそっぽを向く。背中に目がなくてもレイムにはその様子がすぐに想像できたので、ますますやさしい苦笑を深めた。 この1年で、腰までのびたの髪は、夜空を溶かしこんだような漆黒。そもそも黒髪自体リィンバウムでは珍しい。レイムは今まで見てきた黒髪の中でも、のはとてもきれいだと思うのだけれど、言葉を重ねたところで信用してもらえそうにない。黒曜石の目も、ぱっちりと開いた眼も、華奢な風体も、ひとつひとつのつくりが、幼いながらにとてもきれいな女の子なのに、はずいぶん、自身の容姿を信用していないのだ。 であった時より少し背が伸びてスラリとして、これからどんどん大きくなっていくのだろうなあと思うとなおさら感慨深い。 「でーきた!」 うれしそうに笑顔を見せるに 「では朝食へ行きましょうか。」 と同じように微笑みながら、恋人でもできた日には泣くかもしれないと、父や兄でもあるまいに、まだずいぶん先のことを考えて、彼はうっかり少しだけ、泣きそうになった。 |