が病気をした。 今までに小さな風邪をひいたことくらいはある。逆にレイムが暑さに参って寝込んでしまい、が看病をするなどという一幕もあった。しかし四巡りの間、共に旅をしてきてこんなことは初めてだ。 の臥せったベッドの脇に据え付けられた椅子に座りながら、レイムは頭を抱えたい衝動を必死に耐えていた。 サイジェントの更に西、西の最果てに位置する小さな町である。訪れた当初は小さいながらも活気にあふれた街で、しばらくここで興行をしようということが決まった。砂漠に似た荒野を抜けてきた二人には、清潔な宿屋も豊富な水もありがたかったし、町の人々も吟遊詩人と少女を歓迎した。一週間も滞在して、そろそろ発とうかという時になって―――街を奇病が襲ったのだ。 サイジェントは、金の派閥の介入による急激な工業化の影響で、緑が失われつつある。その過程で、森が防いでいた荒野から吹く風が、もろに町に届くようになった。乾燥し切った空気は、病を運んでくる。抵抗力の弱い子供を中心に、一斉にその病は蔓延して、小さな町のほとんどの子供や老人が感染していた。町にいる医師では薬の調合ができない―――それが可能なのは、この町から一番ちかいサイジェントの街だった。 普通ならば、それで人々は安心できただろう。しかしそこで、薬の買占めと法外な値上げという、現象が起こったのだ。 旅から旅へ、毎日の興行でその日の糧を得、その糧の中から次の町へ移動する金銭を工面する。 そういった生活をしているレイムたちにある蓄えなど、微々たるものだ。そしてその蓄えでは、薬が買えないほど、その値はつりあがっている。ゼラムまで行けば、正当な値段で薬が買えるだろう。しかしをつれていくわけには行かないし、かといってゼラムまで徒歩で往復するには一週間はゆうにかかる。馬を飛ばしても往復4日かかる道のりだ―――サイジェントならば往復半日もかからない。そしてこの病の恐ろしいことは、進行が速いということだった。 契約済みのサモナイト石を売る―――。 それが彼が苦渋の末に出した一番手っ取り早い結論だった。しかしまだそのころ、意識がはっきりしていたに、「それやったら病気治ったあとで舌噛み切って死んでやる!」 と脅された。それだけは、確かにやってはいけないことだった。この世界に生きてたった四巡りのにだって、それはわかった。それは完全に闇取引の領分だ。法に触れる触れないの問題以前に、召喚術を扱うものが、決してやってはいけないことだったのだ。 その契約石は、彼が家での時に実家からこっそり持ち出したものばかりで、もう随分長いこと、彼を助けてきた召喚獣たちが収まっている。もうすっかり、旅の仲間という付き合いで、だからこそ、その石を金銭に変えることは、これまで共に旅をし、助けてくれた異界の友達を、売りとばすことに他ならない。 しかし他に方法がないのだ。 「人の、あなたの命と換えられますか。」 やつれたような顔でそういったレイムの頬を、の小さな手のひらが力なく一度ペチリと叩いた。 「レイム、だめ。」 「さん!」 「…それでもやっちゃだめなことがある。」 「じゃあ死んでいいんですか!私はぜったいいやです!」 「わたしだってやだよ。」 熱があるのだ。額に汗を滲ませて、それでもはわらったのだ。 「…ね、だから他の方法、考えよう。」 それっきり、彼女は丸二日、昏々と眠り続けている。 時刻は深夜だ。ランプの明かりに照らされるレイムの顔こそ、病人のように真っ白だった。 どうしても金がいる。この少女の命を買い戻すだけの金が。ゼラムに行くには時間が足りない、かといってこうして枕元で悩んでいては、取り返しのつかなくなるばかりだ。しかしレイムには、その一番手っ取り早く金を作るその方法を、選べなかった。がだめだと言ったのだ。そうして彼に、それ以外に方法はない。異界から落ちてきた少女を助けるために、文句を言う口を持たない異界のトモダチを売る。 どうにも良い案が浮かばない。それでもそれは、駄目だと言う。だめだ、だめだ。何度彼らに、レイムは命を救われたろう。それはもちろん制約の力で、彼がそう命じたからで、ああ、けれども違う。道具。道具なんかではなかった。 同じ道具になっていたかもしれない、異界から訪れた少女は、旅先で戦を見る度、誰にも聴こえないくらい小さな声で囁く。 ねえ、私も、そうやって、制約で縛られ、力を行使することを強いられるだけの機械になっていたかもしれないの?召喚獣は、人では、生き物ではないの?この子たちと私の、一体何が違うの、と。 なにも違わないと、教えたのはレイムだ。 あなたも、それから石の向こう側からやってくる彼らも、みな私の友人ですと、言ったのは彼だ。 ああけれど、、。彼のたったひとりの特別なこども。 その煌めく石を売ることは、その子供への裏切りそのものに他ならない。けれども他に、どうしろというのだろう。が死んでしまう。夜色の瞳、レイムを見上げて、いつだってそこに心の底からの信頼を浮かべていた。 の目。目だ。 その目が閉じている。 閉じてしまっている。 レイムは普段少女がうつくしいとほめそやすその髪を掻きむしって席を立つ。 町は息苦しい気配に満ちている。 |