「…お困りだね。」 死人のように青白い顔をした男だった。 「お困りだね、吟遊詩人の旦那…あんた、召喚師だろう。」 確信を含んだ言葉だった。その血色は悪く、指先はほとんど枯れ枝のように見えた。ぼろをまとった男が、路地裏で手招いた。真夜中だ。朔の月。常であるならば大きく明るく空にかかる月が、唯一見えない夜。 「私は…吟遊詩人です。たしかに召喚術は使いますが…召喚師と言われるほどのものでは、」 彼の台詞を途中で遮って、男がわらう。 「いいや、」 半分は目深にかぶったフードの影で、顔が見えない。 「いいや。俺が言っているのはそういうことじゃあない。あんた、代々の召喚師の家系だろう?」 なぜわかったのか。 師と家族以外、知ることのない彼の出自だ。 しかしその時、彼にはそのことにゾッとするだけの心の余裕がなかった。少女が死んでしまう。死んでしまう。それだと言うのに道を踏み外す勇気のない自分が、たまらなく意気地のない男であると感じていた。彼は疲弊していた。彼は消耗していた。彼は焦っていた。あらゆるものが外側から、彼を圧し潰そうとしていた―――。路地裏へ続く道は、不思議と空気が抜けて通った。男の目だ。その目は血の滴るように、紅玉を砕いて嵌めたかのように、赤い。紅く光っている。 「金に困っているんだろう?薬が欲しいんだ…今高いからな。」 男がすこし、笑ったようだ。それはほとんどひゅうひゅうと、息が漏れる音にしか聴こえなかった。 「…すみませんが、今あなたの相手をしている暇はないのです、」 「俺にはあんたに払う金はないが、」 男がローブの裾を漁って、小さな包みをその枯れた手のひらに差し出す。 「あんたに渡せる薬はある。」 嫌な沈黙が降りた。 レイムは気味が悪いものをみるような、疑うような眼差しで、男を見た。それにやはり男が、ひゅうひゅうという乾いた笑い声をたてる。 「話がうま過ぎるって?」 「…ええ。」 「できすぎてる?」 「ええ。」 「そりゃあもちろん、裏があるからさ。」 男がわらう。 しかしその裏表のなさは、いっそ清々しいほどだった。 「どんな裏です。」 思わずレイムは、尋ねていた。 「禁忌の森を知っているか?…アルミネスの森、と言ったほうが、召喚師には馴染みかな?」 御伽噺だった。急に非現実な単語が出たことに、レイムの眉が寄る。 「御伽噺でしょう?」 「ほんとにあるのさあ。太古の悪魔の軍勢を、封じた森がさぁ。」 ひゅうひゅう、その音は荒野に吹く風に似ている。 「危険な森だ、なにせ中にいるのは、リィンバウムを征服しにきた、恐ろしい悪魔たちなんだから。」 「…それがなんだと言うんです?」 「ソの森は、結界に包まれてるんだ。天使ノ張った忌々しい結界さ。中は太古のお宝ががっぽりだっていうのに入れないのさ。まあ入ったら最後、悪魔に食い殺されちまうんだけどなあ。」 ひゅうひゅう。これは男の笑い声だろうか、それとも風の音?レイム、だめ。どこかでが泣く。泣いている。違う、これは風の音だ。 「俺はその中にある宝が欲しいんだ。ずうっとずうっと中に入る方法、探シてた。」 「…それで?」 話している時間が惜しいと思った。じらすように、男が手のひらの薬を再び袖の中へ隠す。月のない夜だ。ジリジリと時が舐めるように動く。 「入るためのアいテム、見つけたのさあ。でもこれが、困ッた、俺には触れないのさ。」 カクンと鳥のするように、首を傾げてニヤリと男が口を持ち上げる。 やはり男の咽喉からも遠い荒野からも、同じような音がした。 |