19と言う異例の若さで、部隊長に就任した青年を、その部隊は快く出迎えた。それはもちろん、その青年の出自を知っている者からは想像もできない、親しさと敬愛の籠ったものだったろう。それ以前に、彼の系譜を知っていれば、その異例の任用こそ、誰にも想像がつくまい。 しかし彼の実力こそは本物で、類を見なかった。それこそ想像もつかないほど、かつて存在した双壁と並べても遜色ないほどに、彼は強かった。我武者羅に、ただ、鬼神の如くに。或いはただそうあることしか知らないかのように。 「さすがは大将の息子です。きっとここに、あなたが来る―――我々は信じていましたよ。」 そう出迎えたのは、兜の下の髪に白髪も混じり始めた古株の男で、それが隊を代表して述べられた歓迎の言葉だった。 その部隊はかつて、この国でもっとも誉れ高い隊のひとつだった。 大将が反逆の咎で処刑されるまでは。 それからの部隊が、舐めた辛酸というものは筆舌に尽くしがたいものがある。 それでも大将は、私たちにとってたったひとりの、掛替えのない上官だったのだと、彼らは口を揃えてそう言った。だからこそ、今まで軍の頂点、エリートと呼ばれた部隊にいた騎士たちが、雑兵以下の扱いを受けるようなことになっても誇りを失わず、自ら鍛錬を重ね、耐えてきた。待っていた。 彼らは言う。 待っていた、あなたを。 かつての上司の面影を残す、暗い緋色の髪をした青年に向かって。 『ルヴァイドが部隊をひとつ任されたそうですよ。…まだ若いのにすごいなあ。』 紙の上にスラスラと綴られた最後の感嘆はほとんどひとりごとで、それでいて心の底からの賛辞だったので、それを聞いていた彼女はにっこりとほほ笑んだ。当たり前だ、彼の人と彼女との、自慢の息子なのだから。 「あの人は18で部隊をひとつ任されていましたっけ。」 大きな目をまん丸くして、少女が口をポカンと開ける。 出会ったころは十にも満たない幼さであったが、もうすっかり大人びて、うつくしくなった。声を失って久しい少女を優しい眼差しで見下ろしながら、この子は変わらない、と彼女は微笑する。 最初少女が、この狭く、お世辞にもきれいとは言えない埃に塗れた東屋に訪れた時は驚いた。 精神的にも、息子の前では気丈に振舞っていた彼女だったが、ひどく消耗していた。うす暗い部屋の中で、このまま呼吸するだけの塊になるのではないかとぼんやりと白けた思考の中で思った。あの人は泣く暇すら与えてはくれなかった―――暗い思考を断ち切るように、扉をたたく音。 返事をするのも億劫だった彼女が首だけドアの方へ向けると、その扉がゆっくりと開いた。 よく知る少女だった。 まだ幼かった少女は無言で頭を下げて、泣くのを堪えるような表情のまま、反射で起きあがろうと彼女をベッドにぐいぐいと押しやると、小さな手のひらであちこちを掃除し始めた。彼女がポカンとしている間に、重たそうな木桶に水を汲み、床を磨き、はたきをかけて。 「さん?」 それを眺めながら、随分自らの声が乾いていることに彼女は気がついた。咽喉が痛い。 少女はぱっと立ち上がると、家の外へ出てゆく。やがて軽い足音をたてて、少女は走って戻ってきた。手のひらのコップに、水を捧げ持っている。差し出されたそれを疑う余裕もなく、飲みほして、ああ、渇いていたのだと彼女は気がつく。胃の中に冷たい水がストンと落ち込み、全身に広がった瞬間に、彼女は自らが起きあがれないほど疲弊していることにも気づいた。 体がだるい。 崩れるようにベッドの上に伏せた彼女をじっと見つめた後で、また少女は忙しく狭い部屋の中を飛び回り始める。 かつて彼女の邸に勤めていたメイドたちが、目を見張るような働きっぷりだった、と後になって彼女は思う。日が暮れる頃には、すっかり埃も汚れも取り除かれて、ずいぶんと室内は清潔に磨きあげられていた。 まほうみたい。 彼女がぽかんと呆けていると、再び少女は外へ出てゆく。それきり帰ってこない。少しうとうととし始めた彼女の耳元で、コトリと固い音。 はっと目を開けると、枕元の椅子に、皮をむいた果物の載った皿と、水の入ったコップ。暖炉に火。ああ、この部屋は寒かったのだ―――。無言の小さな紙切れ。なんと書こうか迷いに迷って、少し滲んで、彼女の起きる気配を察して白紙のまま慌てて置き去りにされた、小さな言葉。 それ以来少女はほぼ毎日郊外にあるこの家を訪れた。細い腕で抱えられるだけの薪を拾って、背中に食糧や布を背負って。 最初少女は、決して座らなかった。 決してその泣き出しそうな顔を、かつてのような笑みの形に緩めたりはしなかった。 少女はまだ知らなかったのだ、この優雅な貴婦人が、彼女の夫である軍人が舌を巻くほど、一度こうと決めたら必ずやり通す、すばらしい根性の持ち主であること。まず彼女は、家事に精を出す少女の注意を自らに向けることから初めて、根気よく話しかけ、ちょっかいをかけ、ついには隣に座らせて目と目をかつてのように優しく合わせることに成功した。それに少女は少し泣いて、三日こなかった。 そうして三日後、山ほど食糧を持ってきた彼女は、テーブルの上に紙とペンを見つける。 「…かつて邸で働いてくれていた者たちが、時折様子を見に来てくれます。」 彼らに頼んだのですよ、と悪戯が成功した子供の微笑で、彼女は少女を迎えた。 「さん、私は退屈しています。だから話相手になって下さいな。」 その時初めて、少女は泣きべそのままわらった。 それから少女が奥方の話相手をするようになって、もう五年になる。 「けれど部隊長、ということになったら、ルヴァイドはなかなか帰ってはこられないでしょうねえ?」 残念そうに、けれどやはり、息子の出世を喜ぶ気持ちを隠さずに彼女は贅沢な溜息を吐く。このような溜息が吐けるようになるとは、五年前は想像もつかなかった。すべて失ったと思った。息子はいったいどうなるのだろうと、絶望する暇もないほど絶望していた。 『ルヴァイドは、母君思いだから、きっといつでも、呼べば駈けつけます。』 そう書いてから、少しすまなそうに少女が微笑する。 噫もっと明るく、心の底からわらう女の子だったのに。その頬に痩せた手のひらを添えて、彼女はにっこりと微笑む。 「ではなにかあったら、さんに言伝を頼みましょうね。」 そのままゆるゆると、黒い髪を撫でてやると、やっぱり少女は困ったように微笑した。まだ息子とこの少女の間に、不幸な蟠りがあることを彼女は知っていた。それは彼女の夫の死の不自然さを思えば当然のことであるのかもしれなかったが、あんなに兄妹のように仲睦まじかった幼い二人をしっている彼女には、それが残念でならなかったのだ。父親の罪が息子の罪では決してないように、養い親への暗い疑惑がその養い子にまで向かうのはおかしなことだ。 ルヴァイドもも似ている、と彼女は思う。 どちらもその父親の罪に、もがき、苦しんでいる―――。 「さあ、女の子はわらって。」 ほんの軽くその頬を撫ぜるように叩いてやると、少女は肩を竦めてわらった。 それでいいのよ。 彼女は微笑む。 どうぞくるしまないでね。 すべてかわいいこどもたちへ。それだけが彼女の願い。 |