ばったり、とまさにその効果音がふさわしかった。 黒装の機械兵士は、戸惑っていた。石造りの城の、長い回廊の曲がり角で―――ばったりとぶつかった人間は、古の機械兵士にすらも、この城に似つかわしくない者に思えたのだ。 それは人間の少女で、シンプルを通り越していっそ質素な白いドレス一枚を身に帯びているが、決してその造りは悪いものではない。こまかい刺繍もなされていて、むしろ最上級の物だ―――そこまで判断して、機械が首を捻ることがあるなら、まさに今だろう、"彼"は内心首を傾げた。貴族の娘にしては装飾が地味だが、町娘はそもそもこのようなところにいるはずがなく、城仕えの少女と言うわけでもなさそうだ。小さな白い足を、銀の靴が覆っている。 やわらかな臙脂のショールが、冷たい色彩の中花のようだった。 「―――失礼シタ。」 まじまじと自らを見上げている少女に向かって、彼は思考を中断させると音声を発した。 それに少女は目を丸くして、それから首を振る。 「怪我ハナイカ?」 彼の装甲は矢をも鉄砲の弾をも通さぬ特殊な合金であるので、当たれば結構なダメージだ。ぶつかりはしなかったと思うのだが、目の前の少女はいかにも華奢な風体で、ぶつからなくてよかったと彼の思考回路がそう判断するのも無理はない。 少女はそれにも、ふるふると首を横に振った。大丈夫、ということだろう。 まだこの城に仕えるようになって日の浅い彼には、知らないことが多くある。新しい"我ガ将"のためにも、情報収集に彼は積極的に務めている。もちろん彼が、"我ガ将"の部隊に所属する機械兵士であることが知れると、大抵の兵や指揮官、文官の態度は面白いほど負の方向に変換するのが常であったが、彼にはそれを悲しむような情緒がない。機械だから。 「…コノ城デ働イテイるノカ?」 違うだろうと計算式が弾き出した答えを無視して彼は問いかけた。数式を鵜呑みにせずに臨機応変な対応を取れるほどの柔軟性を、彼はすでに遺跡から掘り起こされる以前に体得していた。 少女はまたふるふると首を振る。 困ったように微笑しながら首を傾げた後で、その白い手のひらが、すっと差し出された。その手が機械の手をとる。無骨な機械の手のひらに、少女が指先で文字を書いた。 「?」 こくんと少女が頷く。 『私の名前。』 手のひらに並べられた文字。彼はが口を聞けないのだと理解する。 『この城に――――――、』 そこまで書いて、ためらうように指先が止まった。 『住んでる。』 どういうことだろうか。デグレアに王族はないはずだし、働き手ではなく住んでいるということが理解できない。再び機械兵士に首を傾げさせるという結構稀な事態を引き起こしていることも知らず、は真っ黒で固い手のひらに 『あなたは?』 と綴った。 「我ガ名ハ、ゼルフィルド。後方支援型LD565。」 最後の長ったらしい名称に、はきょとりと目を丸くして、ゼルフィルド、と音のないくちびるで呼んだ。少し楽しそうに、その目が細められる。 『ゼルフィルド、機械兵士?ロレイラルの。』 彼女のかすかな興奮を示すように、綴られる文章が少しばかり崩れる。 「ソウダ。古ノ戦争ノサイニ凍結サレテイタモノヲ、ツイ最近、我ガ将ニヨッテスクワレタノダ。ソノタメ、今ハでぐれあニ勤メテイル。」 『我が将?』 少女が首を傾げる。 その名を口にすると、他の者たちのようにこのあどけない少女からも嘲りとも怖れともつかない、あの暗い感情が発露されるのだろうか。機械兵士は、覚えるはずのない憂鬱をかすかに感じる。しかしその将の名は、決して彼を憂鬱にするものではない。若く、気高い、人間の将。俺の下で働け、そう告げた堂々とした声音。 「我ガ将、ルヴァイド。」 出会って間もないが時など関係なく、名を発するだけで誇らしい気分に―――機械兵士の彼が言うのもおかしいかもしれないが、そんな気分を持った人間のようなつもりになる誇らしい名。 の反応は、彼が今まで経験したどれとも違った。 その名を聞いて、打たれたように全身の動きが止まる。それからゆっくり、ゆっくりと、泣きだすように少女は微笑んだ。彼が人間であったなら、花が咲くのを目の前でみるようだとでも表現するだろうか。がしきりに、何度も頷く。握られたままの小さな手のひらが、ぽっぽとあたたかい。初めての反応に、機械兵士は若干戸惑う。しかし決して、不愉快ではない。 しばらく不思議な、どこかあたたかいような沈黙が降りて、やがて少女の指先が、機械兵士から離れた。 『お仕事、がんばって。』 最後に綴られた文字に三度目の首を傾げるという動作に突入したゼルフィルドに、がまたねと手を振った。やっぱりどこか、泣き出しそうな、優しい微笑。 「どうしたのだゼルフィルド?」 「将、」 ひょい、と暗い、紫がかった紅いの髪。 なかなかこないので迷ったかと思った、と少し眉を上げていった主に、厳つい機械兵士はガシャリと頭を下げる。城内の地図はすべて、スキャン済みで彼の頭の中に入っている。迷うわけがない。ただほんの少しばかり、変った遭遇に、思考ルーチンが手いっぱいになっていただけですと、説明するのがためらわれる。 「トイウ娘ニアイマシタ。」 「…そうか。」 やはりちょっと不思議な、いたたまれないような、しかしどこか柔らかい沈黙の後で、将はそれだけ言った。 「アノ娘ハ何者ナノデス?」 城に住んでいる、と言われた通りのことを繰り返すと、やはり困ったような、少し憂いを帯びた微笑。 「…デグレア顧問召喚師殿の養い子だ。」 どこか苦いその言葉の響きの意味を、機械兵士は知らない。 |