夏も終わりかけた頃、ガレアノという男が来た。

「きさ…お主が、か?」
 カッカと、咽喉に詰まったような独特の嗤い方をした。
 それにレイムが、「こら、」 とわらう。あなたは相変わらず、口の聞き方が悪い、とそう言って。それにガレアノは、申し訳ありませんと頭を下げた。
「彼はこれから私のもとで働いてもらいます。なにせデグレアの顧問召喚師などという大層な役柄になってしまったのですし、一人では手が足りなくて。私の留守に困ったことがあったら、彼に相談すると良いですよ。」
 にこにこと微笑を浮かべるレイムに、とりあえずは頷く。幼いころに家を飛び出したきり、吟遊詩人として生きてきたレイムに、友人こそあれ部下がいたとは考えづらい。
 そもそも彼は、その旧い部下とやらを集めて、なにをしようとしているのだ?
 レイムがこの旧王国にやってきてから、どんな仕事を担っているのかは知らない。ただこの国の頂点である元老院議会から、その議会と同等の発言権と権力とを任されているという破格の扱いを受けていることは知っていた。

 自分はどうやら随分と長い間、レイムが変わってしまったことに嘆くばかりで何も見ていなかったのだと、が白くなった頬で考える。
 彼の言う"仕事"が、決して元老院議員から命じられるだけのものではないような、気がしていた。
 今のレイムには、自らのため以外に決して動かないような、そんな気配がある。昔はそんなことはなかった。困っている人がいれば、彼は決して見過ごしたりなんてしなかったし、おせっかいなくらい首をつっこみたがったり騙されかけたりそれでもやはり優しくて―――そこまで考えては首を振る。昔ばかりを懐かしむ、それが悪いくせだと今しがた思ったばかりなのだ。
 親しそうに、本当に久しぶりにあった人間同士がするように、レイムとガレアノが言葉を交わしている。
 やはりレイムが優位に立っているらしいことは言葉遣いからも態度からも歴然としていて、はますます眉を潜めた。
 ―――こんな風にレイムは話したりはしなかった。
 やはり比べてしまう自分に呆れながらも、やはり彼女は冷静に思う。
 レイム、彼は一体何をしようとしているのだろう。
 知らずにいたこと、知ろうとしなかったことを恥ずかしくすら思う。
 ただ議員の決定が兵たちに決して優しいものではなく、それを伝えて回る役目であるレイムが、その性格も相まって良く思われていないことなどは知っていた。だからなるべく、奥方の看病にばかり出て、それ以外はずっと、与えられた部屋で書物を読んだり、あくる日に届ける食糧や生活用品の調達に没頭していた。
 あの優しい奥方のことを、逃げ場のようにしていたことに、は最近思い至った。
 もちろんそれだけではない、彼女は優しかった。昔と変わらずに、に微笑みかけてくれた。嬉しかった。心配だった、不安だった、贖罪のような気持ちだった。情けなく、いたたまれないような気さえしていた。身の回りで起こる不幸は、全てレイムのためのような気がした。それをすまないと思い、申し訳なく思っていた。そうやってただ、目をそむけていたように思う。
 今はそれが恥ずかしいと、は思うようになった。
 それは虐げられてなお笑いながら、誇りを持って働く兵士たちの無骨な優しさに触れたためかもしれないし、失ったと思った友達と再び微笑みあえるようになったからかもしれない。私はどうやら、体だけでなく精神まで、弱体化していたような気すらすると彼女は感じている。
 からだとこころに、ちからが戻ってきている。
 そうそう感じるのは、なぜだろうか。
 レイムの蒼褪めた横顔を見る。
 ―――なぜ変わったの、レイム。
 は今までのどの時よりも、なんの悲しみも含まずにそう声のない問いかけを発した。ガレアノとの会話に夢中になっているレイムには、もちろんのことその音なき声は聴こえない。
 レイム。
 呼びかける声にもちろん返事はなく、その声には音すらない。
 それでもかつて、ありし日であるなら、きっとその呼ぶ声は彼に届いたろう。そう思う。レイムの形をした、なにか。目を眇めるようにして、はその様子を眺める。まだ明るさの残るデグレアのほんの短い夏の日差しのなかで、やはりその二人の姿は、影の塊のように思えた。
 



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