どうやって帰りついたのか記憶がない。
ただ邸に戻ったらもう真夜中近くて、扉を開けるなり騎士は親友に思いっきり顔面をブン殴られた。
鼻と拳の熱い衝突を受けて、彼は後ろにひっくり返る。ドサリ、ゴン。頭を打った鈍い音。玄関の軒の向こうに大きな月が見えた。なんて明るくて真っ白な月だろう。
倒れたままの騎士を、覗き込む男の顔は真剣そのものだ。
差し出された大きな手のひらを何を考えるよりも先に取った。ぐいとたくましい腕に引っ張られて起きあがる途中、思わず微笑んだ騎士に、親友は不思議そうな顔をした。
「…お前がそんなんでどうするこの大馬鹿野郎!!―――っつって説教してやるつもりだったんだがな、」
殴られた部分を赤くして、少し申し訳なさそうに立つ騎士を、上から下までじっくりと眺めまわしてから、男が「困った」と笑った。
「なんかお前、大丈夫そうじゃねえか?」
それに今度こそ、騎士は声に出してすみませんと苦笑した。
「今の一撃が効きましたよ。」
「本当か?」
「ええ。」
俺はてっきり2、3発は殴る覚悟でいたんだがなあ。
美しく笑う騎士の胸に、花が咲いているのに男は初めて気がついた。
「とどめの一発でした。」
真っ白な花。
聖王都に仕える騎士として、剣と修業とその職務とに、人生を捧げて来た生来の堅物が、自らすすんで花を買い、胸に挿すなど想像できない。それにその騎士は今の今まで、絶望に打ちひしがれすっかりしょげかえっていたはずなのだ。花を買う余裕どころか、花に気がつくことだってないだろう。
さて、男の相棒曰く、「くだらないことにほどよく働く頭と勘。」
彼の頭はあっという間にその花が彼の胸に収まるまでのパターンをいくつかシュミレートする。そしてそのどれもが、ある一つの共通項でくくられる。
女。
女である。彼に花を贈った女がいる。
まったくどうして、恐ろしい頭と直感力。さきほどまでのまじめな様子は、すっかり騎士の"親友"からは抜けていた。今彼の顔を明るくするのは、親友が元気を取り戻してきたらしいこと、それからその胸に花を挿した、女性の存在である。
彼の中でそれはもはや決定事項だ。
女性だ、ひょっとしたら老婆かもしれない、あどけない少女かもしれない。しかしどうしてそれが、若く美しい人であってはならない?
彼の親友の騎士ときたら、見目麗しく人格だって生真面目過ぎて融通がきかないところもあるが、実直で優しいすばらしいと客観的にも言わざるをえない。
俺が女でも放っておかない、ような気がする。
だのにこの堅物ときたら、てんで女性から向けられる好意と視線の意味を理解どころか気づけもしない。騎士の人生にロマンスらしいロマンスなど、どうしてもったいない!と思わず男が叫びだしたくなるほどには、存在しなかったのだ。
「シャ〜ムロ〜ック!」
騎士はすかさず、友人の声に不穏な響きが混じったのを感じ取った。こういうニヤニヤとした―――本来ならばその男の身分的に浮かべることはよろしくない―――笑いと声の響きをさせるとき、それはたいてい、騎士に災難となってふりかかる。
最初にこの笑みをみたのはいつだったろうか。男がお忍びで剣術道場に通い出して―――そうだ、その頃幅を利かせていた、貴族の息子たちをとっちめる計画を勝手に彼が立てたとき。それから年頃になって、花街へ行こうと持ちかけてきたとき。それからそれから。数え上げればきりがない。
「…フォルテ、」
うっかり今も付け足しそうになる呼称を、騎士―――シャムロックは呑み込む。
「お前が元気になったみたいで、俺はうれしい!ほんっとーに!うれしい!」
フォルテのその目が物語っている。キラキラしている。そして楽しそうに持ち上がった口端。この人はいつもそうだ。全力ですべて、楽しもうとなさる。
それは騎士にとって、とてもまぶしく、たのしいことで、しかし同時に、多大な災難や苦労を振りかけてくるものでもあるのだ。
「―――その花どうした!?」
ニヤリと笑って、がっしり肩を組まれる。痛いですよと苦笑しながら、騎士はその腕の温かさに、やはりほんのすこし笑った。
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