その日は結局、シャムロックは娘の店を片付ける手伝いをした。重たい植木鉢を動かしたのと、水瓶の位置を移動させたくらいだ。娘は始終恐縮して、最後何度も頭を下げたが、彼はちっとも、お礼をした気がしない。
 女性が重たそうなものを運んでいたら代わりに運んでやるのは当然で、彼女一人では動かせそうもないものを動かさねばならないというなら、手伝うのは当然だった。礼を言われるようなことではないのだ。
 さて。ではどうしよう?
 そうして彼の悩みは、再び振り出しに戻る。
 誰かに相談してみようか。
 まっさきに親友のフォルテの顔が浮かんだ。彼は女性やその他さまざまなことに詳しいから、きっといい知恵を貸してくれるにちがいない。しかし。そこまで考えて彼は首を振る。相談しようものなら確実におもしろがって事態がややこしくなりそうだ。そう考えるときっとそうだという気がしてきた。思い出してみればどうだ、幼いころから女性に関係することで、フォルテにうけたアドバイスやフォルテ自身の起こした騒ぎといったら、ろくなものではなかった。
 …やめよう。
 では誰に?次に彼は仲間の顔を思い浮かべる。
 マグナはどうだろう。旅の仲間の中心的な人物である召喚士の青年を思い浮かべる。人のことを思いやれる、まだ未熟ながらも優しく頼もしい青年だ。彼ならどうだろうか。考えたところでそのマグナの双子の片割れが、「マグナはほんっと女ごころがわかってないっていうかなってないっていうか…だめ!ぜんぜん!ダメ!!」と叫んでいる場面が思い出された。もちろんそう叫んだトリスのほうも……不安である。あの双子は止めよう。頭を振って考え直す。誰かいないか、誰か。
 やはりこういうことは、男性より女性に相談してはどうだろう。花屋の娘に年の近そうな…アメル、アメルはどうだろうか。そこまで考えて彼は今度こそ溜息をついた。アメルは今それどころではないに決まっている。ただでさえ心労の絶えない少女に、まさかこんなどうでもいいようなつまらないことを相談するのはいかがなものか。
 そう。そもそもみんなそれどころではないのだ。
 しかし自分で、どうにかできる気もしない。
 …困った。かといって礼をしないという選択肢は彼のなかに最初から存在しないのだ。
 ほんとうに、困った。

 腕を組みながら邸の庭を歩いていると(やはり考えだすと足が動く)、ばったり誰かにぶつかった。
 すみませんと言いかけ、彼は口をパカリと開ける。
「シャムロック!」
「…これは、ケイナさん、」
 いた。相談できそうな相手。
 彼の親友である男の相棒であるその女性は、戦闘の時やその相棒に対する場合は、凛としていっそ雄々しいほどなのだが、その他の場面ではしっかりと芯が強く、優しい気配りのできるよき相談相手のお姉さん的なポジションを確立している。
「ケイナでいいっていったでしょう。」
「ではケイナ。」
 そうだ、彼女なら間違いない。ひとつ胸のなかで頷いて、彼は去ろうとする彼女を呼び止める。
「………あの、ケイナ、」
「なぁに?」
「実は折り入って相談したいことがあるんだが…。」
「?」

***

 一方その頃。
「ぜったい怪しい!なんか怪しい!」
 彼の親友フォルテは、気の合う仲間を裏庭の物置の影にひっぱりこんでなにやらわめいていた。
「なにがでござるか?フォルテ殿。」
 気の合う仲間、カザミネが首を傾げる。それに対してフォルテは、ずいぶんと興奮した様子で話し出す。その様子は台所の窓から丸見えなのだが、もはや仲間たちは誰も気にしていない。よく見る光景だからである。スケベな悪だくみならケイナかこの屋敷の女主人を呼べば一発で収拾がつくことを、誰もがよくわかっているのだ。

「シャムロックのやつだ!きづかねぇか?なぁんか、匂うぞ。くさい。」
「そうでござるか?」
「そ!う!な!ん!だ!よ!」
 バシッと自らの膝をたたき、いてて、と顔を顰める。座り込んだ草むらでは、虫がちろちろとどこぞへ歩いていった。なんとも長閑な昼下がり。双子の召喚士が沈みこんでいなければ、屋根の上で昼寝を決め込んでいるだろうに。二人の騒々しさのない邸は、ずいぶんと静かだ。
「トライドラから引き上げて来た時あいつ大分参ってたろ。大臣たちにも絡まれて疲れて…。ふらふらどっかいって1日帰ってこなかった。覚えてるか?」
「死人のように青い顔を一時しておられたからな。」
「そう!その日やつは胸に花を一輪さして帰ってきた!比較的元気になって!」
 どうだ、という視線を向けられて、カザミネは首を傾げた。
「花、でござるか?」
「そう!花!その花どうしたって聞いてももらったとしか言わねえ!」
「…ふむ?」
「まだわかんねぇって顔だな、カザミネの旦那。」
 指を顔の前で左右に振って、フォルテが訳知り顔で頷く。立ち上がると、まあ移動しようぜと歩き出す。先ほどから少しばかり、虫が多かった。
「さらにこの間、王都に帰ってきてすぐの日だ。あいつまた城に顔出して長いこと帰ってこなかった。さぞや大臣共に嫌み言われてんだろうなぁと思ってたら、拍子抜けするくらいすっきりした顔で帰ってきたんだ…ちょっと手に土がついてたな。」
「嫌みを言われたのでむしゃくしゃして稽古をして帰ってきたのでは?」
「あいつは剣を八つ当たりの道具にゃしないし、稽古で土を手につけるなんてねぇ。怪しい。怪しいぞぉ?」
「そうでござるかぁ?」
「怪しい!ぜったい!怪しい!」
 そこまで言って拳を振り上げたところで、彼はふいに立ち止まった。

 玄関先で誰か―――今まさに渦中の人物であるシャムロックと、誰かが話をしているのだ。壁に隠れて、少しばかり、玄関を覗き込んで見る。見れば親友と相棒が、なにやら話しているではないか。

「ケイナ、どうもありがとう。」
「どういたしまして。ふふ、頑張って、ね。」
「はい。あ…どうぞこのことは、」
「わかってる。あの馬鹿には内緒、ね。」

 ありがとうと苦笑するシャムロックと、どういたしましてと笑うケイナは楽しそうだ。そのままケイナは邸内に帰って行き、シャムロックはどこぞへ去って行った。

 たっぷり時間をおいてから、物影のふたりは壁から離れた。
「聞いたぞぉ?」
 聞いてしまった。ニヤリと笑う。久しぶりに、楽しそうではないか。もうあの双子や聖女サマは、元気を取り戻したろうか。それならきっと、喜んで飛びついてくるネタに違いない。どんな重たい宿命を背負わされていても、彼らはまだ若い少年少女でしかないのだから。くったくのない、ありのままの若く希望にあふれた彼らが好きだった。
「うむ。これは怪しいでござるな!」
 カザミネもにやりと笑う。ようやく事態のおもしろさが、呑み込めてきたのだ。
 さてどうする?そのよからぬ話し合いに、件の三人プラス諸々のメンバーが加わるのは、もう少し後の話。