彼の仲間を率いる双子の召喚士が、絶望から立ち直った。聖女もまた、同じくして立ち直ったようだった。
 デグレアへ行こうと、強い瞳がそう言った。原因を知りたいんだ、どうして彼らが聖女を狙うのか―――なぜ、あの禁忌の森のことを知ったのか。もちろん異論はなかった。しかしデグレアといえば、北の国だ。しばらく王都には帰れないだろう。また多くの危険も伴う。
 彼はアドバイスをもらったその日、その足で買った"お礼"を手に街を歩いていた。
 今日は白銀に輝く甲冑も外し、剣だけを下げている。確かにあの紅のマントと甲冑は、彼が何者であるかを堂々と告げて、とても目立つ。

「…こんにちは、」
 ひょっこりと花屋を覗いてみる。
 と、いた。
 娘は奥の椅子に座って、本を読んでいた。今日は深い緑に白い襟のついたワンピースを着ている。そうしてやはり、白いエプロン。束ねられた髪が肩から垂れていた。
「騎士さま、」
 驚いたように娘は顔をあげて、それから笑った。いつもと格好が違うから、わからなかったのかもしれない。あのいかつい鎧とマントをとると、彼はずいぶんと雰囲気が変わる。
「いらっしゃいませ。」
 そう。ここは花屋であるのだ。彼ははたとそれに思い至り、しかしすまなそうに眉を下げた。それに娘が、首を傾げる。
「すみません、今日は花を買いにきたのではないんです。」
 その言葉に再び、娘は首を傾げた。そっと手に持っていた小さな包みを、彼は差し出した。差し出された意味がわからず、やはり娘は不思議そうに彼を見上げた。ああ緑の目をしているのだなと、ふいに気がつく。

「花のお礼を。遅くなりましたが。」

 そう言って笑ったシャムロックに、今度こそ娘は目をまん丸にして悲鳴をあげた。
「そんな!お礼ならこの間、十分お手伝いをしていただきました!」
「荷物を持っただけですよ?」
「十分です!私は勝手に花を一輪、たった一輪さしあげただけです!お礼をしていただきたかったわけではないのです!なのにこんなにしていただいたらバチが当たります!」
 彼の差し出した包みは、綺麗な包装紙に包まれていて、上等なリボンがかけられている。そのリボンをもらっただけで、街の娘は喜ぶようなものだと、彼は知らないのだ。
 その包みの中には、先日のアドバイスの通り、普段使えてそんなに高価ではなくしかし貰ってうれしいもの―――ハンカチが入っている。
 娘は首を振り続けていて、なんだかその様子がおかしくて、彼はうっかり笑ってしまった。それに娘が、目をまん丸にして動きを止める。失礼、と言いながら、それでもやっぱり目が微笑む。

「あなたはたった一輪と言われるが、」

 騎士はそうっと言った。あまり言葉は得意ではない。
「私には千の、万の花束よりもそれがとうといものに思えました。…うまく言えませんが…感謝しているのです。とても。」
 その瞳があまりにもやわらかいので、娘は黙ってしまった。それにも気づかず、彼は言葉を続けてゆく。川のせせらぎが、遠くに聞こえている。さらさらさらさら。梢の揺れる音。気持ちのよい風。
「恥ずかしながら花というものをまったくよく知らなかったのですが、…あの時初めて花とはすごいものなのだと思いました。」

 娘は騎士のことばをじっと聞いていた。しばらく沈黙が降りて、彼が少し眉を下げると、娘も同じように顔を動かした。
 やがてどちらともなくふっと笑い出す。

「………わかりました、」
 騎士さまは、意外と頑固ですねと彼女は笑う。初めてその眉が、困ったように下がらない笑い方をした。
「お礼はいただきます…ありがとうございます、騎士さま。」
 包みを両手で持って娘が笑う。その言葉に、彼は今さらにおやと眉をあげた。

「シャムロックです。」

「え?」
「私の名前です。シャムロック。」
「…シャムロックさま。」
 目を丸くして、娘が繰り返した。その顔にみるみる笑顔が浮かんだ。

「良い名ですね。」

 その笑顔の意味が分からず、彼は首を傾げる。
「私はです。お店の名前はフロリアン。…どうぞご贔屓に。」
 そう言って彼女がワンピースの裾をつまんでお辞儀した。形式ばった礼を返した後で、シャムロックはわらって、もわらった。。良い名だと思った。たぶんきっと、花の名前なのだろう。だってとても、軽やかで、優しい花のような響きがするから。