二十八


 突然鳴った電話とその伝えるところの通りに、玄関に立った佳主馬を見下ろして、万里子は「聞いてはいたけど、」と目を丸くしている。時刻はもうすぐ夕方で、そろそろ仕事を終えて家族たちが帰宅してくる頃合いだ。
『今から佳主馬とその友達が行くから、ご飯をたくさん用意して、できたら大勢で待っていてあげてほしい。』
 という姪の電話にも驚いたが、"ご飯を食べていない、眠れない"、というどうやらわけありの"友達"が、女の子だとは思わなかった。
 急なことで豪華な物は用意できなかったが、ある限りのもので食事を作り、手近に散らばっている親族にも声をかけた。友達が女の子だとわかっていたら、もう少し人数が増えたかもしれない。
「こ、こんにちは。」
 とおどおど、しかし礼儀正しく頭を下げた制服姿の少女を見下ろしながら、まさか、"彼女"だったなんてぇ、と頬に手をあてて万里子は未だ驚いている。ああ、でもそう言えば、夏希が"婚約者"を連れてきたのもたしかこのくらいの年だったかしら。

「なーに、佳主馬、あんたいきなり女の子連れてきて!」
 昼間っからビールを開けていたらしい直美が、奥からひょっこり出てくる。
「うわ、直美おばさんなんでいんの。」
「あら、いて悪うございましたねぇ。」
 有給とって早目のバカンスですう、などとピースをするようすは結構杯を重ねているに違いない。酔っている。「まっさかあの佳主馬が彼女つれてくるなんてえ、」ニヤニヤ笑う叔母に心底心外だという顔をして見せてから、万里子に向かって佳主馬は言った。

「万里子おばさん、ごはん下さい。」

 旧家の子らしく、佳主馬がぴっしり頭を下げた。ついでに「あと彼女でもなんでもないから。」としっかり釘を刺すのも忘れない。
 今日も今日とて彼はクールであるが、それこそおしめをしていた小さなころから知られている叔母が相手では若干歩が悪い。ここに直美と同い年の従姉妹である理香も加わるのだと思うと、佳主馬の胃はじゃっかんシクシクと痛む。
「あ〜!早く理香帰ってこないかな〜!」
「…これだからつれてきたくなかったけどここしか思い浮かばなかったんだよ…。」
 と忌々しげに噛みしめる佳主馬を見上げて、は少し、オロオロした。

 引っ張られるまま連れてこられて、ちょっと待ってて、とどこかへ電話をかけにいった佳主馬は、それが終わるとまたの腕を引っ張って、あれよあれよという間に新幹線に乗り、ローカルな電車に乗って、最後はバス。『栄温泉』という名前の僻地のバス停で降りて、するとそこには、ほかほか湯気の立つ温泉のある、どでかい庭のどでかい古い日本家屋があった。
 蝉がうるさいほど鳴いている。こんなにたくさんの山と緑と蝉の声を聞いたことがなくて、はびっくりしてしまった。
 それ以前に、こまずこまで連れてきてこられてしまったことに、びっくりしている。

「名前なんて言うの?」
「あ、です。…。」
「へえ〜ちゃんかぁ。かわいーお名前ねー。」
 直美はちょっとお酒臭いが、派手な感じの美人である。
「うーん、それにしても佳主馬のどこがよかったのぉ?おねーさん気になるわあ〜。」
「うるっさいよ!」
 なにごとか最初に出迎えてくれた万里子と話していた佳主馬が、カッカと腹を立てながらのほうへ向かってくる。
「あーもう!酔っ払いひっこんでろよ!」
「なァんですって!?このマセガキ!」
「フン!」
 フン!とおんなじようにそっぽを向き合った叔母と甥っこは、そのままズンズン逆方向に歩き出した。彼女は家の中、彼は家の外。は真ん中に残されて、おろおろするしかない。
 どうしよう。

「行くよ、さん。」

 ふいにボスッと乱暴に、頭に麦わら帽子がのせられた。よく日焼けした手には軍手。それがに向かって差し出されている。ちょっと憮然とした表情。
「え?」
「まだ人数増えそうだから、食材が足りないんだって。」
「え?」
さんは今日ここに世話になるんだから、その分しっかり働いてよね。」
「えええ?」