三十一


「美味しかった?」
「おいし、かった!」
 たべすぎた、と縁側ではすっかり参ってしまって仰向けに寝っ転がっていた。隣で佳主馬は、ぷらんと足を投げ出して座っている。
 は風呂上りに着替えだと渡されたノースリーブの白いワンピースを着ていた。食事の席で何度か話題に出てきた、"夏希"という人が高校生の頃着ていたものらしい。シンプルだけれどかわいくて、はとても気に入った。
 寝転がると、床は少しひんやりとしている。軒先の向こうに夜空が見えた。空は毀れおちてきそうなほど満天の星で、やっぱりこんなの見たことなかったは目をきらきらさせる。星、すごいね、と溜息のように言ったの目の中にも、星が写っている。さっきまで泣いてたくせに、とちょっと佳主馬は思ったけれど何も言わない。
 居間の方からは、ちびの走りまわる音がする。「あーもう恭!あっち行ってろよ!」「おかーさん祐兄がぶったあ!」それから泣く声。おじさんたちはまだ宴会している。おかあさん、の声もする。

「ねえさん。」
 いつも通りの、少しぶっきらぼうな声で佳主馬は言った。
「なに?」
 寝っ転がって上を見上げたまま、が返事をした。食べてすぐ寝ると牛になるよ、とは彼は言わなかった。本当にお腹いっぱい食べてあったかい温泉に入ったあとで、ゴロンと大の字で横になるほど、気持ちいいことってないからだ。
「いまさらだけど、」
「ん?」
「勝手につれてきてごめん。」
 びっくりしてがガバと起きあがると、そのあんまりの勢いに佳主馬がびっくりしていた。驚いた顔、めずらしいなと思ったけれど、はそれどころではない。
「なんでそんなこというの!」
「…色々根掘り葉掘り言わされて、嫌だっただろ。っていうか、急にクラスメイトの実家の本家に連れてこられても、びっくりすることない。」
 不機嫌そうに見えるのは、実はそうではない。ちょっと済まなそうに、眉が潜められているのを見て、どうしてだろう、は笑いだしたくなった。そのままゴロンと、再び仰向けに横になる。
 やっぱり星が、すごくたくさん、よく見える。夜空の手前には屋根があって、その手前に佳主馬の黒い髪がある。夜風を受けて少し揺れてる。夜空の色をしているな、とそう思った。気持ちのいい風。

「連れてこられたときはわけわかんないし、それはもう、びっくりしたけど、」
 寝っ転がったままちょっと笑う。目だけ佳主馬のほうを向けたら、随分からはいつも大人びて見えた彼が年相応に見えてなんだかあどけない。

「いまねえ、私、とってもいいきもち。」

 くたくたでおなかいっぱい、ぽかぽかで涼しくって。
「そう。」
 なんだかおかしなその言葉に、佳主馬が言葉の響きだけで安心したみたいに笑った。表情はちっとも変わりはしなかったけど、多分そうだろうと思う。
「かぼちゃ、あんな風にできるんだねぇ。」
さんなぁんにも知らないんだね。」
「緑のとうがらし、おいしかったなあ。」
「しし唐だってば。」
「それそれ!ししとう!」
 昼食も食べずに引っ張り出されて電車とバスを乗りついで。田舎道、太陽をいっぱい浴びて歩いた。裏の畑で野菜をとって、畦道を何度も往復した。それから賑やかな食卓を囲んで、びっくりするくらいいっぱい食べて、途中泣いたり、笑ったりして、それから最後にあったかい温泉。
「たのしかったなあ…。」
 ふわふわした声。なんだか不思議に、うとうとしてきた。
 幼いころ以来の感覚には内心目を丸くする。けれども実際目蓋はちっとも開かずに、いっそくっついてしまいそうだった。
 噫まだお話の途中なのに、と、目蓋を開いたり閉じたりさせながら、一生懸命話を続けようとするに、佳主馬は呆れてちょっと肩を竦めた。

さん。」
「ぁい?」
「眠いなら寝ちゃえば。」
 その言葉にが起きあがろうとした。それを手のひらで押さえて、佳主馬はわらう。
 眠っていいよ。

「…おやすみ。」

 上から降ってきたのはびっくりするほど優しい声で、は思わず目をまるくした。
 見下ろしている佳主馬の顔は、普段と変わらない無表情と言ってもいいほどの愛想のない顔だ。ああ、でもやさしい。いつもちょっと何を考えているのかわからないし、ぶっきらぼうだし、目つきが鋭いし、口数は少ないは背は高いはでちょっと怖かった池沢佳主馬という人間が、急にすとんと身近に感じられた。優しい子なんだ、感じてはいたが、初めて実感としてしみじみそう思えた気がする。
 長い前髪の向こうで、切れ長の目玉が確かに優しそうな色、してを見ていた。夜の色だなと初めては気がついた。ああ、そうだ、夜ってこんないろ、してるじゃないか。真っ青な海の底は、確かにそんな色に設定されている、それを誰より知っていたはずなのに、忘れていた。穏やかな夜の色。節くれだった細い指が、そおっとの額に触った。撫でることもぺったりと表面を圧しつけることもしない。ただ、触れるか触れないかの距離で、ふわりと風だけ撫でていった。
 ねむれそうだと、ぽろりと思った。
 目蓋がゆっくり、重くなる。
 ねむっていいよと、言われた気がした。