四 彼はまず教室に入ってすぐにその異変に気付いた。いつも空白な彼の隣の席が、埋まっている。 それに軽く目を見開き―――しかしあくまでそれは内心のこと。佳主馬の年季が入った無表情にはあらわれない。ただいつもの通りに、彼は自らの椅子を引いた。 「…おはよう、」 「あ、? え、おはよう。」 自分に話しかけたろうかと戸惑うような余白を置いて、声をかけられた相手が返事をした。小さなか細い声だった。数週間ぶり、いや、一か月以上久々に聞いた声だ。ともすれば聞き逃してしまいそうなささやかさで、教室の喧騒にはあまりに弱く響いた。彼が大きなヘッドフォンを外していなければ、聴こえなかったかもしれない。 佳主馬は肩から下ろした鞄を開けて、教科書を机に詰め替え始める。その間もチラリと、隣の席を時折見やった。 長い髪。 首や肩を見て、ひどく細いなと思った。真っ白な肌は、窓から射し込む光を通して透けてしまいそうだった。まつ毛の先に光が溜まっている。退屈そうな、眠たそうな横顔。窓の外をぼんやりと眺めて、頬杖をつくその手頸が、やはり驚くほどに細い。思わず「ちゃんと食べてるの?」と尋ねたくなるほどだった。気を付けてみれば、クラス内のそこ、かしこで、同じように彼女をチラチラと窺っている視線がある。なんだかそれらと同じになってしまうことが恥ずかしいように感じられて、彼はぱっと目を離す。 本音を言えば、物珍しがったって仕方がない。彼女が教室に姿を現すことはめったにないのだ。新学期になって、学年が上がって、自分の隣に彼女の机が置かれた時、佳主馬はひっそり、あいつ進級できたのかと目を丸くしたものだ。それほどこの少女は、学校にいなかった。しかし不登校、というわけでもないらしい。なぜ伝聞形なのかと言うと、直接本人がそう言ったわけではないが、誰もがそう伝え聞いて知っていたからだ。 一年生の時も、彼は偶然彼女と同じクラスだった。 入学式、彼女の席は空白だった。それから一週間、二週間しても彼女は現れない。さんがいません、という委員長の言葉に担任が色々な表情を綯い交ぜにしたような顔で少し首を傾げた。 「あいつはちょっと、特別でな。」 その言葉はずっと、彼女の枕詞になる。 |