二十一


 が起きるなり、めちゃくちゃ心配したんだから大馬鹿アアアア!!!とわんわん大泣きした岡山もやっと落ち着いて、山口を荷物持ちとして引っ張って教室に鞄を取りに行った。もうとっくに日が暮れて、けれど誰も帰ろうとも帰りなさいとも言わない。文化祭はまだ二日間続く。出し物の準備が間に合っていないクラスもあるのだろう、校舎のどこかから釘を打つ音が響いていた。
「明日きちんと病院へ行くこと。あとさん一人暮らしでしょう?ちゃんと食べてるの?」
「う、食べて、ます。」
 嘘だな、とたぶん佳主馬だけでなく大野も思った。
 食べてない。
 と、いうことは、は平日学校であの少ない昼食を食べているだけ、ということだろうか。学校のない日はどうしているのだろう。佳主馬は呆れを通り越して、いっそひややかにを見下ろしている。人間食べなきゃ生きていかれない。そんな当たり前のことも、この子はわからないんだろうか。
「食べなきゃ。」
「う、うう、食べて、ます……ちょっとは。」
 前と横からの疑惑の眼差しに、が折れて最後に小さくぽつんと付け足す。ばっかじゃないのと佳主馬が口を開く前に、大野が長い足を優雅に組み替えて「だめよ。」と言った。
「食べなきゃせんせみたいにセクシーダイナマイトになれないわよぉ?」
 ばかじゃないのと先ほどより若干力強く、思わず噴き出しそうになりながら言おうとした佳主馬をやっぱり遮って、が「うぐっ!」と悲惨そうな声を上げる。…なりたいのか。
 呆れきったような複雑な目で佳主馬がを眺めていると、ガラリと戸の開く音がした。
 
さーん!池沢ー!鞄持ってきたよ!」
「原田が送ってくれるそうだ。」
「だからっ!お前ら!先生って言いなさいってあれほど!」

 一気に騒々しい。
 ちょっときょとんとしたを困ったような微笑で大野が見下ろして、それからよいしょと立ち上がる。
「さー、保健室閉めちゃうからもう帰んなさい。担任の先生と保護者の方には、連絡を入れておきますからね。」
 保護者、と聞いてさっきよりずっと悲壮な顔になったが、しょんぼり俯く。
「はぁい…。」
「…そんなに嫌なの?」
 まさか虐待など受けてやいないかと、ひそりと形のいい眉をひそめた大野の心配をよそに、が呻く。
「自己管理のできん奴は音楽家以前に人間としてクズだ、って…うう…。」
「そこまで言われててできないってさんばかじゃないの。」
 思わず辛辣になった佳主馬の口調に「返す言葉もない…。」とががっくりうなだれた。
「なんだ、、飯食ってないのか。」
 理解できない、というように眉をしかめて、原田が唸る。
「いかんなあ。体育の教師として言っておくがな、飯は三食しっかり食べないとだめだ。さすがに岡山ほど食えとは先生も言わないけどなあ。」
「ちょっと!どういう意味よ!!」
 さっきまでさんが死んじゃったらどうしようと潮らしく泣き腫らしていた彼女とは別人の様子で、普段通りの騒々しさだ。ちょっと目がまだ赤いのには、誰もみないふりをする。

「そうだ、飯ィ、食いにいくか。」

 送ってくついでだし先生腹減ったし。
 あっけらかんと原田が言い出す。え、とが目を丸くする前に、岡山と山口が食いついた。
「肉!焼肉!焼き肉がいい!」
「原田先生、ごちそうになります!」
「誰もお前らも連れてくとは言ってないだろう!」
「ちょっとお!さんひとりつれてく気ィ!?やっらしーんだ!」
「ばっ!そんなわけ!ないだろう!」
「やったあ!原田大好きー!!」
「よかったなあ、。…天壇だそうだ。」
「んなクソ高いところつれていけるかー!!」
 大の男が半泣きになりながら財布の中身を確認している。いいわねえ、とわらって、今度こそ大野が本格的に全員を追いだしにかかった。もう8時を回っている。さすがに金槌の音も止んだようだ。
「たくさん食べてらっしゃいね。」
「え、大野先生は…、」
「これからデートなんで。」
 原田、あえなく撃沈である。
「え、あ、」
「…いーんじゃない。おごりなんだし。」
 夕飯いらない、とメールを打ちながら、肩を竦めて佳主馬が言うと、はオロオロしつつも、結局首を縦に振った。車回してくるから校門にいなさいと言い残して、なんとなく寂しい背中の原田が去っていった。

「私も夕ご飯残しといてーって連絡しよっと。」
「お前、家でも食うつもりかよ…。」
「ええと、父へ…夕飯の残りは明日の弁当に使うので取っておいてください。送信、と…。」
 母親からのメールが帰ってきたようだ。ブルリとポケットの中で震えた携帯を取り出した佳主馬の手元をふいに覗きこんで、が「あ、」と声をこぼした。

「そのアバター、知ってる。」