「ジロくん、」
 今でもその呼び方、覚えてたんだね。
 少しびっくりしたので目が覚めた。
「………。」
「…ジ…芥川くん!」
「………、」
 ジロでいいのに。困ってしまって、が眉毛を下げてるのが腕の間から少し見えたけど、返事はしなかった。

「お、どないしたん、。」

「忍足くん、」
 返事しなかったら、忍足が来た。
「先生にこれ、渡せって頼まれたんだけど…寝てて…。」
 忍足がじっと俺を見る。ああやだな、こいつって変なとこ、気が回る。
 じいっと忍足が俺を見ている。居心地が悪いので完全に顔を腕で隠す。もみえなくなった。ちょっと残念、なような気がする。けど眠いから俺はもうあんまりよく自分のことも周りのこともわからない。忍足の目だけ、首の裏あたりでジリジリしているのを感じる。噫、いやだな。
 ふう、と大きなため息が聞こえて、忍足が笑った。
「こうなったらテコでも起きひん眠りの芥川やからなあ…次、教室移動やろ?俺、渡しといたるわ。」
「…ありがとう。」
 ちょっとほっとしたみたいなの声。
 軽い足音が遠ざかっていく。休み時間のうるさい音の中に紛れていく。名残惜しい?よくわからない。眠たい。前の席を引いて、忍足が座る音。俺の席の前の席、忍足くん。いつもは背中で居眠り隠してくれるんだけど、今日はそうではないらしい。
「ジーロ、起きとるやろ。」
「…んにゃ、寝てる。」
「ほんまに寝とる子はそんな返事しません。」
 ちょっと顔を上げたら、忍足はまだが出てった扉の方を見ていた。それからひょこっと、俺に目線を落として笑う。ちょっとびっくりした。眼鏡の反射が、白く光ってきもちわるい。
 居心地悪くて首を亀みたくすくめたら、「カメみたいや、」とタイミングよく指摘されて笑われた。少しかっこ悪い、俺。なので顎だけ机に乗せて、「なに、」とちょっと声を低くして言ったら「城ノ内みたいなアゴになっとる」と俺にはわけのわからないことを言われた。
「あいかわらずやなぁ。」
「…なにが?」
 なるべく目はあわせないようにする。こういうとき、こいつはエスパーになる。エスパーはこわい。どれくらいこわいかっていうと、うーん、とっさに思いつかないけど怖い。

ちゃん苦手なん。」

 疑問文のくせに語尾が下がった。ほら、エスパーだ。
って呼ぶな。」
「…好きなん?」
「そんなんじゃないシー。」
「じゃあ普通に返事したったらええやん。かわいそやんか。」
「…。」
 エスパーも流石に理由までわからないらしい。この変なところで気の回るエスパーは、もうずいぶん長いこと、俺とが話をしないことを気にして、いろいろ俺に忠告をくれる。ちょっと忍足を見上げる。眉毛を下げて、ああほんとに心配してくれてるのだろう。眠たいので、俺は、少し、初めて忍足に話してみることにする。ちょうど教室移動で、教室に人が少なくなり始めていた。

「だからさ、すっげー、ブラコンなんだよ。」
「は?」
 忍足が意味がわからない、って顔をする。うん、俺もわかんないよ。やっぱり眠いのに口だけ動いた。不思議なかんじだ。誰かが俺を乗っ取って、勝手に俺の口で喋っている。兄ちゃんだろうか。それとも目の前の、エスパーだろうか。わかんない。

「むかーしさ、仲の良い兄妹と仲のそれなりに良いような悪いような兄弟がいて、」
「おう、」
「そいつらみんな仲良しなんだ。でも仲良い兄妹の、兄ちゃんが病気で死んでしまう。」
「…うん、」
 教室のざわめきが少し遠くなった。忍足は一生懸命聞いている。
「兄ちゃんは親友に頼む。俺が死んだら俺のふりをして、妹のかけてくる電話の相手をしてくれないか。…親友は断る。それで兄ちゃんはこまって、親友の弟にそれを頼む。弟は、兄ちゃんが大好きで、その妹も泣かれると困るから、いいよ、って言って、それから妹がかけてくる電話に兄ちゃんのふりをして出続ける。」
「…。」
「ちょうどいいタイミングで声変わりをした弟は、それで電話の声とおんなじ声だとばれないように、妹ちゃんともうぜったい話すわけにはいかないのです。さて、いちばんただしくないのはだれでしょう?」

 そこでちょっと上を見ると、忍足がじいっと真面目な顔して俺を見ていた。
 だからこいつ、嫌なんだ。普通は、ちょっと困ったり、笑ったり、冗談だろって言ったりさ、そういう風に、反応してくれなくちゃ。笑い飛ばしてくれなくちゃ。黙ったまんましばらく見詰め合った。忍足が何か言おうとしている。エスパーの口は塞がなくちゃならない。それが決まり。誰が決めたかなんてしらないけどさ、エスパーってきっと、正しいこと言うから、俺、きらい。

「っていう映画を昨日見ました。」
「映画かい!」

 スパーンと忍足が、とこから出したのか下敷きで俺の頭をぶった。馬鹿になったらどうしてくれる。
 なんや俺、ちょっとギョッとして真面目に考えてたのに!って俺の脳細胞が死んだことなんてちっとも気にかけないで、忍足が眼鏡をちょっと拭いて涙をぬぐうふりをしている。俺は笑う。眠たい。
「ほら、狼少年!教室移動やで。」
「なに狼少年て。」
「うそつきのかわいそーな男の子のことや!」

 エスパー、ちょっとそれは胸に痛いってやつだぜ。
 格好付けて心の中で笑ってみたけど、心の中だから誰にも見えなかった。少し残念だと思う。狼少年と言う言葉は、少しばかり心のそこにひっかかったままだ。白いカーテンにカレーこぼしたようなかんじ。狼少年は嘘つきなの?ねえ、なぜかわいそうなの?俺はその話を知らないから、ますます不安が膨らんだ。なんで狼少年はかわいそうなんだろう。たとえば嘘つきの手伝いしているせいで、好きな女の子の顔、まともに見られないとか、それくらいかわいそうだろうか。
 はよせんとおいてくで。考え事もさせてくれない忍足がせかすので、ノートが見つからないけどまあいいやということにする。国語のノートを変わりに使おう。適当に荷物を見繕って、机の上から筆箱取り上げたところでふいに忍足が言った。

「俺は断った兄貴が一番ただしいと思う。」

 誰もそんなことは聞いてない。
 だからエスパーは、きらいだ。