珈琲の飲みすぎでぶっ倒れた。
 嘘。
「寝不足、やて。」
「…あんだけ常に寝てやがるくせに寝不足だ?アァン?ふざけろ。」
 目を開けたら忍足と跡部が俺を覗き込んでいた。中三のとき、ある事件をきっかけに髪を短くしてから、跡部の髪はずっと短いままだ。りべんじするまで伸ばさない、とか言ってるけど、なんだかんだでちょっとベッカムっぽいその短い髪型が気に入ったんだと俺はにらんでいる。

「…あ、あとべ。」

「あ、あとべ。じゃねえ。」
 ペシリとデコをはたかれた。う、いた、くはないな。優しい叩き方だ。なんだかんだで跡部は俺に甘いと思う。幼稚園の頃からの付き合いだからかな。よくわからないけどやさしいのはいいことだ。やさしいのはいいこと。やさしいのはいい。そうに決まっている。
「大丈夫かー?ジロ、ここどこかわかるかー?」
 ひらひらって、忍足が俺の目の前で手を振る。でかい手。手のひら越しに白い天井が見える。俺はベッドに寝かされていて、薬のにおい、緑色のカーテンが、ベッドを囲んでいる。
「ほけんしつ!」
 叫んだら、当たりや、と眉毛を片っ方下げて忍足がわらった。呆れられたかなと思ったら、困らせたみたいだ。まったくしゃあないやっちゃなあ、って言う声が、心配する響き、している。
「ったく、そんだけ寝りゃ治っただろ。起きられるか。」
「あ、うん。」
 ひょいと起き上がるのを跡部がさりげなく手伝った。別に病気ってわけじゃないのにな。忍足はカーテンから出て行って先生になにか言っている。そういえば二人ともブレザーを着てるのに気がついた。さっきまで部活してたはずなんだけど。おかしいな。と思い当たってから一拍。俺は跡部の腕についた高そうな、というか実際考えるまでもなく高いんだろう時計をチラリと見て、目を丸くした。

「9時ィ!?」

 その声にせんせも忍足も、どっと笑った。跡部だけ、眉間にしわ寄せて、あ、これ怒る手前の顔だ、肩をわななかせている。これはやばい。俺が人差し指で耳栓作って耳穴にねじ込むのと同時、跡部がでっかい声で叫んだ。「何時間寝てたと思ってやがるこのアホが!!」まったくあの広いテニスコートに響き渡る大音量を、保健室で発生させるとただの騒音でしかないってこと知らないんだろうか。耳栓したのに頭がキンとした。先生も忍足も、耳栓が間に合わなくて目をチカチカさせている。その間に跡部はバサッと俺の着替えを――部室から持ってきてくれたんだろう、俺の頭から被せると「5分で着替えて支度しろ。」とだけ言って鞄も放り込んでカーテンをしめてしまった。

「跡部、声、でかい。」
「うるせーよ。」
「跡部くん、声でかいよ。」
「…すみません。」

 カーテンの向こうからそんな会話が聞こえてくるので俺は笑いを堪えるのにちょっと苦労した。おかげでシャツのボタンを一個掛け違って、5分オーバーしてしまうところだった。あぶない。(次は怒鳴り声ではすまない!)ちょっと慌ててカーテンをあけたらつまずいて転んだ。
「ったく、世話焼かせる…。」
 ブツブツいいながら跡部が起こしてくれた。やっぱり優しい。
「遅くまですんませんでした。」
「せんせー、さよならぁ!」
「馬鹿!ありがとうございました。」
 跡部と忍足が俺を挟んでせんせにお礼とお詫びを言ってくれた。おとんとおかんみたい、って忍足に言ったら少し涙目をされたので本気で謝る。跡部に言わなくてよかった!
 帰ろうとしたら先生に呼び止められた。
「芥川、」
「はい。」
「お前の居眠りは昔っから有名だけどなァ、」
 先生がちょっと困った風に頭を掻いた。跡部は車で送ってくれるって言って、車を回しに行った。忍足は監督に報告に行ってくれた。なんだろう、なんだか俺、病人みたい。みんな優しい。たとえば俺がふりょーになって、夜遊び歩いてるとか、俺が実はちょー真面目で、夜遅くまで勉強してるとか、そんなの思いもよりやしない。

「夜眠れてるか?」
「眠れてます。」

 即答した。俺はいつの間にか嘘つきが上手になったようだ。なのに、せんせは困った風に笑って、悩みがあったらいつでもおいで、頭を撫でられた。
 やさしいが本当に俺にとって正しいやさしいなのかどうかは、時と場合による。
「あんまり夜更かしするなよ。」
 携帯電話が気になった。まだ真夜中には時間はあるけれど、がかけてこないとは限らない。だから夜は、部屋にひとりでいなくっちゃ。いつ電話がかかってもいいように。
「はぁーい。」
 文句なら天国の兄ちゃんに言ってくれ。
 本当は知っている。多分俺はもう結構な昔から、珈琲の必要ないからだになっている。そして心には、珈琲が必要だ。俺はいつも眠たい。大事なのは約束をまもること。やさしいはいいことだ。ほんとかな。今夜も俺は、電話番をする。
 それだけが一番大事な決まりごと。